第61回(2007年度)ライスボウル特設コラム(5)

 



爆発(explosion) -史上最高のパスゲーム-

QB/WRコーチ  小野 宏


(1)“日本代表”との対決 (5)OLたちの詩 (9)ロジスティックス
(2)二つのノーハドル (6)ショットガンの5年 (10)カズタの物語
(3)人が変わる時 (7)ラン&シュートへの挑戦 (11)後世畏るべし
(4)ゴール前の罠 (8)マネジメント改革  
 
(5)OLたちの詩

TE(タイトエンド)の意地

 以後は、ご承知のとおり、電工の底力によって引き離された。31-45から追撃しようとしたシリーズは脇坂1人に止められたと言ってよい。センター前のゾーンへのパスはがら空きだったが、脇坂に叩き落とされた。第3ダウンにサックしたのも脇坂だった。38歳という年齢から後半はパフォーマンスが落ちるのではないか、という淡い期待は裏切られた。
 2本差に再び開いたが、選手たちはあきらめなかった。この日5本目のタッチダウンとなった水原のストリークもまた凄みのあるプレーだった。実質の飛距離40ヤード。三原のボールは、ライナーと表現しておかしくない弾道で水原が両手で構えた30センチ四方の的に吸い込まれていった。水原は4年生になってWRからTE(タイトエンド)にコンバートされた。WRのような俊敏さでパスを受け、OLとともにブロックをし、「スーパーマン」であることを求められるポジションだ。慣れない3ポイントのスタンスから自分よりも10-20キロ重いDLに当たる苦しい練習を重ねてきた。そして、WRよりもはるかに複雑なアサイメントの世界で、経験不足のため4年生でありながらリーダーシップを取れないことに悩んできた。立命戦前日の4年生の合宿では、「好きなフットボールなのにどうしてこんなに苦しいんだろう」と泣いていたそうだ。
 
突き放された後のシリーズで、今季TEにコンバートした#86水原へのタッチダウンパスがヒット。この直後に成功したオンサイドキックと同様、4年生の意地が形になったプレーだった。
 このノーハドルは4人のWRを入れるシステムになっていてTEは入らないことになっていた。しかし、インサイドレシーバーの榊原、柴田の疲労が濃く、交代としての起用だった。回ってきた数少ないチャンスに水原は集中していた。競り合ってタックルされながらのキャッチ。勝敗は実質的に決まった後のTDだったが、決して価値は下がらない。
 合計で564ヤードを奪ったパスゲーム。38点奪われたのは松下電工の歴史の中でも過去にほとんどないのではないか。彼我の選手個々人の力量に大きな差があったことを考えれば、「爆発」と表現してよい出来事だったと考えている。我々が内心持っていた自信は決して独りよがりなものではなかった。

OLの死闘

 こうしたバックフィールドの活躍を支えたのがOLたちの頑張りである。特にこの試合は79プレーのほとんどをノーハドルで行った。消耗戦に持ち込むために短いインターバルでプレーをしていくのだから、相手のDLがしんどい分、OLももちろんしんどい。ワイドレシーバーは層が厚くメンバーを頻繁に入れ替えていたが、OLは交代なくプレーし続けることが前提だった。岡田が前後半最初のシリーズで新谷に交代した以外、残りの4つのポジションは1人でやりぬいた。電工DLは完全に二つのユニットでおそらくローテーションを組んで入れ替わり、消耗を防ぎながらのプレーである。理不尽な消耗戦に堪えながら、サイズ、筋力、技術、経験とも上のレベルの選手たちを身を挺して止め、三原の投げる時間と空間を作った。前回2002年にライスボウルに出場した際のOLと比べれば、主将の岡田を除いて先天的な体格、運動能力に恵まれているとは言い難く、層も薄い。常に薄氷一枚の苦しい戦いを堪え続けてきたが、この試合はさらに岡田がけがで抜ける、という厳しい状況での戦いになった。
 
史上最高のパッシングゲームの土台を支え続けたOL陣。シーズン当初「今季一番の課題」と言われたポジションが、最後の大舞台で日本最強のメンバーを誇る松下電工DL陣を相手に堂々たる挑戦を繰り広げた。
 しかし、岡田の穴は、2年生の新谷が懸命に埋めた。20歳の若武者が日本代表主将と向き合い、ひるまずに勝負を挑んでいた。自ら「家族」と呼ぶOLユニットは大黒柱の退場を自らのことと受け止め、1対1の不利を組織的な工夫と技と心意気で対抗した。C中山、G福田、T寥はシーズンを通じて怪我をせずにやり抜いた。上村も痛めた足首を抱えながらずっとプレーを続けてきた。やられた時もすぐに気持ちを切り替えて目の前のプレーに集中していた。「果敢」という言葉がぴったりだった。そのことこそが我々にとって、真の「関学らしさ」であったと選手に代わって誇りたい気持ちがある。

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