石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2012/8/8

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(17)自ら鍛える

投稿日時:2012/08/08(水) 12:40

 3度の食事は忘れても、活字を読むことだけは忘れない。それが学生時代から半世紀以上、続いている習慣である。山を縦走したりする時でも、荷物にならない文庫本をリュックに忍ばせているし、いよいよ身近に読む本がなくなった場合でも、代わりに地図を隅から隅まで眺めている。
 そういう暮らしをしていると、特段、目的を持って読まなくても、ちょくちょく気になる文章に出会うことがある。
 先日、たまたま読んだ「スポーツ随想」というコラムもその一つ。これは、帝京大学ラグビー部のフィジカルコーチをされている加藤慶さんが書き、共同通信が配信した文章だが、そこに次のような一節があった。要旨を引用させていただく。
 「腕立て伏せの肘の伸ばし具合を見ていると、その選手の特性が分かる場合がある」「腕立て伏せを練習の最後やランニングの直後、身体的に疲労が蓄積された状況で実施させる。しんどい状況なので、肘をほとんど伸ばさずに決められた回数をこなす選手がいる。一方で、多少時間がかかっても、肘をしっかり伸ばしきる者もいる」
 「前者は少し楽をしようとしており、練習や試合の追い込まれた状況でもやはり楽な方向へ逃げがちだ。自分に甘いため、コーチがいる場合と自分だけで練習するときの努力にも差が出る」「それに比べて後者は、窮地に陥っても逃げずにチャレンジできる傾向にある。どんな状況でも、常に自分に厳しい課題を設け、それをクリアしようと必死に取り組むので、安心して見ていられる」「厳しい状況でも怠けずに、自分の限界にチャレンジできる能力は、スポーツに限らず人間としても重要な資質だと思う」
 なるほど、と思った。ファイターズの諸君にこそ、読んでもらいたい文章だと思った。
 夏真っ盛り。室内で座り込んでいるだけでも暑い。炎天下で体を動かし、極限までの負荷を掛けて行う練習となれば、想像を絶するほど苦しいだろう。夏合宿の2部練、3部連ともなれば、日ごろから鍛えに鍛えた上級生にとっても、耐え難いほどの苦行になるだろう。まだ体のできあがっていない下級生にとっては、その苦しさはさらに倍加する。たとえ、それが高原の涼しい環境であっても、コーチもスタッフも特別に気合いを入れて臨む長期の合宿となれば、日ごろの練習の何倍もの負荷がかかってくるはずだ。
 そんなときに、どこまで自分を追い込めるか。与えられた課題を「肘を伸ばさず」に形だけでこなすのか。それとも、たとえコーチが見ていなくても、しっかり負荷を掛けてやり遂げるのか。その取り組み一つで、結果はがらりと変わってくる。楽な方に逃げる人間か、それとも、どんな状況に合ってもチャレンジすることのできる人間か。それが試されるのが10日から始まる夏の合宿だろう。
 週に1度か2度のことだが、上ヶ原での練習を見ていると、残念ながら、みんながみんな「自分の限界に挑戦している」とは言い切れない状況がある。プレーヤーだけでも約150人。負傷からの回復途上で、だましだまししか練習できない選手もいるし、授業が優先で、グラウンドに出るのが遅くなる選手もいる。それは仕方がないとしても、中には自分の中に何かの「言い訳」を設けて、もう一段上のレベルへのチャレンジを避けているような選手がいないわけではない。
 「甲子園ボウルの前の1週間も、春先の1週間も、同じ1週間。いつも甲子園ボウルの前の1週間という気持ちで取り組まないと間に合わない」と言い続けていたのは、昨年の主将、松岡君である。もちろん、毎日毎日、甲子園ボウル直前の雰囲気で練習に取り組めというのは無理なこと。気持ちを張り詰めてばかりでは、いつかは切れてしまう。適度な休養や気持ちのゆとりは、さらなる成長のために必要不可欠なことだろう。
 だが、松岡主将を中心とした昨年のチームは「どんな状況にあっても、常に自分で厳しい課題を設け、それをクリアしようと必死に取り組む」集団だった。「肘を伸ばして」課題に立ち向かう集団だった。
 「天知る地知る 我知る人知る」という言葉がある。手を抜いていれば、天が知っている。地が知っている。人も知っている。何より自分自身が知っている。自分に嘘をつかず、言い訳に逃げ込まず、限界にチャレンジしてほしい。夏合宿は、自らの決意と行動で、一段上のステージに上がれるチャンスである。自分と向き合い、自分を高めるために全力を尽くしてもらいたい。諸君の成長を祈る思いで待ち続けている。

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