石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」

(17)いざ、出陣

投稿日時:2016/08/27(土) 23:49rss

 今日は8月27日。前日までの猛暑とは少し様子が異なり、吹く風が少し涼しく感じられる。台風襲来の前兆だろうか。
 27日は、1年365日のうちの1日。誕生日とか結婚記念日とか、親族の命日とかいう日に関係する人以外は、特段の意味はない。 しかし、僕にとっては2016年ファイターズが出陣する前夜であり、特別の意味を持った日である。今季を戦う部員の無事を祈り、チームの勝利を祈願する大切な日である。
 上ヶ原のグラウンドを訪れ、平郡君の記念樹とプレートの前に立って頭を下げ、帰りには上ヶ原の八幡さまに勝利を祈り、ついでに大学の正門から時計台に「今年もファイターズにご加護を」とお願いする。それだけのことをすると、ようやくシーズンを迎える準備が整う。後は、グラウンドで戦う選手達の活躍を祈り、それを支えるスタッフたちの奮闘に期待するだけである。
 振り返れば、昨年の11月22日。立命館に敗れたその日から今季のチームはスタートした。それまで4年連続で1月3日までのシーズンを戦い、暮れも正月もない生活を送ってきた部員たちの1年がその日をもって、突然、打ち切られてしまった。さて、どうするか。どのように気持ちを切り替え、新しいシーズンを迎えるか。
 そんなことを体験したことのない部員たちにとって、新たなシーズンを迎えるまでの日々は試行錯誤の連続だったと推測する。4年生たちの不安と動揺、そして俺たちがチームを作り直す、という決意。けがでチーム練習に参加できないメンバーもいたし、気持ちは4年生でも、それに行動が伴わないメンバーもいたに違いない。「Fight Hard」というスローガンで結束し「俺がチームを勝たせる」といっても、日常の行動に濃淡があったことも否めない。
 それはしかし、例年のチームも同様である。スタートする時期が異なり、冬季の練習メニューが変わっても、ファイターズで活動する選手、部員の目指すべき目標は常にこの世界の「てっぺん」であり続けた。そこは、4連覇がスタートした松岡主将の代から、いやそれ以前のチームを含め、歴代の学年が新たな歴史を刻むべく立ち上がり、毎年、必死にその登山口を探し、ルートを切り開いてたどり着こうとした場所である。
 今年、山岸主将が率いるチームにとっても、それは同様である。
 たとえ、いまは未完成でも、ルートを見つけあぐねていても、28日から始まる秋のリーグ戦の中でその道を探し出し、自分たちを鍛え、高めあって頂上を目指すしかない。それがファイターズというチームの看板を背負う選手、部員全員に課せられた責務であり、使命である。
 その責務、使命をいかにして果たすか。
 それはファイターズの部員を名乗る一人一人の向上心と努力、献身にかかっている。4年生もなければ1年生もない。全員が同じ目標を目指し、同じ気持ちを持って日々戦うしかないのである。
 それは、試合会場だけで試されることではない。日々の練習、日々の学習への取り組み、そして大学への登下校に至るまで、すべての場所で問われることである。もっと言えば、よき部員が勝つのではなく、よき学生にこそ勝利の女神がほほえむのである。
 ファイターズの先輩たちは、そのことを自覚し、常に最善を目指して努力を重ねてきた。それが報われた年もあれば、報われない学年もあった。いえることはただ一つ。人並み外れた努力を抜きにてっぺんに上がったチームは一つもない。
 ライバルは常に爪を研いで向かってくる。それは最終戦の相手だけではない。どこもかしこも、ファイターズを倒すことに全力を挙げてくる。それをいかに跳ね返すか。
 「皮を切らせて骨を断つ」という言葉がある。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある」という言葉もある。さらに言えば「死中に活」という禅の言葉もある。それぞれが困難な戦いの中で、武術家や禅僧が実感として吐露した言葉である。困難な戦いを突破した者にこそ口にできる言葉である。
 2016年の出陣にあたり、ファイターズの諸君にこれらの言葉を贈りたい。是が非でも、これらの言葉をわが手につかんでくれ。健闘を祈る。
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