石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」

(16)直木賞のことなど

投稿日時:2014/07/18(金) 14:17rss

 親友の黒川博行さんが直木賞に決まった。日本のエンターテイメント小説の書き手の中では屈指の手練れだが、なぜか直木賞には縁がなく、これまで5回も候補に挙がりながら、受賞を逸してきた。
 けれども、今回の「破門」は、これまで以上に完成度が高く、僕は候補作に決まった時点で「今季の直木賞はこれで決まり」と、本人にも言い、周囲にもそれを公言してきた。誰よりも早くお祝いの気持ちをと、選考会当日に届くようにお祝いの品も贈った。
 予想通りだった。選考会のある17日の夕方は、甲東園の駅近くで関西学院の先生たちがつくるサークル「アメフト探検会」の集まりに参加させてもらっていたが、食事中にそのうれしい知らせが届いた。最初は黒川さんの奥さんから、続いて受賞作の装丁をしているブックデザイナーの多田和博さんから、さらに親しくしている文藝春秋の常務やうちの娘からも電話が入った。
 黒川さんの奥さんと言えば、僕が紀伊民報に掲載しているコラムを集めた「水鉄砲抄」の表紙の絵を描いてくれている日本画家だし、その本の装丁をしてくれているのが多田さんだ。多田さんはファイターズのホームページに書いているコラムを集めた「栄光への軌跡」の装丁を、いつも無料で引き受けてくれている。
 そういう、何かと縁のある仲間が作った本が直木賞に輝いた。うれしい。目出度い。思わず「めでた、めでたぁの、若松さぁまぁよう」と歌い出したくなるほどだった。
 実は、今でこそ僕は、ファイターズに血をたぎらせる「困ったおっさん」だが、その昔、朝日新聞社で記者をしていた頃は「大阪本社で一番の読書狂」として知られていた。新聞紙上に毎週1回、勝手な気ままな書評を10年以上も連載していたし、内藤陳さんが率いる「日本冒険小説協会」の熱心な会員でもあった。僕が担当していた書評で「今年の直木賞は『マークスの山』の?村薫さんで決まり」と出版直後に断言し、それが当たって、周囲から驚かれたこともある。
 70歳を目前にして、読書量はさすがに少なくなったが、それでも年間200冊以上は読んでいる。その読書が書く力を養い、考える力を鍛えてくれる。
 僕はいま、週末には関西学院大学の非常勤講師として、学生たちに小論文の指導をしているが、その根っこにあるのがこうした狂ったような読書の習慣と新聞記者としての熟練である。こうした経験があるから「自分の考えを深めること」「その考えを文章によって相手に伝えること」「そのためには、論理的な思考力を養わなければならない」なんぞという、およそ大雑把な授業でも、みんながまじめに聞いてくれるのである。
 友人の直木賞受賞から、僕の読書体験、そして小論文指導と話は拡散するばかり。いっこうにファイターズのコラムにはなってこない。われながらあきれ果てた話だが、もう少しおつきあいを願いたい。必ずファイターズの話に引き戻します。
 閑話休題。
 小論文指導の話を続ける。春学期も秋学期も、最後の授業では必ず「この講座を受講して」という題で、学生たちに授業の感想を書いてもらうが、それを読むと、学生たちがいま何を求めているかがよく分かる。
 彼らの求めていることをひとことでいうと、それは成長の実感である。春学期、彼らは文章を書くことに取り組んだ。はじめは書くことに自信がなかったが、何かのきっかけで「あっ、そうか。こう書けばいいんだ」というような実感を手にする。その実感を手にすると、次には見違えるような文章を書いてくる。成長の実感が自信になり、自らの内に秘めていた能力を開発することにつながるのである。
 その際、大事なことがある。先生が言うだけの人なのか、それとも実際に手本を見せられる人なのか、ということだ。
 例えば先日の授業では、福井地裁で画期的な判決があったのを受けて「原発について考える」という課題を与えた。学生たちはテレビで聞いたことなどを基に、苦しみながらなんとか60分間の制限時間内に800字の小論文を仕上げた。けれども、自信を持って書ききったという顔をしている子はほとんどいない。
 そんな彼らに翌週、同じテーマで僕が新聞に書いたコラムのコピーを配布した。「君らに書けというだけでは、説得力がない。だから僕も同じテーマに挑戦し、それを新聞のコラムに発表した。これを読んでいただければ、僕が添削したり、講評を書いたりしていることにも、多少の説得力は出てくるでしょう」という注釈付きである。
 すると、学生たちはなるほど、とうなずいてくれる。「同じテーマなのに、自分の小論文は欠陥だらけ、ところが先生の書いた文章は易しく書いているのに説得力がある。文章も読みやすい。この違いはどこにあるのか」「自分も先生の書くような文章が書いてみたい。がんばろう」ということになる。
 「学ぶ」は「真似」ぶ。身近に手本があれば、成長のきっかけをつかむ機会は多い。きっかけをつかめば、目標が具体的に意識できる。成長を実感した瞬間に道が開ける。そういう循環である。
 まるで、ファイターズの選手、スタッフの成長の軌跡と同じではないか。身近に手本を探し、それを真似ながら鍛錬する。何かで、成長の手応えをつかんだら、それがさらなる成長のエネルギーになる。選手として飛躍するのも、文章を書くのも、その意味では全く同じである。
 以上、今回は私事ばかりで、まことに恐縮だが、親友の直木賞受賞という慶事に免じてご寛恕を。
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