石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
(7)常住坐臥の心構え
このところ、週末ごとに試合がある。秋のリーグ戦は2週間に1回だが、それでも試合が終わればすぐに次の準備に追われる。時間がいくらあっても足りない状況だ。それが毎週ということになれば、選手やスタッフにとっては、その準備や運営に振り回される毎日だといっても過言ではなかろう。
しかし、それでも毎週、試合のスケジュールは組み込んでいかなければならない。本気で向かってくる対戦相手と、本気で向き合うことで、自らの弱さを知り、また自分の力が思い通りに伸びていることを実感できるからだ。ここ一番というプレーを成功させることで自信をつけ、失敗することで自らの至らなさを実感する。そんな機会は、日ごろ仲間内で重ねている練習ではなかなか得られない。
とりわけ、試合経験の少ない下級生にとっては、どんなに少ない出場機会であっても、試合に出てプレーをすることが最高の練習になる。日ごろの練習でできていることが試合でもできるか。相手が本気になってぶつかってきたときに、それを跳ね返せるか。相手のスピードにどこまで対抗できるか。仲間が失敗したときにそれをどうカバーするか。試したいことはいっぱいある。
かといって、毎週末に対戦する相手に備えた練習だけを意識していたら、基礎的な技術の習得や体力作りの時間が足りなくなる。ミーティングの時間も必要だし、大学生だから授業にも出なければならない。もちろん、休息の時間を確保することは大切だし、栄養も適切に補給する必要がある。さもないと、体力作りもままならない。
そういう「どれだけ時間があっても足りないような毎日」だからこそ、チームとしても、一人一人の部員にとっても、日ごろの心構え、取り組みが大切になる。グラウンドでチームの練習に参加しているときだけではなく、常住坐臥、生きているこの一瞬一瞬が自らを鍛える大切な時間となるのである。
江戸後期に活躍した平山行蔵(1759~1829)という武士がいる。剣術、槍術、柔術、弓術、馬術から大砲を撃つ術や水泳まで、あらゆる武芸に堪能で、儒学や兵法、農政から土木事業にまで通じていたという化け物のような人物である。道場の玄関に「他流試合勝手次第なり。飛び道具矢玉にても苦しからず」と書いていたというから、自分の技量には絶対の自信を持っていたのだろう。
体は当時としても小柄だったというから、多分、160センチにも達していなかったのではないか。
それでも、数え13、14歳ぐらいの時には土を詰めた俵(約60キロ)を担ぎ上げて両親を喜ばせた。中年の頃には、相撲界で一番の怪力とうたわれた大関・雷電が来訪。力比べを挑んできたときに、雷電が手に持つだけでやっとだった大筒を簡単に持ち上げたり、3度、互いに胸板を押し合い、3度とも相手を圧倒したりして「武士は違い候」と屈服させたエピソードがある。
この人の鍛え方がすさまじい。例えば「不断は朝起きして、幹周り3尺ばかりの立木を相手に8尺ばかりの樫の棒にて百遍づつ打たれ、その音で近所の人たちが起床した」とか「書物を読むときには、2尺四方の槻の木(ケヤキ)の板に座り、両方の拳をその板に打ち付けながら読む。そうして拳を鍛えた」という。
さらに、食事は玄米に味噌をつけて食べるだけ、着物は冬でも薄っぺらな袷(あわせ)一枚、足袋もはかなかった。寝るときも60歳を過ぎるまでは夜具を持たず、甲冑のまま土間に寝た。すべてはいざというときの備えであり、武士としての心構えだったという。
「夜具を持たず、土間に寝ている」という話に付随して、こんなエピソードも伝えられている。彼をひいきにしている老中、松平定信公があるとき、この話を当人に確認した上で、ならば布団を贈ろう、といってプレゼントしてくれたため、ようやく夜分は布団を掛けて寝るようになったが、それでも「初めの内は夜分、気味悪く候ひしが、慣れ候故か、次第に年寄る故か、いまは温かにしてよしと語られける」と語ったそうだ。
これらの話の多くは、平山のもとに親しく出入りしていた勝海舟の父、勝小吉が「平子龍先生遺事」(平凡社ライブラリー「夢粋独言」所収)という著書に「先生から直接聞いた話」として書き残している。
以上、常住坐臥、日ごろの心構えが大切、という話である。ファイターズの諸君にあっても、何かと参考になるのではないか。
グラウンドで練習している時間だけが自分を鍛える時間ではない。朝起きてから夜寝るまで、あらゆる機会を捉えて自らを鍛え、高めて行く。その成果を試合で確かめ、それを成長の糧にしていく。そういう舞台として、試合を位置づけていけば、毎試合「大漁」が期待できる。毎週の連戦を、収穫の場、試練の場として生かしてもらいたい。
今日も昼から日体大との対戦。かねてから期待している選手たち、とくに試合経験の少ない2年生が素晴らしいパフォーマンスを見せてくれそうな予感がする。楽しみだ。
しかし、それでも毎週、試合のスケジュールは組み込んでいかなければならない。本気で向かってくる対戦相手と、本気で向き合うことで、自らの弱さを知り、また自分の力が思い通りに伸びていることを実感できるからだ。ここ一番というプレーを成功させることで自信をつけ、失敗することで自らの至らなさを実感する。そんな機会は、日ごろ仲間内で重ねている練習ではなかなか得られない。
とりわけ、試合経験の少ない下級生にとっては、どんなに少ない出場機会であっても、試合に出てプレーをすることが最高の練習になる。日ごろの練習でできていることが試合でもできるか。相手が本気になってぶつかってきたときに、それを跳ね返せるか。相手のスピードにどこまで対抗できるか。仲間が失敗したときにそれをどうカバーするか。試したいことはいっぱいある。
かといって、毎週末に対戦する相手に備えた練習だけを意識していたら、基礎的な技術の習得や体力作りの時間が足りなくなる。ミーティングの時間も必要だし、大学生だから授業にも出なければならない。もちろん、休息の時間を確保することは大切だし、栄養も適切に補給する必要がある。さもないと、体力作りもままならない。
そういう「どれだけ時間があっても足りないような毎日」だからこそ、チームとしても、一人一人の部員にとっても、日ごろの心構え、取り組みが大切になる。グラウンドでチームの練習に参加しているときだけではなく、常住坐臥、生きているこの一瞬一瞬が自らを鍛える大切な時間となるのである。
江戸後期に活躍した平山行蔵(1759~1829)という武士がいる。剣術、槍術、柔術、弓術、馬術から大砲を撃つ術や水泳まで、あらゆる武芸に堪能で、儒学や兵法、農政から土木事業にまで通じていたという化け物のような人物である。道場の玄関に「他流試合勝手次第なり。飛び道具矢玉にても苦しからず」と書いていたというから、自分の技量には絶対の自信を持っていたのだろう。
体は当時としても小柄だったというから、多分、160センチにも達していなかったのではないか。
それでも、数え13、14歳ぐらいの時には土を詰めた俵(約60キロ)を担ぎ上げて両親を喜ばせた。中年の頃には、相撲界で一番の怪力とうたわれた大関・雷電が来訪。力比べを挑んできたときに、雷電が手に持つだけでやっとだった大筒を簡単に持ち上げたり、3度、互いに胸板を押し合い、3度とも相手を圧倒したりして「武士は違い候」と屈服させたエピソードがある。
この人の鍛え方がすさまじい。例えば「不断は朝起きして、幹周り3尺ばかりの立木を相手に8尺ばかりの樫の棒にて百遍づつ打たれ、その音で近所の人たちが起床した」とか「書物を読むときには、2尺四方の槻の木(ケヤキ)の板に座り、両方の拳をその板に打ち付けながら読む。そうして拳を鍛えた」という。
さらに、食事は玄米に味噌をつけて食べるだけ、着物は冬でも薄っぺらな袷(あわせ)一枚、足袋もはかなかった。寝るときも60歳を過ぎるまでは夜具を持たず、甲冑のまま土間に寝た。すべてはいざというときの備えであり、武士としての心構えだったという。
「夜具を持たず、土間に寝ている」という話に付随して、こんなエピソードも伝えられている。彼をひいきにしている老中、松平定信公があるとき、この話を当人に確認した上で、ならば布団を贈ろう、といってプレゼントしてくれたため、ようやく夜分は布団を掛けて寝るようになったが、それでも「初めの内は夜分、気味悪く候ひしが、慣れ候故か、次第に年寄る故か、いまは温かにしてよしと語られける」と語ったそうだ。
これらの話の多くは、平山のもとに親しく出入りしていた勝海舟の父、勝小吉が「平子龍先生遺事」(平凡社ライブラリー「夢粋独言」所収)という著書に「先生から直接聞いた話」として書き残している。
以上、常住坐臥、日ごろの心構えが大切、という話である。ファイターズの諸君にあっても、何かと参考になるのではないか。
グラウンドで練習している時間だけが自分を鍛える時間ではない。朝起きてから夜寝るまで、あらゆる機会を捉えて自らを鍛え、高めて行く。その成果を試合で確かめ、それを成長の糧にしていく。そういう舞台として、試合を位置づけていけば、毎試合「大漁」が期待できる。毎週の連戦を、収穫の場、試練の場として生かしてもらいたい。
今日も昼から日体大との対戦。かねてから期待している選手たち、とくに試合経験の少ない2年生が素晴らしいパフォーマンスを見せてくれそうな予感がする。楽しみだ。
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