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OB5氏が殿堂入り

2018/01/03

 本学の5名の卒業生が日本アメリカンフットボール殿堂に顕彰され、1月3日のライスボウルで表彰されました。関西学院大学出身者ではこれまでに米田満氏、古川明氏、武田建氏が顕彰されており、今回で計8名が殿堂入りしたことになります。

日本協会リリースページ⇒http://americanfootball.jp/archives/1439

井床 由夫(いとこ・よしお)
1927年~2008年
 関西学院大学が甲子園ボウル初出場の1949年第4回大会 にエンドとして出場。180cmの身長、体重80kgの大型ラインとして活躍。ブロック、パスキャッチ、ランニングに加え、パス力とフットボールのすべての動きに長けたプレーヤー。同大会では、第1Q3分、ダブルリバースからのボールを受け、先制のタッチダウンをあげる。また翌1950年副将となり、第 5回甲子園ボウルでは守備ではライン中央を守り相手の攻撃 を抑えるとともに、4Qではダブルリバースを受けてから、勝利を決定づけるタッチダウンパスを成功させ、関西学院大学 2連覇に貢献。

高橋 治男(たかはし・はるお)
1930年~現在
 戦後始まった我が国における旧制中学(奈良中学)タッチフットボールの1期生。関西学院高等部から1949年、関西学院大学に進み、180cm、80kgの俊足、大型のフルバックとして、その突進力を生かし4年間レギュラーとして活躍し、4回の甲子園ボウルにも出場。ランのみならず、パス、キックともに兼ね備えた活躍で、関西学院大学シングルウイングフォーメーションではラン、ブロックを生かし原動力となり攻守に出場、チームの勝利に貢献する。卒業後は、関西学院高等部の教員、関西学院大学教授として関西学院フットボールの推進に寄与。

徳永 義雄(とくなが・よしお)
1930年~2001年
 戦後始まった我が国における旧制中学(豊中中学)タッチフットボールの1期生。関西学院高等部から関西学院大学に進み、パス、ラン、パントとも、卓越した能力で活躍。リーグ初優勝に貢献。続く1949年第4回甲子園ボウルでは1年生ながらハーフバックとして攻守に出場。攻撃ではダブルリバースのプレーで先制点を挙げ、守備では自陣5ヤードでパスをインターセプト、95ヤードのリターンタッチダウンをあげた。1966年、1967年の2年間、関西学院大学の監督を務め、両年リーグ優勝に導くとともに1967年では甲子園ボウル優勝を果たす。また関西アメリカンフットボール協会理事としてフットボールの発展に寄与。

鈴木 智之(すずき・ともゆき)
1934年~2016年
 中学からフットボールを開始。関西学院大学では、2年生からレギュラーのQBとして活躍。米国のフットボールの書籍などからフォーメーションを研究、確実なフォワードパスとともに走れるQBとして活躍。3年で出場した1955年第10回甲子園ボウルでは、劣勢で迎えた第4Q残り10数秒で同点のタッチダウンパスを成功させ、引分け両校優勝への原動力となった。この試合を含め、レギュラーとして出場した甲子園ボウルで3連勝する。攻守に出場し守備でもラインバッカーとして活躍。卒業後も経済人としてフットボール活動を支援。特に社会人フットボールの支援と大学チームとの連携に寄与。

木谷 直行(きたに・なおゆき)
1935年~現在
 関西学院中学部タッチフットボール部創部メンバーの一員で、その後、関西学院高等部、関西学院大学で10年間、ガードとして活躍。高校王座2連覇、そして大学4年間は、全試合無敗の成績のラインとしての功労者。特に1956年、4年主将として出場した第11回甲子園ボウルでは、自身の鉄壁な守備とチームの統率で相手の攻撃を完封、同大学甲子園ボウル4連覇を達成。同シーズンの第10回ライスボウルでも主将として全関西をまとめ7年ぶりの勝利の原動力となる。また西宮ボウルに10年連続出場、関西学院大学のコーチに就任し指導者としても活躍。後楽園球場の人工芝化の記念で開催された1976年のグリーンボウルでは、監督として西日本選抜チームを率いた。

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