川口仁「日本アメリカンフットボール史-フットボールとその時代-」 2009/6

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#36 U19

投稿日時:2009/06/23(火) 06:46

 sky・AのKさんと相談ごとがあって上ケ原に出かけた。KさんがU19の合宿取材に行くと言う。その場所が上ケ原、つまり関西学院のフットボール・フィールドである。ちょうどU19の合宿初日の練習日に当たっていたのでそれも見せてもらうことにした。関西学院のフィールドは第3フィールドと呼ばれていて、今年は19日に関々戦が行われる。スタンドが以前よりさらに整備されていて有料ゲームが十分に開催できる。ここ最近は高校のフィールドも人工芝が貼られ、その普及は年々早まっている。日本の人工芝メーカーも確か5,6社あるはずだ。サッカーのワールド・カップ、ヨーロッパ予選も人工芝を認めるようになった。また、NFL、マイアミ・ドルフィンズの天才QBダン・マリーノが自然芝上のなんの障害も考えられない条件下でアキレス腱を切ったりしたから自然芝信仰もトーン・ダウンしてきている。特に日本ではフットボールは1日に数試合するのでメンテナンスの面から言って人工芝が合理的である。

 ワールド・カップがきっかけになって神戸にウイング・スタジアムが建設された。しかしワールド・カップ終了後自然芝が根付かず、関学・京大戦、社会人のジャパンXボウルが招聘されたが、苔の上でプレーするがごとくずるずると滑って、とても危険だった。長いクリーツ、いわばフットボール用の太いスパイクのようなものでも対応できなかった。

 爽やかな風が渡ってゆくスタンド中段でU19の練習の始まるのを待っていると、「こんにちわ、」と上の方から声をかけられた。見れば関西大学の板井ヘッドコーチだった。先日、甲子園ボウルを盛り上げる会の二次会で名刺を交換した。一緒にマスコミ志望の女子マネージャーを同行してきていた。彼女の質問に応えていたら2次会は終わってしまった。参加者のある人の奥さんが別のところで飲んでいるのでそれと合流することになった。板井HCとはそこで隣り合わせになり、いろいろなことを話して意気投合した。企業にあって日々、煩悩で磨耗している人間からは失せてしまう武道家の趣があり、「サムライ」と言う印象を受けた。板井HCとは1993年の関学・京大戦が終わったあと、ある場所で隣り合わせになった。敗軍のキャプテンであったので声をかけなかった。ぼくはその前の年から、関西テレビで始まったフットボールのプログラム「KTVタッチダウン」のプロデューサー兼制作アドバイザーをしていた。したがって関西学生リーグの全ゲームに立ち会っていたからそうした場面に行きあうことになった。

 選手たちが現れ始めたころU19の監督になった大阪産業大学付属高校の山嵜先生もやってきて挨拶を交わした。もう、20数年来の旧知である。産大高校は周りからは恵まれた環境のように思われているがそれはあらかじめ用意されていたものではなく、山嵜先生が一から手作りで営々と築き上げてきた長期間に渡る地道で孤独な事業である。生徒の指導に優れており、選手の良い部分、またそのときどきの選手の調子を見極める力は天才的である。特に昨年のクリスマス・ボウル、リードされた産大高校の最終クォーター残り1分からの連続スィープ・プレーによる逆転劇は圧巻だった。一緒に見ていた関西の高校フットボールの指導者の方々からその力強い気迫にあふれたプレー選択に感嘆の声が続いて上がった。NFL、カレッジ、国内のゲーム、すべてのフットボール観戦の中でもあのシリーズは印象度ナンバー・ワンだった。

 アメリカ遠征でも山嵜先生が素晴らしい結果をもたらされることを祈っている。開催場所がNFLのホール・オブ・フェイムがあるキャントンなので遠征に同行したかったのだが、仕事のため、いかんともしがたい。一度訪ずれたことがあるが何度でも行きたい場所のひとつだ。従軍記者になるsky・AのKさんによればJAPANが順位決定戦まで進めばESPNの素材を買い、ノーカットで放送されるというから、初戦のドイツ戦の必勝を願っている。

 第3フィールドと練習開始
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#35 ホッと、一息

投稿日時:2009/06/12(金) 11:01

 ここ2ヶ月ばかり、仕事が立て込んでいた。従って、ブログもご無沙汰していた。

 ホッと一息の時間ができたのでうちの奥さんをさそってピクニックに草津まででかけた。

 今年の春の立命を見ていない。
 立命のホーム・ページを見ると5月31日は早稲田戦になっていた。奥さんにはそれは伏せて立命の草津キャンパスはとてもキレイだから見に行こうとだけ言っておいた。

 天気は良し、風はさわやかである。
 南草津の駅前から日曜でもバスは1時間に何本も出ている。学生さんには便利だろう。

 バスがキャンパスに着いてクインス・スタジアムに行ったが、ちいさな子供たちが遊んでいるばかりでゲームの気配がない。散歩しているとフットボール部員募集の立看板があった。電話番号が書いてあるのでかけてみた。

 グリーン・フィールドという正門を出てからおおよそ7分くらいのところでゲームがあるという。キック・オフまでに時間があったのでキャンパスを散策した。とてもスケールが大きく綺麗である。漢字で書かず、「キレイ」と書くとそのほとんどのものがこぼれ落ちてしまう。アメリカ・サイズである。

 街路樹を見て奥さんが「あっ、ゆりの木」と言った。彼女のお気に入りの樹で、自分の工房を「アトリエゆりの木」と名付けている。成長すると60mほどの大木になると教えてくれた。工房の看板をかかげているが、実績は昨年、手作りのゆすら梅のジャムを作ったにとどまっている。ジャムは瓶に詰めて、ぼくが実の写真を撮りラベル・デザインした。ラッピングは彼女の得意で、3瓶作った。このジャムをバニラ・アイスクリームにかけるととても美味しかった。子供たち家族にもおすそわけした。母が苗木から育てて3年目に初めて実をつけた。しかし、今年は収穫の前にひとつ残らず小鳥たちの豪華なる晩餐になってしまったので母はとても残念がっていた。

 1Qが始まった時にグリーン・フィールドにたどり着いた。早稲田とは違う色のジャージのチームが相手だった。我が社会人フットボールのチームだった。立命はセカンド・ストリングのQBだった。エンジンがかからない。その後に、松田大司(ひろし)君が出るとターボ・エンジンにチャージしたようにオフェンスの回転数が上がってすぐに点を取った。彼が関西大倉高校に在学中、松田君のお父さんと我が町のフットボーラーの集まるスナックでご一緒してお話をしたことがある。

 グリーン・フィールドは人工芝で、夜間照明がついており、それが2面もあった。クラブハウスも大きい。

 ミシガン大学ののちに高名なヘッドコーチになる、ボー・シェンベックラーがフットボール部に赴任してきたとき、服のハンガー掛けがコーチ室になかったので訊いたら、壁に打ち込んだ釘を指さされた、と自伝に書いていたことを思い出した。パンサーズのロッカールームにはとても立派なハンガー掛けがあるであろうことは外観から容易に想像がついた。

 風は爽やかだが日差しはきつい。奥さんには長くフットボール・ウィドウをさせてきているので長居は禁物である。ゲームの趨勢は1Qですでに見えたので早々に切り上げ、梅田まで出て少し早いめの夕食に行った。うまい中華の店に連れて行く。いつも通りの味で彼女は大満足である。心理学の系列効果が働いて、最後の料理がおいしかったので一日すべてが素晴らしかったと錯覚し、フットボールも楽しかったことの仲間に入れてもらった。

 まずは、めでたし、めでたしの一日が終わった。

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