主務ブログ2025
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“厳しさ”
投稿日時:2009/04/11(土) 00:40
桜の花と新入生達にキャンパスが彩られ、活気があふれる時期になりました。三年前を懐かしく感じます。こんにちは、主務の三井です。
さて、今回は、前回お話ししていた通り、“厳しさ”の本質について書きたいと思います。
“厳しい”。デジタル大辞泉によると、「1.厳格で少しのゆるみも許さないさま。厳重である。2.いいかげんな対処が許されないさま。困難が多くて、大変なさま。3.自然現象などの程度が著しいさま。4.物事の状態が緊張・緊迫しているさま。…」となっています。厳しいと一言で言っても、これほどの意味を含んでいるのです。では、日本一を目指す取り組みの上で、“厳しく取り組む”とはどういうことなのでしょうか?
私は、上記の1.と2.の“厳しい”が当てはまると思います。練習中に少しのゆるみも許してはいけないし、いいかげんな練習やいいかげんな仕事も許してはいけません。要は、妥協なく取り組むということだと思います。
妥協なく取り組むという事が“厳しい”ということだとしても、厳しくするということと、しんどくするということとは全くの別物であると思います。厳しくした結果、しんどいという事はあるかもしれません(というか、ほぼ間違いなくしんどいのですが)。しかし、練習や行動の本質をとらえて、その本質を妥協なく追求し続けるということが真の厳しさのであると思います。ただただしんどいことをするというのは訳が違います。
また、“厳しい”とは二元的な意味をはらんだ言葉です。自らに課す厳しさと、周りに対して要求する厳しさです。この両方を部員全員が持ち合わせなければなりません。ストレングスコーチの油谷さんが「自分が決めたことをやり通すのが一番厳しい」とミーティングの際話してくれましたが、確かに自分が決めたことを完璧にやり通すことは、自分に対して相当厳しくないとできないことです。しかし、自分に対して一切の妥協なくやり切れる人間なんて、滅多にいるものではありません。自分ではやっているつもりでも、周りから見ればもっと厳しく取り組めるということは多々あります。だからこそ、他人に対しても厳しくならなければならないのです。自分に厳しくなりきれていないものを、戒めていかなくてはならない。そうすることで、お互いが自らに対して厳しくなっていけると考えます。
とは言うものの、絶対に勘違いしてはならないのは、自分に対して厳しくしようともせずに、他人に対してのみ厳しくするのでは全く意味がないということです。まずは、自分に対して厳しくすることが始まりです。自分が妥協なく取り組もうとすることです。その上で他人に対しても厳しくすることで、その人の言葉に重みが出てくるのです。
この4月に大村さんが新たにコーチに就任しました。大村さんのお陰で、確実に環境は“厳しい”ものに変化しました。しかし、コーチの力を借りての変化だけでは日本一には届きません。我々、部員一人一人が変わらなければなりません。
初戦まで後一週間強。昨年立命に負けてから今までの自分達の取り組み、大村さんが来てくださってからの成長した部分、まだまだ足りない部分など様々なものが顕著に出ると思います。次回はそのもろもろについて書きたいと思います。
では、今回はこの辺りで失礼致します。
さて、今回は、前回お話ししていた通り、“厳しさ”の本質について書きたいと思います。
“厳しい”。デジタル大辞泉によると、「1.厳格で少しのゆるみも許さないさま。厳重である。2.いいかげんな対処が許されないさま。困難が多くて、大変なさま。3.自然現象などの程度が著しいさま。4.物事の状態が緊張・緊迫しているさま。…」となっています。厳しいと一言で言っても、これほどの意味を含んでいるのです。では、日本一を目指す取り組みの上で、“厳しく取り組む”とはどういうことなのでしょうか?
私は、上記の1.と2.の“厳しい”が当てはまると思います。練習中に少しのゆるみも許してはいけないし、いいかげんな練習やいいかげんな仕事も許してはいけません。要は、妥協なく取り組むということだと思います。
妥協なく取り組むという事が“厳しい”ということだとしても、厳しくするということと、しんどくするということとは全くの別物であると思います。厳しくした結果、しんどいという事はあるかもしれません(というか、ほぼ間違いなくしんどいのですが)。しかし、練習や行動の本質をとらえて、その本質を妥協なく追求し続けるということが真の厳しさのであると思います。ただただしんどいことをするというのは訳が違います。
また、“厳しい”とは二元的な意味をはらんだ言葉です。自らに課す厳しさと、周りに対して要求する厳しさです。この両方を部員全員が持ち合わせなければなりません。ストレングスコーチの油谷さんが「自分が決めたことをやり通すのが一番厳しい」とミーティングの際話してくれましたが、確かに自分が決めたことを完璧にやり通すことは、自分に対して相当厳しくないとできないことです。しかし、自分に対して一切の妥協なくやり切れる人間なんて、滅多にいるものではありません。自分ではやっているつもりでも、周りから見ればもっと厳しく取り組めるということは多々あります。だからこそ、他人に対しても厳しくならなければならないのです。自分に厳しくなりきれていないものを、戒めていかなくてはならない。そうすることで、お互いが自らに対して厳しくなっていけると考えます。
とは言うものの、絶対に勘違いしてはならないのは、自分に対して厳しくしようともせずに、他人に対してのみ厳しくするのでは全く意味がないということです。まずは、自分に対して厳しくすることが始まりです。自分が妥協なく取り組もうとすることです。その上で他人に対しても厳しくすることで、その人の言葉に重みが出てくるのです。
この4月に大村さんが新たにコーチに就任しました。大村さんのお陰で、確実に環境は“厳しい”ものに変化しました。しかし、コーチの力を借りての変化だけでは日本一には届きません。我々、部員一人一人が変わらなければなりません。
初戦まで後一週間強。昨年立命に負けてから今までの自分達の取り組み、大村さんが来てくださってからの成長した部分、まだまだ足りない部分など様々なものが顕著に出ると思います。次回はそのもろもろについて書きたいと思います。
では、今回はこの辺りで失礼致します。
「日本一にふさわしい行動」をする集団を目指して
投稿日時:2009/03/31(火) 01:15
スギの次はヒノキですか…。さらに、黄砂のおまけ付き…。鼻水・目のかゆみetc...もう勘弁して下さい。こんにちは、主務の三井です。
さて、3月30日(月曜日)に2009年度の部則をチームに発表しました。今年は、例年以上に厳しくなったと感じる下級生もいることでしょう。確かに、部則を破ったときにはそれなりの責任を取ってもらうようにしました。しかし、FIGHTERSの部則は、超一流を目指す者なら、本来、当然に、自ら戒めなければならないことを明文化したものです。つまり、日本一にふさわしい行動とは何かを示したものです。故に、わざわざ部則として示さなくとも、できているのが当たり前なのです。したがって、それを破った者にはそれなりの責任を取ってもらうように決めました。それを厳しいと感じているようでは、到底日本一になんてなれません。
しかしながら、厳しい責任の取り方を設けなければ守れないのも、また、現実です。監督も筋力トレーニングに関して頻繁に同様のことを口にしていますが、これは恥ずかしいことだと感じます。 “わざわざ罰を決められなければできない、守れない”ではダメなのです。これでは、「人に言われるからそうしよう」というのとなんら変わりません。超一流を目指すということはどういうことなのか、そのために何が必要なのかを自ら考え、行動した結果として、部則で決められていることをきちんとできたり、トレーニングをちゃんとしたりでなければ意味がありません。縛られてやっているうちは二流です。
今年中には“部則”という縛りをなくしても、全員が「日本一にふさわしい行動」をとれるような超一流の集団にします。今はまだまだ、日本一にふさわしくない行動が目につきます。しかし、それを上級生が厳しく指導、注意し、その深意を説くことで下級生を変えていかなければなりません。
監督が下級生の面談の際に必ず聞く質問があります。「厳しい先輩誰?そんな奴、おった?」。来年はこの質問に対して「去年の4年生全員です。」と言わせるような取り組みをしていきます。もちろん、初めから「厳しいって言われたんねん」と思って取り組むのではありません。そういわれるのは、あくまでも我々が日本一になるために本気で取り組んだ結果として、です。本気で日本一になりたいと想えば、自然と厳しく要求でき、結果として「あの人は厳しかった」となるのです。
4月1日から全体練習が始まります。プレーのことに関しても、日常生活に関しても、厳しく要求していきます。
厳しい、厳しいと連呼していますが、その本質については次回にさせていただいて、今回はこのあたりで失礼いたします。
さて、3月30日(月曜日)に2009年度の部則をチームに発表しました。今年は、例年以上に厳しくなったと感じる下級生もいることでしょう。確かに、部則を破ったときにはそれなりの責任を取ってもらうようにしました。しかし、FIGHTERSの部則は、超一流を目指す者なら、本来、当然に、自ら戒めなければならないことを明文化したものです。つまり、日本一にふさわしい行動とは何かを示したものです。故に、わざわざ部則として示さなくとも、できているのが当たり前なのです。したがって、それを破った者にはそれなりの責任を取ってもらうように決めました。それを厳しいと感じているようでは、到底日本一になんてなれません。
しかしながら、厳しい責任の取り方を設けなければ守れないのも、また、現実です。監督も筋力トレーニングに関して頻繁に同様のことを口にしていますが、これは恥ずかしいことだと感じます。 “わざわざ罰を決められなければできない、守れない”ではダメなのです。これでは、「人に言われるからそうしよう」というのとなんら変わりません。超一流を目指すということはどういうことなのか、そのために何が必要なのかを自ら考え、行動した結果として、部則で決められていることをきちんとできたり、トレーニングをちゃんとしたりでなければ意味がありません。縛られてやっているうちは二流です。
今年中には“部則”という縛りをなくしても、全員が「日本一にふさわしい行動」をとれるような超一流の集団にします。今はまだまだ、日本一にふさわしくない行動が目につきます。しかし、それを上級生が厳しく指導、注意し、その深意を説くことで下級生を変えていかなければなりません。
監督が下級生の面談の際に必ず聞く質問があります。「厳しい先輩誰?そんな奴、おった?」。来年はこの質問に対して「去年の4年生全員です。」と言わせるような取り組みをしていきます。もちろん、初めから「厳しいって言われたんねん」と思って取り組むのではありません。そういわれるのは、あくまでも我々が日本一になるために本気で取り組んだ結果として、です。本気で日本一になりたいと想えば、自然と厳しく要求でき、結果として「あの人は厳しかった」となるのです。
4月1日から全体練習が始まります。プレーのことに関しても、日常生活に関しても、厳しく要求していきます。
厳しい、厳しいと連呼していますが、その本質については次回にさせていただいて、今回はこのあたりで失礼いたします。
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