主務ブログ2025
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目の前の1プレーに
投稿日時:2025/11/08(土) 23:39
私たちはいつも皆様の熱いご声援から本当に大きなパワーをいただいています。関西大学戦、そして神戸大学戦では、京都の地まで多くの方々がスタジアムまで足を運んでくださり、たくさんのご声援を送っていただきました。本当にありがとうございました。
正直、関西大学戦のことを思い出すと今でも悔しくてたまりませんが、関西大学戦の結果を事実として受け止め、「自分たちに何が足りなかったのか」「どうすれば勝てるのか」を日々考えながら練習に取り組んできました。
関西大学戦は「今の私たちに一番足りないものは何なのか」に気付かされた試合でした。私たちには「目の前の1プレーに懸ける想い」が欠けていました。なぜ、目の前の1プレーに全力を注ぎきれないのか。なぜ、試合でやってはいけないミスをしてしまうのか。
その原因は、「上ケ原での1プレー」と「ビッグゲームでの1プレー」を区別してしまっていたことにありました。
日々の練習からビッグゲームの1プレーと同じ緊張感でやるためには、練習で起こったミスに対して求め続けなければいけません。そして、えげつない緊張感の中、ストレスのかかったしんどくて苦しい「生きるか死ぬかの練習」を上ケ原で体現しなければならないのに、それができていませんでした。そのような練習を日頃から繰り返していった先に、「あとはやるだけ」という覚悟が生まれて、試合で思い切りプレーができるのではないかと思います。
神大戦ではオフェンス、ディフェンス、キッキングで目立ったミスも少なく良い試合に見えたかもしれませんが、細部を見るとまだまだ細かいミスがあり、日本一のレベルでは到底ありません。
先日の練習後のハドルで香山コーチがこう仰っていました。
「勝利の女神は、細部にまでこだわった者にしか微笑まない。今起きているミスを、試合までに徹底的に詰め切れ。」
試合までの残された時間で、1分1秒無駄にせず、最後の最後までやり続けます。立命館大学にどこで勝負するのか。自分たちはどんなフットボールをしたいのか。そのこだわりをチーム全員でもう一度再確認し、試合で体現していきます。
「自分のプレーでチームを勝たせたんねん」と全員が腹を括り、この一戦に全てを懸けます。
試合当日は雨予報ですが、青い服を身につけ、スタンドから熱いご声援のほどよろしくお願いいたします。
正直、関西大学戦のことを思い出すと今でも悔しくてたまりませんが、関西大学戦の結果を事実として受け止め、「自分たちに何が足りなかったのか」「どうすれば勝てるのか」を日々考えながら練習に取り組んできました。
関西大学戦は「今の私たちに一番足りないものは何なのか」に気付かされた試合でした。私たちには「目の前の1プレーに懸ける想い」が欠けていました。なぜ、目の前の1プレーに全力を注ぎきれないのか。なぜ、試合でやってはいけないミスをしてしまうのか。
その原因は、「上ケ原での1プレー」と「ビッグゲームでの1プレー」を区別してしまっていたことにありました。
日々の練習からビッグゲームの1プレーと同じ緊張感でやるためには、練習で起こったミスに対して求め続けなければいけません。そして、えげつない緊張感の中、ストレスのかかったしんどくて苦しい「生きるか死ぬかの練習」を上ケ原で体現しなければならないのに、それができていませんでした。そのような練習を日頃から繰り返していった先に、「あとはやるだけ」という覚悟が生まれて、試合で思い切りプレーができるのではないかと思います。
神大戦ではオフェンス、ディフェンス、キッキングで目立ったミスも少なく良い試合に見えたかもしれませんが、細部を見るとまだまだ細かいミスがあり、日本一のレベルでは到底ありません。
先日の練習後のハドルで香山コーチがこう仰っていました。
「勝利の女神は、細部にまでこだわった者にしか微笑まない。今起きているミスを、試合までに徹底的に詰め切れ。」
試合までの残された時間で、1分1秒無駄にせず、最後の最後までやり続けます。立命館大学にどこで勝負するのか。自分たちはどんなフットボールをしたいのか。そのこだわりをチーム全員でもう一度再確認し、試合で体現していきます。
「自分のプレーでチームを勝たせたんねん」と全員が腹を括り、この一戦に全てを懸けます。
試合当日は雨予報ですが、青い服を身につけ、スタンドから熱いご声援のほどよろしくお願いいたします。
「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり」
投稿日時:2025/10/12(日) 21:07
運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり、
何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし。
死なんと戦えば生き、
生きんと戦えば必ず死するものなり。
この言葉は上杉謙信の居城「春日山城」の壁に書かれていた「春日山城壁書」の一節です。私は、この言葉をフットボールに置き換えながら次のように解釈しました。
「最後の運は天が決めるけれど、自分が今できる準備を徹底的に行い努力し続けることによって、運を引き寄せ勝利を掴める。だからこそ、勝負を天の運任せにせず、自分が今できる目の前のことと戦う相手にフォーカスして試合に臨まなければいけない。試合に臨むにあたり、死ぬ覚悟で戦えば生き(勝利)、生きたいと思いながら戦えば死ぬ(敗北)。」
ここに書いてあるように、最後の運は天が決めます。しかし、その運を引き寄せるかどうかは、自分自身の準備と努力次第です。だからこそ、勝負を運任せにせず、「自分が今できること」と「目の前の相手」に集中して試合に臨むことが大切です。「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり」という言葉には、覚悟の重要性が込められていると思います。
いよいよ明日、関西大学戦を迎えます。
関西大学は、この試合に全てを懸けて、死ぬ気で向かってくると思います。そんな相手に対して、私たちはどのような気持ちで試合に臨むべきか。私は、次の試合を見据えた戦い方ではなく、この一戦にすべてを懸ける気持ちが必要だと思います。「攻めて、攻めて、攻めまくる姿勢」と「全身全霊で勝ちをもぎ取りにいく強い気持ち」を持って臨まなければいけません。
リーグ戦の先にトーナメントがあり、たとえこの試合に負けたとしてもすべてが終わるわけではありませんが、「負けたら終わり」という覚悟を持って試合に挑むことが勝利を手繰り寄せる力になります。上杉謙信の言葉にもあるように、部員全員が死ぬ覚悟で全てを懸けて戦うことができれば、必ず勝利できると思います。
試合とはこれまでの準備を出し切る場です。相手がどうこうではなく、自分たちがやってきたことを出し切るだけです。だからこそ、準備が何よりも大切なのです。「これだけやれば勝てる」という明確な基準は存在しないからこそ、準備に終わりはありません。1分1秒を無駄にせず、できることを最後の最後まで妥協することなくやり続けます。そして、最後に部員全員でもう一度腹を括り、覚悟を決めて試合に臨みます。
何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし。
死なんと戦えば生き、
生きんと戦えば必ず死するものなり。
この言葉は上杉謙信の居城「春日山城」の壁に書かれていた「春日山城壁書」の一節です。私は、この言葉をフットボールに置き換えながら次のように解釈しました。
「最後の運は天が決めるけれど、自分が今できる準備を徹底的に行い努力し続けることによって、運を引き寄せ勝利を掴める。だからこそ、勝負を天の運任せにせず、自分が今できる目の前のことと戦う相手にフォーカスして試合に臨まなければいけない。試合に臨むにあたり、死ぬ覚悟で戦えば生き(勝利)、生きたいと思いながら戦えば死ぬ(敗北)。」
ここに書いてあるように、最後の運は天が決めます。しかし、その運を引き寄せるかどうかは、自分自身の準備と努力次第です。だからこそ、勝負を運任せにせず、「自分が今できること」と「目の前の相手」に集中して試合に臨むことが大切です。「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり」という言葉には、覚悟の重要性が込められていると思います。
いよいよ明日、関西大学戦を迎えます。
関西大学は、この試合に全てを懸けて、死ぬ気で向かってくると思います。そんな相手に対して、私たちはどのような気持ちで試合に臨むべきか。私は、次の試合を見据えた戦い方ではなく、この一戦にすべてを懸ける気持ちが必要だと思います。「攻めて、攻めて、攻めまくる姿勢」と「全身全霊で勝ちをもぎ取りにいく強い気持ち」を持って臨まなければいけません。
リーグ戦の先にトーナメントがあり、たとえこの試合に負けたとしてもすべてが終わるわけではありませんが、「負けたら終わり」という覚悟を持って試合に挑むことが勝利を手繰り寄せる力になります。上杉謙信の言葉にもあるように、部員全員が死ぬ覚悟で全てを懸けて戦うことができれば、必ず勝利できると思います。
試合とはこれまでの準備を出し切る場です。相手がどうこうではなく、自分たちがやってきたことを出し切るだけです。だからこそ、準備が何よりも大切なのです。「これだけやれば勝てる」という明確な基準は存在しないからこそ、準備に終わりはありません。1分1秒を無駄にせず、できることを最後の最後まで妥協することなくやり続けます。そして、最後に部員全員でもう一度腹を括り、覚悟を決めて試合に臨みます。
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