川口仁「日本アメリカンフットボール史-フットボールとその時代-」

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#43 3200万円のブランドとニューヨーク市長

投稿日時:2013/02/19(火) 22:43

 前回書いた時よりほぼ3年間が空いてしまった。いろいろと世俗の事情があり、書く暇なくすごした。主だったいくつかのことが済んだので今より再開します。2016年初頭には『関西アメリカンフットボール史』に続いて『日本アメリカンフットボール史』の出版を予定しておりますのでよろしくお願いします。

 先日、ある会議で雑談として以下のような話を聞いた。
 オレオレ詐欺があって、KG・ファイターズがそのダシに使われたという。年配の婦人のところに息子という人物から電話があった。
 「お母さん、ファイターズに寄付をしたいので現金で3200万円用意して欲しい。」
 その婦人はすぐにお金を引出し、使いのものと称する人物に渡した。オレオレ詐欺と知ったのはかなりあとになってからだという。
 都市伝説であろう。200万円というのが半端である。もし事実としたら少なくともファイターズにそれほどの価値を認めている人がいる、ということになる。そんな方がいれば一報いただきたい。地球の裏側でも直ちに受け取りに行きます。
 アメリカでは『フォーブス』という経済雑誌がプロのスポーツ・クラブの価値をランキングする。サッカーのマンUが一番でそれ以下、MLBのNYヤンキースとNFLのダラス・カウボーイズが双璧である。数年前のはなしではあるが、カウボーイズの価値は1000億円を超えていた。
 カレッジ・フットボールの場合はファン・クラブの最高位のメンバーになるとホーム・ゲームのとき、スタジアムのゲートに一番近い所に駐車することができる、というようなメリットをつけているチームもある。全米ランキングで25位以内に入るような強豪チームに寄付し、最上位のメリットをうけるためには、10万ドル程度の寄付が必要である。ここのところ円安傾向だが、今日2月19日現在、1アメリカ・ドルを約93円として930万円ということになる。
 オレオレ話が創作されたものとしても最初に言い出した人物はある程度以上の金額、おそらく数百万円という数字をいったのではないかと思う。それが人と人へ伝わるうちに雪だるま式に3200万円にまで高騰したと考えると理解がゆく。
 こういう話が流布される時はチームにとって一番危ない時である。アメフト、サッカー、ラグビーの世界では、不祥事はチームがピークになるか、ピーク・アウトになった時に起こっている。
 以下、「上には上が」のはなし。共同通信の記事よりそのまま引用させていただく。

ブルームバーグNY市長、母校に寄付1000億円 ジョンズ・ホプキンス大へ
2013/1/28 10:54 【ニューヨーク=共同】
 米ジョンズ・ホプキンス大は27日までに、卒業生のブルームバーグ・ニューヨーク市長(70)による寄付が49年間で11億1800万ドル(約1020億円)に達したと発表した。同大は「米高等教育機関に10億ドルを寄付する初めての人物とみられる」と説明している。
ブルームバーグ氏は卒業の翌年の1965年に初めて5ドルを寄付。その後、84年の100万ドルなど寄付を積み重ねた。
 今回は3億5000万ドルを約束。このうち2億5000万ドルは水資源などの研究に、1億ドルは奨学金に充てられる。同氏は米経済通信社ブルームバーグの創業者で、米誌フォーブスによると、保有する資産は約250億ドル。

 過去に例をとれば、19世紀末ロックフェラーは当時の金で1000万ドルを寄付し、それを基金として、1890年に現在のシカゴ大学およびフットボール・チームが創設された。シカゴ大学はノーベル賞受賞を89人も排出している中西部の名門校である。

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#42 さくらんぼの実る頃

投稿日時:2010/05/22(土) 16:03

 奥さんが友人からさくらんぼをもらってきた。その人の庭で実を結んだという。スーパー・マーケットや果物屋で扱っているものの半分くらいの大きさだが春の空気が感じられてういういしい。

 昔、西宮球技場が関西のフットボールのメイン会場だった1970年代、1980年代、春の西日本選手権大会の一回戦の頃、球技場での観戦はさくらの花の下だった。季節の移ろいをさくらの花びらが風に舞う光景に感じた。王子スタジアムには土手があるので桜と紅葉を植えてはどうだろうか。春は花見、秋は紅葉狩りというのは興趣があると思う。

 西日本選手権はトーナメント形式で1955年(昭和30年)にはじまった。その前年には日本のアメリカンフットボール20周年の記念事業として東西対抗の西宮ボウルが実施された。この前後、フットボールはターニング・ポイントを迎える。戦前創部の9チームに加え、新しい大学チームが創設され始めた。1953年立命館大学、1955年甲南大学、1956年学習院大学、1957年防衛大学、1959年東京大学、日本体育大学。京都大学はこれに先立ち1947年にすでに創部していた。

 西日本選手権は当時はチーム数が少ないため、ゲームの機会を増やす目的でスタートした。大学4校、元大阪警視庁の選手を中心とした全大阪。現在の大阪府警は昭和20年代大阪警視庁と呼ばれ、1950年から1958年までチームがあった。その他、関西学院大学のOB中心の全神戸、関西大学OB中心の全奈良、池田高校OBらによる池田クラブの8チームが参加した。(※)第一回大会は関学が優勝している。

※『関西アメリカンフットボール史』P.60、p.61参照

 その後西日本選手権大会は、大学、社会人混成で続いたが、1984年、日本選手権の創設に伴い、チーム数の増加もあり、大学、社会人それぞれの大会として独立して運営されるようになった。時が経て、大学、社会人とも春のトーナメントの意味合いが薄れ、ここ数年前から交流戦となった。現在でもトーナメントの形を存続しているのは社会人のグリーン・ボウル・ジュニア・トーナメントのみとなった。このトーナメントは関西のX2リーグに加え、西日本全体、東は金沢、西は九州までをカバーし、普及の役割をはたしている。

 つけ加えれば、20周年記念の1954年、20周年を記して、第1回の西宮ボウルが西宮球場で行われた。西宮球場は1991年西宮スタジアムと改称され、2002年まで関西学生のメイン会場として使用された。西宮ボウルの初期はOBを加えた全関西、全関東の選抜チームの対戦が組まれた。このときは秋のシーズン直前の9月16日に開催されている。

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1980年代 西宮球技場の桜 (撮影 奥田秀樹)
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