石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2019/9

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(21)評価の難しい試合

投稿日時:2019/09/23(月) 07:22

 京大との試合が終わった後、監督やコーチの話を聞こうとグラウンドに降りると、親しくしている新聞記者がいた。普段の人なつこい表情とは違って、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
 「久しぶり。元気か」と声を掛けると、挨拶もそこそこに「見所のない試合でしたね」「これが鳥内監督最後の関京戦か、と思うと残念ですわ」と口を開く。
 彼にとって、京大と関学の戦いとは、ほかのどの試合にも増して、血湧き肉躍る試合。選手もスタッフも、もちろんコーチも監督も、いわばチームを挙げて特別の思いで臨む特別の試合である。それがシーズン開幕3戦目、まだまだ双方ともに発展途上の状態で戦い、双方ともにつまらない反則やミスで好機をつぶし合う試合展開に我慢がならなかったようだ。
 確かに、立ち上がりから、双方に「防げるはずの」ミスが出た。最初につまずいたのが先攻の京大。わずか2プレーでダウンを更新し、ハーフライン付近まで進んだのはいいが、そこから一気に陣地を進めようとしたパスの手元が狂う。それを逃さずDB平尾がインターセプト。相手守備陣はそれでもくじけず、関学に前進を許さない。簡単にパントに追い込み、再び京大の攻撃。
 「相手に振り回されている。いやだな」と思った瞬間、ここでLBのファインプレーが出る。相手ランプレーの動きだしを見切って、一直線でRBに突撃し、ロスタックル。そこで第4ダウン。たまらず相手はゴールライン間際からのパントを選択するが、そこで相手に致命的なミスが出る。パンターがボールをファンブルし、自らボールをリカバーせざるを得なかった。棚ぼたのようなゴール前2ヤードからRB三宅が中央を突破しTD。K安藤のキックで1点を追加し、7-0とリードする。
 思わぬ形で先制点を手にしたファイターズは、次の京大の攻撃を簡単に抑え、再びハーフライン付近からの攻撃。ここからファイタ-ズのラン攻撃が冴える。まずはWR糸川が14ヤードを走り、残る37ヤードをRB斎藤が2度に分けてゴールラインまで走り切る。
 第1Q終了間際に、ファイターズディフェンスが不用意な反則を犯し、それに乗じた京大が2Q早々、FGを決めたが、ファイターズの攻撃は順調。2Qに入って最初の攻撃は自陣25ヤードから。ここで奥野がWR阿部に17ヤードのパスを通し、RB三宅の17ヤードのラン、さらに三宅へのショベルパスとたたみかけてゴール前8ヤード。ここも最後は三宅が飛び込んでTD。21-3とリードを広げる。
 気がつけば、ファイターズは立ち上がりの第1シリーズこそ進まなかったが2、3、4シリーズはそれぞれTDで締めくくっており、今季初めてといっていいほどの安定した戦い振りだった。
 それは、オフェンスラインが今季初めてといってよいほど安定していたからだろう。故障でしばらく戦列を離れていたメンバーが相次いで復帰し、力強く相手ディフェンスを押し込んだからこそ、QBとWR、RBそれぞれの動きもよくなったと思われる。
 それでも、点差が思うように開かなかったのは、簡単に通ると思えたパスをレシーバーが落としたり、ターゲットへのコントロールが微妙に狂ったりしたからだろう。試合後、「レシーバーとQBのコミュニケーションが悪くて」とか「捕れるボールは捕らな」とかの言葉が選手や監督から出ていたが、その通りである。
 その辺のもどかしさを、冒頭に紹介した新聞記者も感じていたのだろう。これで、関大に勝ち、立命に勝てるのか。甲子園ボウルで相手を圧倒できるのか。もっと頑張れ、もっと練習に励めという、メッセージが込められていたのだろう。
 その気持ちは、僕にもよく理解できる。この日の試合でできたこと、学んだことをさらに伸ばし、できなかったことは謙虚に反省して練習に励み、次なる試合に備えて欲しい。関京戦は他の試合にも増して学ぶべきこと、反省することは多くある。この日の経験を自信として生かし、反省として生かす。そういうことができるのも、学生スポーツならではのことと僕は思っている。

(20)イチローさんの言葉

投稿日時:2019/09/17(火) 18:56

 日米通算で4367安打を記録したイチローさん(45)がマリナーズから「球団に貢献し、大きな功績を残した人」に贈られる「フランチャイズ・アチーブメント賞」(特別功労賞)を贈られた。マリナーズの本拠地Tモバイルパークで行われた授与式での挨拶がめちゃくちゃかっこいい。
 原文は英語だが、ネットでそのニュースを伝える「full Count」の翻訳を引用して、そのさわりの部分を紹介したい。
 冒頭、シアトルのファンに対し「みなさんからの何年にもわたるサポートに対して感謝の気持ちを表したい」とあいさつ。「2001年に私がシアトルに来た時、それまで日本から来た野手は一人もいませんでした。みなさんが見たのは27歳の、小柄で、細い、無名の選手でした。みなさんが私を受け入れない理由は多くありました。しかし、大きな心で私を受け入れてくれました。そしてそれは、私がここを離れても、そして戻ってきたときも、決して止むことはありませんでした。2018年にここへ戻ってくるチャンスを与えて頂き、本当にありがたく思っています。その理由はみなさん、ファンの方々です」と続ける。
 そのうえで「野球をこよなく愛し、リスペクトしてやまない人たちの前でプレーすることは、私にとっても幸せなことでした」「私が知っている最も素晴らしい選手たちと共に、またはそのような選手を相手にプレーできたことは、大きな誇りです」と続ける。
 最後に、キャリアを振り返って「私が誇りに思うことが少しでもあるとすれば、毎日、困難を乗り越え、毎日、同じような情熱を持って2001年の最初の日から2019年の最後の日まで臨むことができたことです」「選手たちに思い出してほしいのは、プロフェッショナルであると言うことの意味です。シーズンが終わりに近づいた日々は、シーズンの初めの日々、そしてその間の日々と同じように重要です。毎日、同じ情熱を持って仕事に臨んでいかなければなりません。それが自身のパフォーマンスに与える、そしてこの特別な試合を楽しんでいるファンに与える最高のギフトとなります」と結ぶ。
 自らの人生をかけて野球に生きたプロフェッショナルならではの言葉である。日本で比類なき実績を挙げてきた選手であっても、メジャーリーグでは「27歳の、小柄で、細い、無名の選手」が、「毎日、困難を乗り越え、毎日、同じような情熱を持って、2001年の最初の日から2019年の最後の日まで、臨むことができたことを誇りに思う」と言い切る、その長い歳月とたゆまぬ努力に思いを馳せたとき、僕には言いしれぬ感動が押し寄せてきた。そして、この感動をファイターズの諸君にも共有してもらい、自己研鑽の道標にしてもらいたいと思った。
 イチローさんの言葉は、競技種目は異なり、プロとアマとの違いはあっても、日々、向上心を持ってフットボールに取り組んでいるファイターズの諸君の胸にも、きっと響くに違いない。というより、こういう言葉にインスパイアされないようでは、フットボールのレベルも人間としての感受性も養われるはずがないとまで思う。
 イチローさんはファイターズにとっても、縁の深い選手だった。毎年、シーズンが始まる前には、オリックスの選手時代からなじみのある球場で自主トレーニングをされるのが習慣になっていたが、そのトレーニングを共にする機会を与えられた選手が何人もいる。特別サービスで、打席に立たせてもらい、氏の投げるボールを打たせてもらった選手もいる。
 氏の取材を都合19年間にわたって取材し「イチローの流儀」(新潮社)という読み応えのある著書もある小西慶三氏(1988年度卒)から、イチロー選手の野球に対する取り組みについて講義を受けた学年もある。
 そうした体験が選手にどんな影響を及ぼしたかは僕の知るところではない。しかし、少なくとも僕は今春、ほんの短時間だったが、イチロー選手が自主トレーニングされている場に同席させていただき、大きな刺激を受けた。今回の授与式でのイチローさんの言葉もまた、僕の胸に突き刺さる。ファイターズの諸君の胸にもきっと強い影響を与えると思って、たまたまネットで見つけた話を紹介させていただいた(full Countさん、ありがとうございます)。
 最後にひとこと。小西氏とイチローさんとの関わりは、今年のイヤーブックの巻末にある「社会で輝く青い星」でも紹介されている。示唆に富む内容であり、選手諸君にはぜひとも熟読してもらいたい。
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