石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2015/1

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(39)そして、挑戦は続く

投稿日時:2015/01/06(火) 21:55

 メモを取るのは、新聞記者の習性である。1968年3月、信濃毎日新聞社で「記者」の名刺を持ったその日から約47年。所属先は朝日新聞社、定年後はまた紀伊民報と移っても、その間ずっとメモを取る習性は抜けない。基本的には小型のノートを使うが、ノートがないときは箸袋にも書くし、手近にある新聞紙をちぎって、その片隅に要点をメモすることもある。警察取材を担当していたときの「夜回り」では、ノートを取り出せば相手が話してくれないから、要点を頭にたたき込み、固有名詞はトイレを借りて掌に記した。
 ファイターズの試合を観戦していても、JV戦から公式戦まで、必ずメモを取る。雨が降ってメモ帳が濡れても、寒くて手がかじかんでも、どんなに試合が白熱しても、その習性は変わらない。
 しかし、ライスボウルでは、第4Qからのメモが乱れている。いま、このコラムを書くために読み返しているが、その乱れた文字がそのまま僕の動揺を表現しているようで、読み返すのもつらい。
 始まりはこんな場面だった。ファイターズが3Q終盤、QB斎藤君からWR木下君へのパスでゴール前20ヤードまで攻め込み、同じくWR木戸君へのパスでTDを奪った。K三輪のキックも決まって24-23とリードしたところで第3Q終了。迎えた第4Q、相手陣44ヤードからの攻撃をDL松本君とLB山岸君のロスタックルで押し込み、さらにはDB岡本君のインターセプトで、攻撃権を奪い返した。
 強力な相手の守備陣をかいくぐり、知略の限りを尽くして手にした逆転劇。その勢いに乗って、今度は守備陣が魂のタックル、捨て身のインターセプトで手にした攻撃権。勢いは完全にファイターズ、と思ったところに落とし穴が待っていた。
 まずは斎藤君が6ヤードを走り、セカンドダウン4ヤード。この好位置からWR大園君に投じた長いパスが運命を分けた。ライン際で一度は大園君が確保したように見えたが、それを相手DBがかき出し、パス失敗。成功しておれば、相手ゴール前からさらに4度の攻撃機会があり、一気に引き離せる好機だったが、帳消しになった。
 これに動揺したのか、それまでは追い詰められた場面でも確実に試合をコントロールしていた斎藤君の動きが乱れる。ベンチの勝負手も不発に終わる。第4ダウンのプレーでも、あえてパスを投げようとしたが、守備陣の突っ込みが速く、逃げ回ったあげくに投じたパスは相手に奪われてしまった。
 この好機に相手はエースRBに集中してボールを持たせ、わずか3プレーでTD。この試合、三度目のリードである。こうなると相手は落ち着き、逆にファイターズには焦りが出てくる。第3Q終盤まで、あれほど積極的に攻め続けていたオフェンスも、有効なプレーが続かず、押し切られてしまった。
 その間、目の前のプレーを追うのに必死だったのだろう。メモは乱れ、正確にプレーがたどれない。新幹線がストップして東京に行くのをあきらめ、自宅でテレビ応援した昨年は別として、1昨年も、その前の年も、終盤に山場が続いたが、メモを取る手が動揺したのは、今年が初めてだった。この勢いがあれば勝てる、と思っていた場面が、ほんの数分で暗転してしまったからだろう。
 それほど勝負の分岐点はきわどかった。終わってみれば「地力の差が出た」ということだろうが、もしあのとき、大園君へのパスが通っておれば、もしあのときスナップが正確なタイミングで出ておれば、もし、ゴール前でジョーダンと名付けたパスが通っておれば……と、ひとつひとつの練りに練ったプレーを思い返すにつけても、悔しくてならなかった。試合終了後、ディレクターの小野さんたちがFM放送で解説されている席から、グラウンドに降りるまでの間も、悶々としていた。
 その悔しさは、選手もスタッフも、監督もコーチも、全員が共有しているに違いない。練習ではほとんど成功していたプレーにミスが出るなんて、誰もが予測出来なかったに違いない。
 試合後、選手全員を前にして鷺野主将が語りかけていた。その声が聞こえてくる。「下級生はよく助けてくれた。不甲斐ないのは4年や。4年がとことん詰め切れんかったからや。申し訳ない」「この悔しい気持ちを次につなぐんや。これで終わりにしたら、なんにもならない。4年生はこれで終わりではない。自分の持っているものをみんなにつないでいけ。俺はやる。俺の出来ることは何でもする。俺の持っているものをみんな、つないでいく」
 メモを取らず、頭に刻んだだけだから、正確な表現ではないかも知れない。しかし、こういって自分たちの積み重ねてきたもの、先輩たちから受け継いできたものをすべて、下級生に引き継ぐ、つないでいく。これからのチームを担う者がそれを確かなものにすることによって、本当に強いファイターズが生まれる……。悔し涙をぬぐいもせず、ひたすらその言葉を強調。そして最後、「よし、上げよか」の声を掛け、ハドルを組んで「関学フットボール。フレッ、フレッ、フレー」とドーム全体に響き渡るエールを送った。
 悔しい敗戦の中で、この主将の言葉を聞いて、僕は何だがほっとした。少しばかりうれしくなった。
 「俺の持っているものはすべてお前らにつないでいく。やれることは何でもする。俺はやる。だから社会人に勝つチームを作ってくれ」。そういって下級生に頭を下げる。そういう主将を先頭に、ファイターズは全員が結束して魂のフットボールを展開した。その結果としての33-24。
 この結果を潔く受け入れるところから、新たなチームがスタートする。主将が涙ながらに振り絞ったこうした言葉、思いを受け継ぐところから新たな「挑戦」が始まる。「チーム鷺野」の「挑戦」を土台に、新たな「挑戦」をスタートさせる。そこから、ファイターズの「魂のフットボール」が生まれる。
 そう、挑戦は続く。僕もまた、新たな歩みを始めよう。そう思うと、悔しさも少しは薄らいだ。鷺野君や斎藤君、横山君や大園君。顔を合わせたメンバーに心の底から「ごくろうさん」と声を掛け、晴れ晴れとした気持ちで握手を交わすこともできた。こうした面々と下級生が結束して「魂のフットボール」を展開してくれたことをわが手で確認した。

(38)校歌を歌う

投稿日時:2015/01/01(木) 01:06

 甲子園ボウルで勝利した数日後、第3フィールドで鷺野主将に会った。そのときの短い会話である。
 「おめでとう。本当に素晴らしい試合やったな。事前の準備がビシッと決まったし、みんな集中していた。感動したわ」と僕。
 彼はニコッと笑いながら「ええ、今度は勝負をかけます」と答える。
 勝利の余韻に浸っている僕と、もう次の試合のことしか頭にない彼。あれだけ素晴らしい試合を仕上げたことより、最後の決戦に向けて「今度は勝負をかけます」と言い切った主将。チームに責任を負う人間と、それをスタンドから応援している人間との気持ちの持ちようの違いが、こんな会話のすれ違いにも鮮明に表れたことに僕は驚いた。
 もちろん、ライスボウルで勝つ、社会人を倒して日本1になる、という目標を達成するためには強豪がひしめく関西リーグで勝たなければならない。さらに、甲子園ボウルで関東の代表にも勝って、初めてライスボウルの舞台に立てる。その間、どの試合についても周到な準備をし、練りに練った戦術を駆使しなければならない。実際は、試合ごとに勝負をかけてきたはずだ。
 しかし彼は、そんな勝利を振り返って喜ぶそぶりも見せず「今度は勝負をかけます」と言い切った。あえて「今度は」といった言葉に彼の心中に期すものの大きさが表れている。「絶対に勝ってやる」という強い気持ちが表現されている。
 「よっしゃ!その心意気や」。僕はニコッと笑いを返し、ひたすら前を向いて進む好漢に幸あれ!と心から願った。
 さて、ここからが本題である。グラウンドで戦う人間ではなく、ファイターズを応援する人間の一人として「校歌を歌える幸せ」について書いておきたい。
 甲子園ボウルで勝利が決まった直後、関係者の配慮で僕はグラウンドに降りることが許された。表彰式では甲子園ボウルのMVPとしてRB橋本君、年間最優秀選手として主将の鷺野君が表彰される。勝利監督やヒーローのインタビューが終わると、部員全員がスタンドに向かって整列し、主将の「応援ありがとうございました」の声にあわせて、全員が深々と頭を下げる。
 スタンドからは盛大な拍手。やがてブラスバンド部の演奏と応援団総部のリードで校歌「空の翼」の大合唱が始まる。スタンドの大応援団、そしてグラウンドの選手やスタッフ、監督やコーチが声を合わせ、高らかに「風に思う、空の翼」と歌う。
 ほんの数分の時間。しかし、その短い時間に、僕は関西学院という学校を誇りに思い、ファイターズというチームを応援できることの幸せを心ゆくまでかみしめた。多分、スタンドで応援されている方も、グラウンドで力一杯戦ったメンバーも、それを支えたコーチやスタッフも、みんな同じ思いだろう。一緒に歌っていた小野ディレクターが「こうして校歌を歌えることって、本当に幸せですね」と話しかけられたが、全くその通りである。
 けれども、そういう幸せな時間、誇りを胸に刻む時間を、関西学院大学で学ぶ2万4千人の学生の何%が共有しているだろうか。その前に2万4千人の学生のうち、譜面を見ないで校歌を歌える学生がどれほどいるだろうか。
 校歌に限らず、歌には人々を奮い立たせ、アイデンティティーを共有させる力がある。フランス革命から生まれたフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」、太平洋戦争で学徒出陣の学生たちが斉唱した「海ゆかば」はその代表だろう。その昔、野球の早慶戦が東都のファンを二分したときの「都の西北」と「若き血」にも、それぞれの存立基盤を確認し、母校への強い絆を確かめる役割があった。
 時は移り、世は変わって、いまは社会のあらゆる分野で、そうした「共通の基盤」が失われつつある。校歌を歌えない学生だけではない。校歌が代表する「母校」への帰属意識の薄い学校関係者も年々増えていると聞く。関西学院の創立125周年寄付者名簿を見ても、卒業生の数に比べて、寄付した人の数のいかに少ないことか。
 そういう時代だからこそ、スタンドとグラウンドが一緒になって勝利を喜び、高らかに校歌を歌えることに大きな意味がある。価値がある。関西学院につながる者すべてが互いに共通の存在基盤を確かめ、母校への絆を確認することの大切さが実感できる。
 チームとともに校歌を歌える幸せ。それを考えていくと「清く戦い、その名に恥じないチームとして品性を持て」と歌い、「懐かしく慕わしい関西学院、それはこの地上で一番の学校、その母校のために戦おう」と歌い上げる「Fight on, Kwansei」と表裏一体の関係にあることがよく理解できる。
 1月3日、東京ドームでの戦いで、ファイターズの諸君が高らかに「ファイト オン」を歌い、スタンドとグラウンドが一体となって勝利の校歌を歌えることを切望している。「今度は勝負をかけます」と言い切った主将が率いるチームの奮闘を心から祈っている。

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