石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」

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(14)初めてのフットボール記事

投稿日時:2023/11/10(金) 08:56

 職業として新聞記事を書き始めたのは、1968年3月。長野県にある信濃毎日新聞社に入社した翌日のことだ。そこで2年9カ月勤めて朝日新聞社に転職。60歳の定年まで勤めた後、和歌山県にある紀伊民報に再就職し、今年3月末まで一途に記事を書き続けてきた。
 けれども、新聞にフットボールに関係する記事を書いたことは、数えるほどしかない。信濃毎日新聞では地方支局の勤務経験しかなく、朝日新聞では社会部関係の取材、紀伊民報では編集の責任者として論説やコラムを書いてきたからだ。
 野球が好きだったから、それでも野球に関係する記事やコラムを書く機会は少なくなかった。いま話題の阪神タイガースに関係する記事も、その昔、阪神支局や大阪の社会部で働いているときに何本も書いている。
 阪神支局で働いていた1975年11月には、人気絶頂の江夏投手が秋季練習中の甲子園球場に病いに苦しむ小学生を招き、「学校に通えるようになったら、試合で使うボールをプレゼントします」と約束していた「約束のボール」を手渡して励ました話題を特ダネとして社会面のトップに書いた。これは社内の特別の賞を受けたし、1985年に優勝して日本一になった時には、これまた社会面のトップに「生きててよかった」という大見出しの躍る記事を書いた。
 2003年には「週刊朝日」から依頼されて、シーズンの優勝が決まるはるか前の7月15発行の「阪神優勝」と銘打った増刊号に「伊勢神宮で20年に一度、行われる遷宮という聖なる神事と同じように、タイガースもまた、20年単位で応援しなければやっていけないチームである。(中略)試合のたびに一喜一憂せず、優勝という言葉も胸の奥深くにしまって、いまは心静かに20年に一度の聖なる秋に備えようではないか」という長文の署名記事を書いたこともある。
 けれども、アメフット関係の取材にはなぜか縁がなく、初めて社会面に記事を書いたのは1975年の秋。当時、監督だった武田建先生に「アメフットの魅力を伝えたいので、それにふさわしい部員を」と声を掛けて紹介してもらったスナッパー、吉川宏さんの話だった。
 先生によると「RBの谷口君、QBの玉野君など、僕が期待している選手はたくさんいますが、せっかくの機会ですから、一番地味な役割でありながら、得点に直結する仕事をしている部員を」ということで紹介された選手である。
 当時の僕は、アメフットには好守共にいくつものポジションがあり、足の速い人、腕力のある人、身体のでかい人など、それぞれの長所を組み合わせ、総合力て戦うスポーツだということは知っていたが、ゴールキックの時だけに登場し、スナップを投じるだけでチームに貢献している人がいることは知らなかった。その驚きを写真付きの記事にして送稿すると、担当デスクも驚き、社会面に掲載してくれた。
 以上、昔のことをあれこれを紹介させていただいたのは、ほかでもない。この話もまたアメフットの魅力を伝えていると考えるからだ。足の速い人、多少、動きが悪くてもそれを補って余りある腕力や体力のある人、誰よりもボールを正確に投げられる人、相手の動きに誰よりも素早く反応出来る人、戦術や戦略を考えることが得意な人、ビデオの撮影やそれを練習教材として編集することに長けている人、ミスをして落ち込んだ仲間を慰め、励ますことの出来る人……。そうした多様な才能を持った人の持ち味を生かし、それをチームの総合力として戦える点がアメフットの最大の特徴である。選手の交代自由、ポジシの位置取りも基本的に自由。プレーごとに間合いがとられ、ベンチから作戦を指示し、グラウンドに出ている選手とベンチが共に戦えることも、他のスポーツにはない特徴といえるだろう。
 そのトータルが勝敗を決める。そういう魅力を持ったスポーツがアメフットである、と武田先生は教えてくださったのだろう。
 半世紀近く前、初めてのフットボール取材でそのことを教わって以来、フットボールはチームの総合力をどう高め、どのように結集し、どう発揮出来るかが勝敗を分けると、僕は思い定めている。週末の立命館との戦いでは、その総合力を存分に発揮してもらいたい。

(13)驚きの京大戦

投稿日時:2023/10/30(月) 08:25

 ついこの間、今年度のリーグ戦が始まったばかりと思っていたのに、もう5戦目。28日は、京都大との戦い。一昔前までは「宿命のライバル」として、熾烈な覇権争いを続けてきた相手である。
 この日の試合を場内限定のFM放送で解説された小野宏ディレクターも、放送が始まると同時に「京大は本当に厄介な相手。現役時代から何度も痛い目に遭わされました。リーグ戦で勝ったのは2年生の時だけで、後は28-35、7-17、28-30で敗戦。コーチとしてチームに戻ってからも、何度も痛い目に遭いました」と、それぞれの試合展開を振り返って解説。「今年も、相手のQBが素晴らしいから、今日も厄介な試合になりますよ」と予想されていた。
 悪い予感はよく当たる。ファイターズのキックで始まった京大の第1シリーズがその典型。自陣18ヤードから始まった攻撃は、いきなりパスプレーの連発。それにQBのランプレーを交えてぐいぐいと陣地を進める。あっという間に関学陣に入り、仕上げも10ヤードのパスでTD。7-0と先手を奪う。
 これはこれは、と驚いているのは観客席。グラウンドの選手の胸中も同様だったろうが、ファイターズのオフェンス陣は、そんな気配は毛頭見せない。伊丹と澤井が立て続けにダウンを更新し、相手の守備陣をランプレーに集中させる。それを見極めたベンチはパスプレーを選択。それに応じてQB鎌田がWR鈴木に65ヤードのパスを通し、TD。大西のキックも決まって7-7と追い付く。
 しかし相手も、QBの変幻自在のプレーを中心に一歩も譲らない。相手のキッキングチームも同様だ。次のファイターズの攻撃は自陣5ヤードから。ゴールラインを背負って、どう陣地を回復するのだろうと注目した第1プレー。ファイターズには、予想していなかったようなビッグプレーが飛び出した。
 主役はRB伊丹。自陣ゴールライン上でQB鎌田からボールを渡された瞬間にカットを切り、そのまま右サイドライン際を駆け上がってTD。記録された獲得距離は95ヤード。伊丹の走力も素晴らしかったが、彼を守って追走し、相手守備陣のタックルを防ぎ切ったレシーバー陣の協力も見事だった。
 このプレーに刺激されたのか、今度は守備陣が次々と素晴らしいプレーを連発する。DB波田と山村が立て続けにボールキャリアにタックルを見舞い、DL浅浦が素早い出足で何度も相手QBに襲いかかる。
 好守がかみ合えば、試合は落ち着く。能力の高いQBを生かすべく「考えに考え抜かれたたプレー」(小野ディレクター)で攻め込んでくる相手の反撃をしのぎ、21-7で前半終了。
 後半の立ち上がり、ファイターズは思わぬファンブルで相手に7点を返されるが、前半のリードがあるから慌てない。まずはK大西のフィールドゴールで3点。DB高橋のインターセプトでつかんだ相手ゴール前からの攻撃でQB鎌田がWR小段に10ヤードほどのTDパスを通し、キックも決めて7点を追加。31-14とリードを広げる。
 こうなると、守備陣にも余裕が出てくる。立ち上がりは相手QBの変幻自在なパスに苦しんでいたが、徐々に反応できるようになってくる。まずはDB中野が相手のパスを反応良くインターセプト。そのままゴールまで駆け込んでTDに仕上げる。
 ファイターズに勢いが出ると、相手も焦り出す。相手リターナーが自陣奥深くからリターン中にボールをファンブル。それを確保したファイターズが相手ゴール前26ヤード付近から攻撃に移る。QB星野がWR鈴木、五十嵐に短いパスを通し、自らのキーププレーで陣地を稼いで、RB澤井のTDランに結びつける。
 終わってみれば45-20。高い能力を持ったQBを中心に、練りに練った作戦で長年のライバルを倒そうとする相手を、ファイターズは攻撃と守備が互いに助け合って倒した。
 互いに知恵を絞り、力を尽くして戦う戦士たち。その奮闘に拍手を送りながら「こういうライバルがいるからこそ、アメフットは面白い。応援したい」という気持ちが募ってくる。
 同時に、なぜ、こんなに魅力的なスポーツなのに観客席が満席にならないのか、不思議でならない。何度も繰り返すが、なんとかしてこの魅力をより多くの方々に共有してもらい、試合会場に足を運んでもらえるような方策はないのだろうか。
 次週は立命館が相手。これまた、最終戦の関大戦とともに、絶対に見逃せない試合である。1人でも多く友人、知人を連れ出してスタンドに参集してもらいたい。
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