石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」

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(27)我慢、我慢の関大戦

投稿日時:2008/11/18(火) 19:24

 関大のリターンで始まった試合は、いきなり相手リターナーに96ヤードを走り切られ、そのままタッチダウン(TD)。その後のキックは外れたが、たちまち6-0とリードされた。
 さて、どう挽回するのかと思ったファイターズの攻撃シリーズが始まって2プレー目にファンブル。そのボールを相手に押さえられ、自陣38ヤード地点で痛恨のターンオーバー。そこから相手に右、左と走られ、わずか5プレーでゴール前1ヤード。そこでファイターズのお株を奪うようなトリッキーなパスを決められて再びTD。キックも決まって7点追加。試合開 始からわずか2分57秒で13-0とリードされた。
 この間、関大が選択したプレーはすべて、ファイターズに備えて周到に準備してきたことがうかがえるものばかり。守備陣の気迫もすごく、春の関関戦とはまったく異なるチームに成長していた。逆に、ファイターズ守備陣は、立ち上がりで相手の動きに目が慣れていないせいもあったのか、ほとんど対応できないまま。前途の多難を思わせた。
 しかし、この逆境にあっても、QB加納を中心に、ファイターズは全員が我慢のプレーを重ねた。自陣21ヤードから始まった次の攻撃シリーズ。加納からWR萬代、松原らへの短いパ ス、加納のスクランブル、RB稲毛、河原、石田らのランを織り交ぜ、約7分、14プレーを費やして、最後はRB河原の3ヤードTDランに結びつけた。
 さらに2Q終了まで残り2分6秒、自陣30ヤードから始まった攻撃シリーズを今度はWR柴田、萬代へのパスと加納のスクランブルでリズムよく陣地を進め、加納がWR金村への35ヤードTDパスで仕上げた。ゴール右隅に浮かせたパスは、相手DBと競り合いになったが、最後は長身の金村が上からもぎ取る形でキャッチした。
 この間、関大に2本のフィールドゴールを決められており、前半は結局19-14。関大リードのまま終えた。
 後半はファイターズのリターンで攻撃開始。このシリーズから加納に代わって登場した2年生QB加藤がこれまた我慢のプレーコール。約8分30秒、17プレーを費やしたシリーズを、最後はRB多田羅の突進で締めくくって逆転。加納の2点コンバージョンも成功して22-19とリードを奪った。
 このシリーズも、QBはインターセプトを警戒して派手なパスを封印。我慢の短いパスと確実なランプレーでじりじりと陣地を進めた。ベンチの作戦に応えた稲毛や河原、萬代や松原らの堅実なプレーが光った。短い距離を確実に稼ぎ、ダウンを更新した加納やRB多田羅の突進力も高く評価できる。
 逆転した後はファイターズペース。次の攻撃シリーズでは、再び登場した加納が松原、萬代へのパスと豊富なRBを使い分けるランプレー交互に繰り出して陣地を進め、最後は残り1ヤードを加納が自ら押し込んでTD。リードを広げた。
 後半は、守備もすっかり落ち着いた。LB吉井の見事なパスカットやLB深川のQBサックなどビッグプレーも飛び出し、関大の攻撃をほぼ完封した。
 このように試合の流れを振り返っていくと、とにかく我慢、我慢だった。
 いきなり自分たちのミスで13点を先行され、普通のチームならガタガタと崩れてもおかしくない状況でのスタート。勢いに乗っている相手の力をそぐためには、それ以上のミスは絶対に許されないという制約の中でのプレーコール。もちろん、どんなに苦しくても、イチかバチかのプレーは許されない。立命戦を前に、絶対に負けられないという重圧はどの選手にもあったろう。スタジアムに詰めかけたファイターズファンのすべてが「自分たちの方が力があるはず」と信じ込んでいる中でプレーする苦しさは、観客席の想像をはるかに越えるはずだ。
 そういう苦しさに耐えきれず、自ら墓穴を掘って敗れた試合も、ファイターズの歴史に少なくはない。強力な陣容を整えながら法政に敗れた2000年の甲子園ボウル、せっかくリーグ戦で立命を倒しながら、ミスが相次いで足元をすくわれた2004年の京大戦。ともに地力では相手に勝っていたと思えるチームだっただけに、いま思い出しても悔しさがこみ上げてくる。
 この日の関大戦も、そのように展開する可能性が少なくなかった。相手はファイターズを標的に、攻守とも周到な準備を重ねてきていることが、スタンドからでもよく分かった。選手も自分たちの思惑通りのプレーで13点を先行し、士気が上がっている。ベンチも自信を持ったに違いない。
 そういう状況にあって、ファイターズが攻守のどこかで、新たなミスを一つでも犯せば万事休す、である。
 しかし、早川主将を中心に、チームは攻守とも一丸となって我慢のプレーを重ねた。地味だが堅実なプレーコールをひとつひとつ確実に仕上げた。そのしたたかな精神力を、フィールドゴールをはじめ、すべてのキックの機会を確実に決めた1年生キッカー大西の冷静さとともに、心から称賛したい。
 もちろん、立命を相手の戦いでは、関大戦のような立ち上がりは許されない。相手がかけてくる重圧も比較にならないほど大きいだろう。立命戦まで10日余り。この日の反省点を踏まえ、さらに高度な戦いができるように、しっかりと取り組んでもらいたい。それができるチームであると僕は信じている。

(26)月の兎

投稿日時:2008/11/13(木) 22:09

 忙しい。毎年のことだが、この時期はやたらと仕事が立て込んでくる。月曜から木曜までは本業の新聞社だが、年末進行で日ごとに仕事が増えてくる。金曜日には大学の授業、先週からは土曜日にも就職試験対策の特別講座がスタートした。日曜日はボランティア活動で有馬温泉の「朝市」に協力、紀州ミカンの売り子をしている。
 追い打ちをかけるように、役員を務めている野球関係の会議が今月は3日もある。会議そのものは1時間か2時間だが、和歌山県の田辺市から大阪市内の事務局まで往復すると1日がかりだ。夜は夜で、学生たちに書かせた小論文の添削(これが僕の授業の売り物)や採点をしなければならないから、遊びに出ることなど思いもつかない。
 体がいくつあっても足りない毎日だが、ここまで追いつめられてくると、逆に目の前の仕事から逃げ出して本が読みたくなる。中学や高校のころ、定期試験が迫ってくると、決まって読書に逃げ込んでいたときの記憶が、半世紀を過ぎても体に染みついるようで、われながらあきれてしまう。
 先日、中野孝次氏の「良寛 心のうた」(講談社+α新書)を読んでいたら、そこに良寛の「月の兎」という詩が紹介されていた。次のような内容である。
……遠い昔、あるところに猿と兎と狐がいて仲良く遊んでいた。その仲の良さを聞いた帝釈天が3匹の真実を知ろうと思い立たれ、よぼよぼの老人の姿に姿を変えて3匹の前に表れて「君たちは種族が違うのに、いつも仲良く遊んでいると聞いた。まことにその通りなら、この老人の飢えを救ってくれ」といった。
 そんなのはおやすいご用だといって、猿は近くの林から木の実をどっさり拾ってきた。狐は川から魚をいっぱいくわえてきた。ところが兎はぴょんぴょん跳びはねるばかりで、何も手にすることはできなかった。
 「君はあかんたれだな」と老人にののしられた兎は考えを定めて「猿は柴を刈ってきてくれ、狐はそれで火をおこしてくれ」といった。猿と狐が言われたとおりにすると、兎はその炎の中に身を投じ、見知らぬ老人に我が身を焼いて与えた。
 老人はこれを見て大いに嘆き悲しみ、天を仰いでうち泣き、地に倒れて胸を叩きながら「なんじら3人の友達はいずれが劣るということはないが、兎はことに心が優しい」と申され、兎の死骸を抱えて月の宮に葬られた。いまになっても、満月に兎の形がうっすらと見えるのは、その昔に、こういうことがあったからだよ……。
 これは、今昔物語集巻五の「三の獣菩薩の道を行じ、兎身を焼く話、第13」にある話が原型で、作者は「良寛はこの兎の自己犠牲に仏道の大慈悲の理想を見ていたに違いない」と評している。
 僕の感想は、そういう高尚なことではなく「仲良く遊んでいる3匹の心を試そうとする天の仏様って意地悪だな」「そんなおせっかいをしなかったら、兎も死なずにすんだのに」という俗っぽいものである。というのは冗談で、僕のような俗物にも「人が生きるとはどういうことか」「この世に生を受けた意味とは」というようなことについて、真面目に考える機会を与えてくれる詩である。
 ファイターズの諸君にとっても、心を揺さぶられる話であるにちがいない。いま、まさに決戦のとき。巨大な岩のように立ちはだかる強敵を相手に、猿の役割を果たすのはだれか。狐の仕事はだれが引き受けるのか。そして、わが身を焼いてまでチームに尽くす兎は、だれとだれか。
 今夜は満月。晩秋の澄み切った空に、まん丸い月が上がっている。兎の姿もよく見える。その兎になるのは、果たしてだれなのか。
 チームのために、仲間のために、なによりも自分自身のプライドをかけて戦おう。決戦の日は目の前である。まずは15日の関大戦。それを突破して、次は立命との戦いである。しっかり準備をして、存分に力を発揮しようではないか。
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