石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
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(2)昨日とは違う風景
投稿日時:2009/04/06(月) 23:56
たまにしか練習を見ていない人間がいうのもなんだが、3月と4月とでは、上ケ原の第3フィールドの風景がガラリと変わった。
一言でいえば、練習の密度が濃くなったのである。練習のための練習ではなく、試合を想定した練習。試合に向かうための練習になりつあるといってもいいだろう。
もちろん、まだ春先である。夏の合宿に見られるようなガチンコの練習ではない。試合に向けての細かいプレーをチェックしているわけでもない。すべての基本になるような内容を練習計画に沿ってひとつひとつこなしているだけである。連日のように、他の大学から多くの選手が練習に参加していることもあって、特別なことは何一つしていない。地味な練習である。
けれども、グラウンドの空気はガラリと変わった。選手たちの取り組みも変わった。
例えば、パスのコース取りの練習で、レシーバーが当たりにきたDBを仰向けに突き倒す場面があった。それを悔しがったDBたちが、レシーバー陣により厳しいチェックをする場面も目撃した。オフェンスラインとディフェンスラインの攻防でも、これまでなら当たりあった瞬間、台になる選手が力を抜いていたのに、いまはきちんと当たりあっている。全体の練習から見れば、ほんの些細な違い、局地的なやりとりではあるが、いわば、シャドーボクシングからスパーリングへの変化。「寸止め空手」から「実戦空手」への発展と見られるような練習をしているのである。
理由はいくつか考えられる。4月1日から、全体練習が始まったこと、監督をはじめコーチも全員が顔をそろえてグラウンドに降りて練習を見ておられること、新しくフルタイムのコーチとして社会人のコーチとして実績を積んでこられた大村和輝氏が加わったこと。それらが相乗効果を及ぼして、グラウンドの空気を引き締めているのだろう。
もちろん新谷主将以下、選手やスタッフが今季にかける熱い思いを持っているからこそ、練習も熱くなるのだろう。「馬を岸辺に連れて行くことはできても、(馬が飲む気にならないと)水を飲ませることはできない」という言葉がある。選手の気持ちが高まって初めて、コーチも腕を発揮できるし、全体練習も効果が上がるのである。
さらに、もう一つ。僕の「岡目八目」では、練習の取り組みをほんの少しばかり変更したことが、想像以上にチームの雰囲気を変えているように思える。どういうことか。
一言でいうと、これまではパートの自主性を優先し、それぞれのリーダーに任せていた練習の進行を、チームの練習を優先させるようにしたことである。もちろん、パートごとの練習はそれぞれのリーダーを中心にしっかりやっているのだが、それに少しばかりチームとしての練習を繰り入れることで、グラウンドの風景が変わってしまったのだ。少なくとも昨年の春とは違うし、ほんの1週間前とも様子が違う。
まだほんの数日のことだが、その変化が練習に活気をもたらせ、チームとしてより高い次元に到達したいという願望を具体化しているように、僕には感じられる。外見的には、ほんの些細な変化だが、質的には大きな変化であり、極めて好ましい変化であると、僕には思えるのである。
この光景から、数年前、武術家の甲野善紀さんが上ケ原のグラウンドを訪れ、練習中の部員に、古武術に想を得た体の使い方を披露されたときのことを思い出す。そのとき甲野さんはファイターズの部員やOBの山田晋三氏らを相手にタックルを受けられたのだが、ヘルメットを装着したときにはまったくタックルをかわせなかったのに、ヘルメットを外した途端にすべてのタックルをかわしてしまわれた。甲野さんに聞くと、ヘルメットを着けていたときは、ガードの部分で瞬間的に目が切れるので体が思い通りに動かなかったけれども、外してみると相手の動きが「スローモーションのように見えて」すべてタックルを外すことができたとのことだった。
当事者以外には、まったく気付かない些細なことだが、その些細なことが技の切れに直接影響していたのである。この話を聞いたときに、技とは、そういう微細な部分の積み重ねで成り立っている、そういう細部を丁寧に追求するからこそ、技と呼ぶに値する体の使い方ができるのだと感心した。
ファイターズの練習も同様である。「ほんの少しのゆるみ」であっても、そこにメスを入れるのと、入れないまま漫然と前例通りの練習法を踏襲しているのでは大違いである。ちょっとした工夫が、効果を発揮し、グラウンドの風景を変えたのだと僕は思った。
これを一過性の変化に終わらせてはならない。昨年の悔しさをかみしめるだけではなく、反省を教訓として、小さくてもいい、新たな手を打ち続けてほしい。監督もコーチも、選手もスタッフも、全員が営々と「細心の注意」を払って練習に取り組み、昨年、ライバルチームが到達したレベルを超える次元にチームを作り上げてほしい。
一言でいえば、練習の密度が濃くなったのである。練習のための練習ではなく、試合を想定した練習。試合に向かうための練習になりつあるといってもいいだろう。
もちろん、まだ春先である。夏の合宿に見られるようなガチンコの練習ではない。試合に向けての細かいプレーをチェックしているわけでもない。すべての基本になるような内容を練習計画に沿ってひとつひとつこなしているだけである。連日のように、他の大学から多くの選手が練習に参加していることもあって、特別なことは何一つしていない。地味な練習である。
けれども、グラウンドの空気はガラリと変わった。選手たちの取り組みも変わった。
例えば、パスのコース取りの練習で、レシーバーが当たりにきたDBを仰向けに突き倒す場面があった。それを悔しがったDBたちが、レシーバー陣により厳しいチェックをする場面も目撃した。オフェンスラインとディフェンスラインの攻防でも、これまでなら当たりあった瞬間、台になる選手が力を抜いていたのに、いまはきちんと当たりあっている。全体の練習から見れば、ほんの些細な違い、局地的なやりとりではあるが、いわば、シャドーボクシングからスパーリングへの変化。「寸止め空手」から「実戦空手」への発展と見られるような練習をしているのである。
理由はいくつか考えられる。4月1日から、全体練習が始まったこと、監督をはじめコーチも全員が顔をそろえてグラウンドに降りて練習を見ておられること、新しくフルタイムのコーチとして社会人のコーチとして実績を積んでこられた大村和輝氏が加わったこと。それらが相乗効果を及ぼして、グラウンドの空気を引き締めているのだろう。
もちろん新谷主将以下、選手やスタッフが今季にかける熱い思いを持っているからこそ、練習も熱くなるのだろう。「馬を岸辺に連れて行くことはできても、(馬が飲む気にならないと)水を飲ませることはできない」という言葉がある。選手の気持ちが高まって初めて、コーチも腕を発揮できるし、全体練習も効果が上がるのである。
さらに、もう一つ。僕の「岡目八目」では、練習の取り組みをほんの少しばかり変更したことが、想像以上にチームの雰囲気を変えているように思える。どういうことか。
一言でいうと、これまではパートの自主性を優先し、それぞれのリーダーに任せていた練習の進行を、チームの練習を優先させるようにしたことである。もちろん、パートごとの練習はそれぞれのリーダーを中心にしっかりやっているのだが、それに少しばかりチームとしての練習を繰り入れることで、グラウンドの風景が変わってしまったのだ。少なくとも昨年の春とは違うし、ほんの1週間前とも様子が違う。
まだほんの数日のことだが、その変化が練習に活気をもたらせ、チームとしてより高い次元に到達したいという願望を具体化しているように、僕には感じられる。外見的には、ほんの些細な変化だが、質的には大きな変化であり、極めて好ましい変化であると、僕には思えるのである。
この光景から、数年前、武術家の甲野善紀さんが上ケ原のグラウンドを訪れ、練習中の部員に、古武術に想を得た体の使い方を披露されたときのことを思い出す。そのとき甲野さんはファイターズの部員やOBの山田晋三氏らを相手にタックルを受けられたのだが、ヘルメットを装着したときにはまったくタックルをかわせなかったのに、ヘルメットを外した途端にすべてのタックルをかわしてしまわれた。甲野さんに聞くと、ヘルメットを着けていたときは、ガードの部分で瞬間的に目が切れるので体が思い通りに動かなかったけれども、外してみると相手の動きが「スローモーションのように見えて」すべてタックルを外すことができたとのことだった。
当事者以外には、まったく気付かない些細なことだが、その些細なことが技の切れに直接影響していたのである。この話を聞いたときに、技とは、そういう微細な部分の積み重ねで成り立っている、そういう細部を丁寧に追求するからこそ、技と呼ぶに値する体の使い方ができるのだと感心した。
ファイターズの練習も同様である。「ほんの少しのゆるみ」であっても、そこにメスを入れるのと、入れないまま漫然と前例通りの練習法を踏襲しているのでは大違いである。ちょっとした工夫が、効果を発揮し、グラウンドの風景を変えたのだと僕は思った。
これを一過性の変化に終わらせてはならない。昨年の悔しさをかみしめるだけではなく、反省を教訓として、小さくてもいい、新たな手を打ち続けてほしい。監督もコーチも、選手もスタッフも、全員が営々と「細心の注意」を払って練習に取り組み、昨年、ライバルチームが到達したレベルを超える次元にチームを作り上げてほしい。
(1)「今季に期す」
投稿日時:2009/03/29(日) 23:29
春である。寒の戻りで震え上がっていても、桜が咲けば、やっぱり春である。上ケ原の第3フィールドに出掛ければ、ファイターズの面々が元気な顔をそろえ、もう春本番というような表情で練習している。
もちろん、六甲山から吹き下ろす風は冷たい。たまらんほど寒い。練習を見に行くときには、しっかり着込んで、防寒対策はしているつもりだが、それでも鼻水が垂れてくる。
けれども、選手たちは元気いっぱい。体から湯気を立てている。みぞれが降ろうかという日でも半パンTシャツ姿の元気者もいるし、もう初夏のように日焼けした選手もいる。
長いご無沙汰だった。昨年11月30日、神戸のユニバースタジアムで立命に敗れた試合の報告を最後に、長い冬眠に入ったこのコラムだが、フィールドの元気な選手たちにたたき起こされる形で、今日から再開する。
もちろん、コラムは冬眠していても、僕はせっせと第3フィールドに出掛け、選手たちの表情を眺めてきた。2月、3月はまだ、パートごとの基本練習。それと走りモノである。余りにも地味だから、ボヤーと見ているだけでは面白くも何ともない。
しかしながら、僕のような素人でも、真剣に目を凝らしていると、いろんな事が見えてくる。今年にかけるチームの意気込み。コーチの取り組み。新しくリーダーになって表情が変わった選手。リベンジに燃える選手。走りモノで最後まで手を抜かない選手の姿も確認できるし、昨年や1昨年のチームが滑り出したときとの比較も興味深い。
見るべき所はいくつもある。地味でも、寒さに震えていても、この時期の練習を見るのは、楽しいのである。
これらの細部を報告すれば、それだけで興味深い読み物になりそうだ。だが、それは同時に、ライバルチームに手の内を明かすことにもなりかねない。そこで、この手の話は胸の内にしまって、代わりに、新しい幹部たちの今季にかける抱負をお伝えしたい。まずは主将の新谷太郎君から。
……今季は、2位からスタートするチーム。昨年は残念ながら、オフェンスもディフェンスも、立命に歯が立たなかった。その悔しさを忘れず、その現実を直視して、何事にもチャレンジしていくチームにしたい。
……4年生が中心となって、学年の上下関係なくチームの雰囲気を上げていく。立命に対抗するためには、チームの力を付けるしかない。そのためには、自分自身がより上のレベルを追求する姿勢で取り組み、その姿を下級生に見せるしかない。
……主将になったことで、これまで以上にファイターズの名前に恥じない行動を心掛けている。今年がアメフットをする最後の年だと思っているので、両親をはじめ、これまで支えてくださった人に感謝するためにも、勝たなければならない。そのためには、練習あるのみだと思って取り組む。
続いて、副将の古下義久君の抱負。
……まずは、新谷主将を支えていくこと。僕の考える「支える」とは、下から支えるのではなく、存在感や技術面で主将を超えに行くこと、よきライバルとなること。そのためには、僕自身が声を出して激しくプレーすることだと思っている。
……昨年の立命戦で一番悔しかったことは、ベンチでもプレーでも声が出なかったこと。やられたらシュンとしてしまう部分が大きくて、言葉がない、気持ちがない状態で負けたことが悔しい。今年は、そういう悔しさを味わいたくないので、練習の段階から僕自身が先頭に立って厳しく取り組んでいきたい。
……普段から、上下関係を気にせず、上級生も下級生も互いに厳しく要求しあえるチームにしたい。学年を問わず、間違っていることは間違っているといえる、本当の意味での信頼関係を築きたい。
もう一人の副将、亀井直樹君には取材の時間がとれなかったので、最後に主務の三井良太君の抱負を。
……なにより大切にしたいのは団結力。昨年のチームは、パートごとの自主性を重んじる余り、この面で欠けていた。オフェンスもディフェンスも、スタッフの中でも、団結ができていなかった。それでは互いに厳しいことも要求できないし、本当の意味での信頼感も生まれない。今年は、少々波紋を起こしても、言いたいことは言い合い、そこから本当の信頼を築きたい。
……これまで関学のフットボールといえば、戦術というか、ポイントをずらせて、こちらが勝てる状況を作って勝ってきた。けれども今年は、団結力にこだわり、正面から勝てる状況を作っていきたい。
……根本的な所では、どんな人間になりたいんや、ということを一人一人の部員に突き詰めさせたい。学生スポーツだから、一人一人が「一人前」の人間になってこそ価値がある。付いてこられないヤツとは徹底的に対話し、つねに「日本1の集団になりたい」という気持ちで行動したい。
◇ ◇
以上、練習の合間に時間をとってもらって取材したさわりの部分である。「今季に期す」彼らの気持ちを感じていただけただろうか。来週からまた、報告を続けたい。
もちろん、六甲山から吹き下ろす風は冷たい。たまらんほど寒い。練習を見に行くときには、しっかり着込んで、防寒対策はしているつもりだが、それでも鼻水が垂れてくる。
けれども、選手たちは元気いっぱい。体から湯気を立てている。みぞれが降ろうかという日でも半パンTシャツ姿の元気者もいるし、もう初夏のように日焼けした選手もいる。
長いご無沙汰だった。昨年11月30日、神戸のユニバースタジアムで立命に敗れた試合の報告を最後に、長い冬眠に入ったこのコラムだが、フィールドの元気な選手たちにたたき起こされる形で、今日から再開する。
もちろん、コラムは冬眠していても、僕はせっせと第3フィールドに出掛け、選手たちの表情を眺めてきた。2月、3月はまだ、パートごとの基本練習。それと走りモノである。余りにも地味だから、ボヤーと見ているだけでは面白くも何ともない。
しかしながら、僕のような素人でも、真剣に目を凝らしていると、いろんな事が見えてくる。今年にかけるチームの意気込み。コーチの取り組み。新しくリーダーになって表情が変わった選手。リベンジに燃える選手。走りモノで最後まで手を抜かない選手の姿も確認できるし、昨年や1昨年のチームが滑り出したときとの比較も興味深い。
見るべき所はいくつもある。地味でも、寒さに震えていても、この時期の練習を見るのは、楽しいのである。
これらの細部を報告すれば、それだけで興味深い読み物になりそうだ。だが、それは同時に、ライバルチームに手の内を明かすことにもなりかねない。そこで、この手の話は胸の内にしまって、代わりに、新しい幹部たちの今季にかける抱負をお伝えしたい。まずは主将の新谷太郎君から。
……今季は、2位からスタートするチーム。昨年は残念ながら、オフェンスもディフェンスも、立命に歯が立たなかった。その悔しさを忘れず、その現実を直視して、何事にもチャレンジしていくチームにしたい。
……4年生が中心となって、学年の上下関係なくチームの雰囲気を上げていく。立命に対抗するためには、チームの力を付けるしかない。そのためには、自分自身がより上のレベルを追求する姿勢で取り組み、その姿を下級生に見せるしかない。
……主将になったことで、これまで以上にファイターズの名前に恥じない行動を心掛けている。今年がアメフットをする最後の年だと思っているので、両親をはじめ、これまで支えてくださった人に感謝するためにも、勝たなければならない。そのためには、練習あるのみだと思って取り組む。
続いて、副将の古下義久君の抱負。
……まずは、新谷主将を支えていくこと。僕の考える「支える」とは、下から支えるのではなく、存在感や技術面で主将を超えに行くこと、よきライバルとなること。そのためには、僕自身が声を出して激しくプレーすることだと思っている。
……昨年の立命戦で一番悔しかったことは、ベンチでもプレーでも声が出なかったこと。やられたらシュンとしてしまう部分が大きくて、言葉がない、気持ちがない状態で負けたことが悔しい。今年は、そういう悔しさを味わいたくないので、練習の段階から僕自身が先頭に立って厳しく取り組んでいきたい。
……普段から、上下関係を気にせず、上級生も下級生も互いに厳しく要求しあえるチームにしたい。学年を問わず、間違っていることは間違っているといえる、本当の意味での信頼関係を築きたい。
もう一人の副将、亀井直樹君には取材の時間がとれなかったので、最後に主務の三井良太君の抱負を。
……なにより大切にしたいのは団結力。昨年のチームは、パートごとの自主性を重んじる余り、この面で欠けていた。オフェンスもディフェンスも、スタッフの中でも、団結ができていなかった。それでは互いに厳しいことも要求できないし、本当の意味での信頼感も生まれない。今年は、少々波紋を起こしても、言いたいことは言い合い、そこから本当の信頼を築きたい。
……これまで関学のフットボールといえば、戦術というか、ポイントをずらせて、こちらが勝てる状況を作って勝ってきた。けれども今年は、団結力にこだわり、正面から勝てる状況を作っていきたい。
……根本的な所では、どんな人間になりたいんや、ということを一人一人の部員に突き詰めさせたい。学生スポーツだから、一人一人が「一人前」の人間になってこそ価値がある。付いてこられないヤツとは徹底的に対話し、つねに「日本1の集団になりたい」という気持ちで行動したい。
◇ ◇
以上、練習の合間に時間をとってもらって取材したさわりの部分である。「今季に期す」彼らの気持ちを感じていただけただろうか。来週からまた、報告を続けたい。
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