石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
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(10)部活の友は生涯の友
投稿日時:2010/06/09(水) 09:03
先週の土曜日、関西学院会館で米田満先生ご夫妻の「金婚を祝う会」が催された。ファイターズの古いOBをはじめ、関学体育会のOBら約230人が出席し、ご結婚50周年の佳き日を祝った。
ファイターズの活動から離れられて久しいが、先生は草創期の関学アメリカンを支えられた名選手。1946年に入学してアメリカンフットボールを始め、小柄だが闘志あふれるQBとして活躍。48年、慶応を破って初めて甲子園ボウルを制覇、翌年も主将として慶応を破り、2連覇を果たされた。
卒業後はすぐにコーチとなり、55年から65年までは監督。大学の教授も96年の定年まで勤められた。その間、関学体育会OBの結束を図る「体育会OB倶楽部」、現在の「KGAA」を立ち上げて幹事長を25年間務められた。いまも続く総合関関戦の創設、「関西学院スポーツ史話~神戸・原田の森篇」の刊行など、関学スポーツに対する功績は数え切れない。2004年には、アメフットに対する貢献が評価されて「アメリカンフットボールの殿堂」入りの栄誉も受けられた。
大学では体育の授業を担当しておられたから、部活とは関係なく顔をご存じの卒業生も多いだろう。
そんな先生にお世話になった面々が一堂に会し、金婚の佳き日を祝う集いである。にぎやかなことこの上ない。関学出身でオリンピックに出場された馬術部の佐々信三さん(1958年卒)や平松(旧姓上野)純子さん(65年卒)があいさつに立たれ、米田先生によるこの50年の回顧談で盛り上がった。
ファイターズからもOB会長の奥井常夫さん(65年卒)が発起人に名を連ね、同期の小笠原秀宜さんが会の司会を担当された。在学4年間に甲子園ボウル4連覇という偉業を達成された学年の主将で、後に監督もされた木谷直行さん(57年卒)やその同期の丹生恭治さんの顔も見える。
ボクシング部やヨット部、馬術部やフェンシング部という、普段ファイターズにだけ顔を出している人間にとっては、ほとんど縁のないクラブの卒業生も大勢参加されている。関西大や同志社大の関係者の顔も見える。先生の顔の広さがそのまま集まった方々の幅の広さである。
そのにぎやかな顔ぶれを前に、先生はこんなエピソードを紹介された。
――僕が入部したときは、部員が11人しかおらへん。主将の松本さんから「一人でも欠けたら試合ができひん。上も下もない。みんな仲良うやろう」といわれた。そのころからですね。関学のアメリカンに上級生がグラウンドの整備などの仕事を率先してやり、下級生を大事にする伝統ができたのは。僕も中学部の生徒を大事にして、仲間に入れ、一緒にアメリカンやろうな、と声をかけたものです――。
繰り返すが、先生が入部されたのは昭和でいえば21年。戦争が終わった翌年である。世間には、まだ旧軍にならった上下関係が幅をきかし、軍隊帰りの学生も少なくなかった。指導者にも軍事教練の体験者が多く、部活動でも理屈よりもビンタという風潮が支配していた。いまなお体育会の代名詞のようにいわれる悪しき上下関係や下級生いじめは、そのころの名残りといってもよいだろう。
ところがファイターズには、そういう理不尽な制裁はない。それは戦後すぐ、米田先生が入部されたころのチーム事情から生まれたものであり、当時の主将が「すべての部員をチームメートとして大事にする」という確固たる信念を持ち、それを実行されたことから始まった。それがチームのよき伝統として、脈々として受け継がれてきたのである。
そんな話を聞きながら、卒業後50年、60年がたっても、一瞬のうちに現役時代にタイムスリップして、半世紀も前の話を昨日の出来事のように話し合える関係について考えていた。
結論は簡単。高い目標に向かって、お互いに死ぬほどの練習をし、苦労も喜びも極限まで共にしてきた仲間だからこそである。同じ苦しい場面、同じうれしい場面を極限状態で共有してきた関係があって初めて、瞬時にその場面にタイムスリップできるからである。部活の友は生涯の友、というのは、そういう関係があって初めて生まれる。
ファイターズはいま200人を超える大所帯。活動内容も、練習の取り組みも、米田先生や木谷さん、奥井さんの時代とは様変わりしている。けれども、日本1という高い目標に向かって活動する以上、死ぬほど努力し、苦労も喜びも極限まで共にするという関係が大切なことは、変わらないはずだ。互いに叱咤激励、切磋琢磨し、部活の友は生涯の友と言い切れる関係を築いてほしい。
ファイターズの活動から離れられて久しいが、先生は草創期の関学アメリカンを支えられた名選手。1946年に入学してアメリカンフットボールを始め、小柄だが闘志あふれるQBとして活躍。48年、慶応を破って初めて甲子園ボウルを制覇、翌年も主将として慶応を破り、2連覇を果たされた。
卒業後はすぐにコーチとなり、55年から65年までは監督。大学の教授も96年の定年まで勤められた。その間、関学体育会OBの結束を図る「体育会OB倶楽部」、現在の「KGAA」を立ち上げて幹事長を25年間務められた。いまも続く総合関関戦の創設、「関西学院スポーツ史話~神戸・原田の森篇」の刊行など、関学スポーツに対する功績は数え切れない。2004年には、アメフットに対する貢献が評価されて「アメリカンフットボールの殿堂」入りの栄誉も受けられた。
大学では体育の授業を担当しておられたから、部活とは関係なく顔をご存じの卒業生も多いだろう。
そんな先生にお世話になった面々が一堂に会し、金婚の佳き日を祝う集いである。にぎやかなことこの上ない。関学出身でオリンピックに出場された馬術部の佐々信三さん(1958年卒)や平松(旧姓上野)純子さん(65年卒)があいさつに立たれ、米田先生によるこの50年の回顧談で盛り上がった。
ファイターズからもOB会長の奥井常夫さん(65年卒)が発起人に名を連ね、同期の小笠原秀宜さんが会の司会を担当された。在学4年間に甲子園ボウル4連覇という偉業を達成された学年の主将で、後に監督もされた木谷直行さん(57年卒)やその同期の丹生恭治さんの顔も見える。
ボクシング部やヨット部、馬術部やフェンシング部という、普段ファイターズにだけ顔を出している人間にとっては、ほとんど縁のないクラブの卒業生も大勢参加されている。関西大や同志社大の関係者の顔も見える。先生の顔の広さがそのまま集まった方々の幅の広さである。
そのにぎやかな顔ぶれを前に、先生はこんなエピソードを紹介された。
――僕が入部したときは、部員が11人しかおらへん。主将の松本さんから「一人でも欠けたら試合ができひん。上も下もない。みんな仲良うやろう」といわれた。そのころからですね。関学のアメリカンに上級生がグラウンドの整備などの仕事を率先してやり、下級生を大事にする伝統ができたのは。僕も中学部の生徒を大事にして、仲間に入れ、一緒にアメリカンやろうな、と声をかけたものです――。
繰り返すが、先生が入部されたのは昭和でいえば21年。戦争が終わった翌年である。世間には、まだ旧軍にならった上下関係が幅をきかし、軍隊帰りの学生も少なくなかった。指導者にも軍事教練の体験者が多く、部活動でも理屈よりもビンタという風潮が支配していた。いまなお体育会の代名詞のようにいわれる悪しき上下関係や下級生いじめは、そのころの名残りといってもよいだろう。
ところがファイターズには、そういう理不尽な制裁はない。それは戦後すぐ、米田先生が入部されたころのチーム事情から生まれたものであり、当時の主将が「すべての部員をチームメートとして大事にする」という確固たる信念を持ち、それを実行されたことから始まった。それがチームのよき伝統として、脈々として受け継がれてきたのである。
そんな話を聞きながら、卒業後50年、60年がたっても、一瞬のうちに現役時代にタイムスリップして、半世紀も前の話を昨日の出来事のように話し合える関係について考えていた。
結論は簡単。高い目標に向かって、お互いに死ぬほどの練習をし、苦労も喜びも極限まで共にしてきた仲間だからこそである。同じ苦しい場面、同じうれしい場面を極限状態で共有してきた関係があって初めて、瞬時にその場面にタイムスリップできるからである。部活の友は生涯の友、というのは、そういう関係があって初めて生まれる。
ファイターズはいま200人を超える大所帯。活動内容も、練習の取り組みも、米田先生や木谷さん、奥井さんの時代とは様変わりしている。けれども、日本1という高い目標に向かって活動する以上、死ぬほど努力し、苦労も喜びも極限まで共にするという関係が大切なことは、変わらないはずだ。互いに叱咤激励、切磋琢磨し、部活の友は生涯の友と言い切れる関係を築いてほしい。
(9)心に刻む試合
投稿日時:2010/06/02(水) 09:10
毎年のことだが、京大との試合は見応えがある。日曜日に王子スタジアムで行われた試合も、本当に面白かった。
まず、得点経過だけを追ってみよう。
ファイターズのレシーブで始まったこの試合、第1プレーはQB加藤からピッチを受けたRB松岡が左オープンを駆け上がって7ヤード。続いて加藤からWR春日へのパスがヒットしてダウン更新。次は、第3ダウンロングの場面で再び加藤から春日へ35ヤードのパスが通ってゴール前5ヤード。そこで松岡がスピード豊かに駆け上がりTD。大西のキックも決まって7点を先制。
次の京大の攻撃を守備陣が完封して、再び自陣49ヤードからファイターズの攻撃。いきなり加藤からWR松原に34ヤードのパスが通ってゴール前17ヤード。しかし、ここからが押し切れない。フィールドゴールもブロックされて得点ならず。意気上がる京大はここでQB今村からエースレシーバーの坂田にミドルパス。坂田が80ヤードを独走して一気にTD。同点である。
次のファイターズの攻撃。加藤のスクランブル、松岡やRB今村、久司のランで、たちまちゴール前に詰め寄る。しかし、ここでも最後の詰めが決まらず、大西の30ヤードFGで3点を獲得しただけに終わった。
続く京大の攻撃シリーズ。第2ダウンで相手の投げたパスをDB吉井がインターセプト。ファイターズは相手陣27ヤードからの攻撃権を獲得した。その第1プレーで相手がパスインターフェアーの反則。ゴール前14ヤードの好位置からの攻撃が始まる。しかし、ここでファイターズのOLが2度続けてホールディングを犯し、計20ヤードの罰退。結局このシリーズも大西の39ヤードFGに終わった。攻めても攻めても、TDにつながらないもどかしさが募る。
すかっとしたのは、京大の次の攻撃をディフェンスが完封してつかんだ次の攻撃シリーズ。いきなり加藤から松原への40ヤードパスがヒット。続けて春日へのパスも通って相手ゴール前24ヤード。仕上げは松岡。持ち前の快足で中央を駆け抜けTD。ファイターズの武器である加藤のパス、WR陣の高さとスピード、そして松岡のスピードがかみ合った鮮やかな攻めだった。
これで落ち着いたのか、ファイターズは第2Q終了直前、相手パントを確保した稲村が70ヤードをリターンしてTD。京大を突き放した。
後半は京大のレシーブで試合再開。しかし第2プレーで相手QBがファンブルしたボールをLB川端が確保して、ファイターズの攻撃。ここでQBは3年生の糟谷に交代。相手陣42ヤードからいきなり松原にロングパスを投げた。これは惜しくも相手守備陣にカットされたが、次は自らキープして右オープンを駆け上がりTD。42ヤードを一気に走りきった目の覚めるようなプレーだった。
これで落ち着いたのか、糟谷はWR和田への21ヤードTDパスを決めるなど大活躍。セーフティーを呼び込むDL朝倉のQBサックや久司の80ヤードキックオフリターンTDなどのビッグプレーも飛び出し、試合は決まった。
このように得点経過だけを追っていくと、ファイターズがいいところばかりを見せた試合だと思われそうだ。しかし、実際に試合を見ていると、京大はそんなに甘い相手ではなかった。
まず守備ラインの当たりが強い。中央のランプレーがほとんど出ていなかったのがその証拠である。もちろんRBが独走する場面は何度もあったが、それは松岡、久司、稲村という昨年から試合経験を積んだスピードランナーたちの、個人の能力によるところが大きい。松原や春日へのパスが要所で決まったが、これまた加藤という極め付けのQBがいるからである。ラインが押し勝って走路を開き、そこをランナーが駆け上がるという形はほとんどできていなかった。
守備にも不安が残った。ラインは相手を支配していたが、エースレシーバー坂田へのパスが防げない。ごりごり中央を突いてくる相手のランにも手を焼いていた。この試合ではタイトエンドへのパスやQBのランプレーをほとんど見せなかったが、そこは京大。秋には様々な工夫をして臨んでくるはずだ。投げて来ると分かっているパスを防げず、中央を突いてくると分かっているランに苦しめられているようでは、相手が戦術を工夫してくると、昨年秋のリーグで苦戦した構図がそのまま再現される恐れがある。
そういう意味では、秋に向けてファイターズが取り組むべき課題を明確にしてもらった試合だった。反則の多さを克服することも、大きな宿題である。
一人ひとり、固有名詞を挙げる余裕はなかったが、2番手で登場した控えメンバーたちの活躍とともに、心に刻んでおきたい試合だった。
まず、得点経過だけを追ってみよう。
ファイターズのレシーブで始まったこの試合、第1プレーはQB加藤からピッチを受けたRB松岡が左オープンを駆け上がって7ヤード。続いて加藤からWR春日へのパスがヒットしてダウン更新。次は、第3ダウンロングの場面で再び加藤から春日へ35ヤードのパスが通ってゴール前5ヤード。そこで松岡がスピード豊かに駆け上がりTD。大西のキックも決まって7点を先制。
次の京大の攻撃を守備陣が完封して、再び自陣49ヤードからファイターズの攻撃。いきなり加藤からWR松原に34ヤードのパスが通ってゴール前17ヤード。しかし、ここからが押し切れない。フィールドゴールもブロックされて得点ならず。意気上がる京大はここでQB今村からエースレシーバーの坂田にミドルパス。坂田が80ヤードを独走して一気にTD。同点である。
次のファイターズの攻撃。加藤のスクランブル、松岡やRB今村、久司のランで、たちまちゴール前に詰め寄る。しかし、ここでも最後の詰めが決まらず、大西の30ヤードFGで3点を獲得しただけに終わった。
続く京大の攻撃シリーズ。第2ダウンで相手の投げたパスをDB吉井がインターセプト。ファイターズは相手陣27ヤードからの攻撃権を獲得した。その第1プレーで相手がパスインターフェアーの反則。ゴール前14ヤードの好位置からの攻撃が始まる。しかし、ここでファイターズのOLが2度続けてホールディングを犯し、計20ヤードの罰退。結局このシリーズも大西の39ヤードFGに終わった。攻めても攻めても、TDにつながらないもどかしさが募る。
すかっとしたのは、京大の次の攻撃をディフェンスが完封してつかんだ次の攻撃シリーズ。いきなり加藤から松原への40ヤードパスがヒット。続けて春日へのパスも通って相手ゴール前24ヤード。仕上げは松岡。持ち前の快足で中央を駆け抜けTD。ファイターズの武器である加藤のパス、WR陣の高さとスピード、そして松岡のスピードがかみ合った鮮やかな攻めだった。
これで落ち着いたのか、ファイターズは第2Q終了直前、相手パントを確保した稲村が70ヤードをリターンしてTD。京大を突き放した。
後半は京大のレシーブで試合再開。しかし第2プレーで相手QBがファンブルしたボールをLB川端が確保して、ファイターズの攻撃。ここでQBは3年生の糟谷に交代。相手陣42ヤードからいきなり松原にロングパスを投げた。これは惜しくも相手守備陣にカットされたが、次は自らキープして右オープンを駆け上がりTD。42ヤードを一気に走りきった目の覚めるようなプレーだった。
これで落ち着いたのか、糟谷はWR和田への21ヤードTDパスを決めるなど大活躍。セーフティーを呼び込むDL朝倉のQBサックや久司の80ヤードキックオフリターンTDなどのビッグプレーも飛び出し、試合は決まった。
このように得点経過だけを追っていくと、ファイターズがいいところばかりを見せた試合だと思われそうだ。しかし、実際に試合を見ていると、京大はそんなに甘い相手ではなかった。
まず守備ラインの当たりが強い。中央のランプレーがほとんど出ていなかったのがその証拠である。もちろんRBが独走する場面は何度もあったが、それは松岡、久司、稲村という昨年から試合経験を積んだスピードランナーたちの、個人の能力によるところが大きい。松原や春日へのパスが要所で決まったが、これまた加藤という極め付けのQBがいるからである。ラインが押し勝って走路を開き、そこをランナーが駆け上がるという形はほとんどできていなかった。
守備にも不安が残った。ラインは相手を支配していたが、エースレシーバー坂田へのパスが防げない。ごりごり中央を突いてくる相手のランにも手を焼いていた。この試合ではタイトエンドへのパスやQBのランプレーをほとんど見せなかったが、そこは京大。秋には様々な工夫をして臨んでくるはずだ。投げて来ると分かっているパスを防げず、中央を突いてくると分かっているランに苦しめられているようでは、相手が戦術を工夫してくると、昨年秋のリーグで苦戦した構図がそのまま再現される恐れがある。
そういう意味では、秋に向けてファイターズが取り組むべき課題を明確にしてもらった試合だった。反則の多さを克服することも、大きな宿題である。
一人ひとり、固有名詞を挙げる余裕はなかったが、2番手で登場した控えメンバーたちの活躍とともに、心に刻んでおきたい試合だった。
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