石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
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(1)お祈りの時間
投稿日時:2011/04/04(月) 18:32
ファイターズと硬式野球部、そして馬術部の諸君が練習場所にしているのが上ヶ原の第3フィールド。学生会館の裏手、浄水場の入り口付近から用水路沿いに少し南に歩き、上ヶ原の八幡さんの角を曲がった先にある。数年前にできた新しい施設で、以前練習場に使っていたグラウンドからは5分ほど坂道を上がった場所にある。古い卒業生なら、あそこは確か山だったはずでは、と記憶されているだろう。
第3フィールドに入るロータリーの正面に石造りのモニュメントがあり、そこに聖書の一節が刻まれている。「ローマの信徒への手紙」にある「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」という言葉である。
この第3フィールドで4月3日、シーズンの開幕に当たって、恒例のお祈りの時間が持たれた。式を司るのは部の顧問であり、関西学院の元宗教総主事だった前島宗甫先生である。今春入学したばかりの新入部員を含め、選手や監督、コーチらがグラウンド中央に集まり、前島先生の話に耳を傾ける。
先生は聖書を手に、モニュメントに刻まれている言葉を読み上げ、ファイターズの諸君に、苦難が忍耐を、忍耐が練達を生み、そこから明日への希望が生まれてくる、という話をされた。そして、私たちは、限界と思えることにぶつかるかもしれない、人間の弱さや小ささを思い知らされることもよくある。けれども、私たちは限界を突き抜ける力も持っている。それは求道心である。人間としていかに生きるべきか、ということを突き詰めていけば、どんなに苦しくても忍耐ができる。耐え忍び、目の前の壁を突破しようと努力し続けることで練達が生まれる。そのようにして苦しみを通り抜けて、初めて希望が生まれる。小さい自分が大きい自分になれるようになり、前に進めるようになる。そういう趣旨のことを説かれた。
僕はキリスト教の信者ではないが、この一説には心を惹かれる。ついでにいうと、モニュメントに刻まれている言葉の続きを、聖書は「希望はわたしたちを欺くことがありません」と記しており、ここまでを含めて、手帳の一番目立つところに書き込んでいる。こういう言葉があると、どんなに苦しい事態に追い込まれたときでも「明けない朝はない」と思って、また頑張る力が湧いてくるのである。
自分なりの解釈として、忍耐があって初めて、創意や工夫が生まれ、技術的な進歩や飛躍が生まれる。忍耐という過程を通り抜けない練達はあり得ないし、練達がなければ希望も生まれない。苦しいからといって、希望にすがりつくだけでは駄目である。どんなに苦い現実でも、それを直視し、それを克服するために創意、工夫を凝らし、知恵を搾る。その過程があって初めて化学反応が起き、技と呼ぶに値する練達が生まれる。
勝ちたいからといって過去の成功体験をなぞっているだけでは、競争から落伍するだけだし、第一、先人の描いた絵に色を塗っているだけでは楽しくない。絵を描くなら、どんなに下手でも自分で工夫し、想像力を駆使して初めて楽しみが生まれる。失敗も成功も自分のこととして体感できると思っている。
お祈りの時間は、冒頭の「東日本大震災」の犠牲者を悼む黙祷の時間を含めても10分足らず。けれども、この時間をファイターズの全員が共有することで、チームが挙げて今季に向けた決意を新たにするのである。今年で8年目の行事で、当初はグラウンド入り口の高台にある平郡雷太氏の記念樹と記念碑の前で、志半ばで不慮の死を遂げた平郡雷太氏に、チームとしての誓いを新たにする形で行われていた。
部員数が多くなったため、いまはグラウンドの中央に場所を移し、趣旨も多少変わってきたが、ミッションスクールとしての関西学院大学ならではの行事であり、ファイターズというチームの背骨を形作るための大切な場面でもある。前島先生の言葉を借りれば「気持ちの引き締まる」時間である。新しくチームに参加した新入生たちが、この厳粛な雰囲気の中、武者震いをするような表情で聞いていたのが印象的だった。
このお祈りの時間をもって、2011年のシーズンは始まった。僕の願いはただ一つ。ファイターズの諸君が、今季こそ大学日本1になり、新年1月3日のライスボウルで、これぞファイターズ!という戦いを繰り広げてくれることである。そのために、ささやかな力ではあるが、惜しみなく時間と汗をつぎ込み、チームに尽くしたいと決意している。
◇ ◇
新しいシーズンが開幕し、しばらく休んでいましたこのコラムも再開します。これまで同様、ご愛読を賜り、叱咤激励していただければ幸いです。
第3フィールドに入るロータリーの正面に石造りのモニュメントがあり、そこに聖書の一節が刻まれている。「ローマの信徒への手紙」にある「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」という言葉である。
この第3フィールドで4月3日、シーズンの開幕に当たって、恒例のお祈りの時間が持たれた。式を司るのは部の顧問であり、関西学院の元宗教総主事だった前島宗甫先生である。今春入学したばかりの新入部員を含め、選手や監督、コーチらがグラウンド中央に集まり、前島先生の話に耳を傾ける。
先生は聖書を手に、モニュメントに刻まれている言葉を読み上げ、ファイターズの諸君に、苦難が忍耐を、忍耐が練達を生み、そこから明日への希望が生まれてくる、という話をされた。そして、私たちは、限界と思えることにぶつかるかもしれない、人間の弱さや小ささを思い知らされることもよくある。けれども、私たちは限界を突き抜ける力も持っている。それは求道心である。人間としていかに生きるべきか、ということを突き詰めていけば、どんなに苦しくても忍耐ができる。耐え忍び、目の前の壁を突破しようと努力し続けることで練達が生まれる。そのようにして苦しみを通り抜けて、初めて希望が生まれる。小さい自分が大きい自分になれるようになり、前に進めるようになる。そういう趣旨のことを説かれた。
僕はキリスト教の信者ではないが、この一説には心を惹かれる。ついでにいうと、モニュメントに刻まれている言葉の続きを、聖書は「希望はわたしたちを欺くことがありません」と記しており、ここまでを含めて、手帳の一番目立つところに書き込んでいる。こういう言葉があると、どんなに苦しい事態に追い込まれたときでも「明けない朝はない」と思って、また頑張る力が湧いてくるのである。
自分なりの解釈として、忍耐があって初めて、創意や工夫が生まれ、技術的な進歩や飛躍が生まれる。忍耐という過程を通り抜けない練達はあり得ないし、練達がなければ希望も生まれない。苦しいからといって、希望にすがりつくだけでは駄目である。どんなに苦い現実でも、それを直視し、それを克服するために創意、工夫を凝らし、知恵を搾る。その過程があって初めて化学反応が起き、技と呼ぶに値する練達が生まれる。
勝ちたいからといって過去の成功体験をなぞっているだけでは、競争から落伍するだけだし、第一、先人の描いた絵に色を塗っているだけでは楽しくない。絵を描くなら、どんなに下手でも自分で工夫し、想像力を駆使して初めて楽しみが生まれる。失敗も成功も自分のこととして体感できると思っている。
お祈りの時間は、冒頭の「東日本大震災」の犠牲者を悼む黙祷の時間を含めても10分足らず。けれども、この時間をファイターズの全員が共有することで、チームが挙げて今季に向けた決意を新たにするのである。今年で8年目の行事で、当初はグラウンド入り口の高台にある平郡雷太氏の記念樹と記念碑の前で、志半ばで不慮の死を遂げた平郡雷太氏に、チームとしての誓いを新たにする形で行われていた。
部員数が多くなったため、いまはグラウンドの中央に場所を移し、趣旨も多少変わってきたが、ミッションスクールとしての関西学院大学ならではの行事であり、ファイターズというチームの背骨を形作るための大切な場面でもある。前島先生の言葉を借りれば「気持ちの引き締まる」時間である。新しくチームに参加した新入生たちが、この厳粛な雰囲気の中、武者震いをするような表情で聞いていたのが印象的だった。
このお祈りの時間をもって、2011年のシーズンは始まった。僕の願いはただ一つ。ファイターズの諸君が、今季こそ大学日本1になり、新年1月3日のライスボウルで、これぞファイターズ!という戦いを繰り広げてくれることである。そのために、ささやかな力ではあるが、惜しみなく時間と汗をつぎ込み、チームに尽くしたいと決意している。
◇ ◇
新しいシーズンが開幕し、しばらく休んでいましたこのコラムも再開します。これまで同様、ご愛読を賜り、叱咤激励していただければ幸いです。
(31)敗退
投稿日時:2010/12/06(月) 10:49
負けました。今年のチームには力がある。その力を出し切れば、絶対に勝てる。そう信じ切っていた僕には、衝撃的な敗戦。このコラムを書く気力さえ失せてしまうほどのつらい結末でした。
いやな予感はありました。6日前、リーグ戦の最後に戦った関大の「負けっぷり」にあまりに余裕があったからです。前半に早々とリードされ、後半に入っても、関学の守備陣に対応できないと見ると、彼らはさっさとその日の試合の目的を変更。無理して追いつき、逆転しようとするよりも、ファイターズの戦術を見極め、弱点を探ることに集中していたかのように見えました。
案の定でした。リーグ戦最終の試合から6日後に再開した代表決定戦では、彼らはファイターズのランプレーを止めることに集中。見事な対応をしてきました。その結果、ファイターズは中央のランプレーをことごとく止められ、攻撃は次第に手詰まりになっていきます。エースの松岡君が負傷で退いた後は、ますますプレーの幅が狭くなり、わずかにRB稲村君へショベルパスだけが進むというありさまです。
もともと関大は、能力の高いDB陣を中心に、ファイターズのパスプレーに対処するノウハウを持っているようです。それは春の関関戦で、QB加藤君からWR松原君への長いパスがことごとく封じられたことをみても、証明されています。あとはランアタックを止めれば、短いパスを少々通されても、ロースコアの戦いに持ち込めると見極めたのでしょう。実際、試合後の統計をみても、ファイターズのラン攻撃をわずか26ヤードに封じ込めています。
これに対して、ファイターズの戦いはどうだったでしょう。記録を見ると、タイブレークを含め、パスは21回投げて成功15回、獲得距離は151ヤード。一方、ランは32回の攻撃で26ヤードです。関大の守備陣がファイターズのランアタックを完封したといってもよいでしょう。
結局、試合は互いにフィールドゴール(FG)で3点を獲得しただけで延長戦。互いにゴール前25ヤードから攻めるタイブレークにもつれ込みました。延長戦になると、ランプレーを完封していることが関大には自信になり、ファイターズにとっては、大いなる気がかりだったと思います。
実際、最初の攻防では、先攻のファイターズが関大のアグレッシブな守備に陣地を後退させられ、52ヤードからFGを狙わなければならないことになりました。飛距離も正確性もあるK大西君でも、この距離は厳しい。わずかに届かず、後攻めの関大が圧倒的な優位に立ちました。
しかし、この場面で主将の平澤君を中心に守備陣が奮起、38ヤードからトライした相手のFGを見事にブロックし、失点を食い止めました。
延長戦2度目の攻撃。ファイターズは加藤君から松原君へのパス、稲村君へのショベルパスで相手ゴール前2ヤード、ダウン更新まで約1ヤードと迫りました。この距離を中央のランプレーで突破しようとしますが、それが失敗。結局、FGに追い込まれます。大西君がそれを成功させましたが、得点は3点にとどまりました。逆に、関大は5ヤードのランとゴール前2ヤードに迫るパスでダウンを更新。今度は中央のランを一発で決めてTD。堂々の勝利を収めました。
試合後、鳥内監督は「僕の判断ミス(第4Qゴール前14ヤードからの攻撃でFGを狙わず、K大西君を走らせるギャンブルプレーが失敗した場面)を含め、プレー選択のミスが多過ぎました。あれでは勝てません」と述べ、悔しい気持ちを抑えきれない様子でした。
例えば、さきのゴール前2ヤード、ダウン更新まで1ヤードという場面です。中央のプレーがなぜ止められたのか。この試合でもショートヤードを何回か止められていました。別の選択肢はなかったのでしょうか。
ファイターズには加藤君という有能なQBがおり、レシーバーにも人材がそろっています。ランとパスを駆使して相手を幻惑させる多彩なプレーも持っています。なぜ、それが有効に機能しなかったのでしょうか。もちろん、そこには部外者の知りえない戦術的な状況や判断が絡み合っていると思います。結果論で言うべきことではないということも頭では理解しています。
ただ、ファイターズは、少なくともこの十数年、たとえ戦力的に劣勢を強いられているとしても、彼我の戦力や士気の高さを冷静に見極めて戦術を選び、相手に力を発揮させないまま勝機を見つけることのできるチームでした。悔しいけれど、今年はその芸が見られないままの敗退。攻守とも死力を尽くして戦ってくれただけに、心残りのある敗戦でした。来シーズンの巻き返しに期待しています。
◇ ◇
ファイターズの敗退をもって、今季の「スタンドから」は終了します。もっともっと長いシーズンになることを期待していましたが、残念です。この悔しさを抱きしめ、来年こそ、という気持ちで雌伏します。
来春、またお目にかかりましょう。ご愛読ありがとうございました。
いやな予感はありました。6日前、リーグ戦の最後に戦った関大の「負けっぷり」にあまりに余裕があったからです。前半に早々とリードされ、後半に入っても、関学の守備陣に対応できないと見ると、彼らはさっさとその日の試合の目的を変更。無理して追いつき、逆転しようとするよりも、ファイターズの戦術を見極め、弱点を探ることに集中していたかのように見えました。
案の定でした。リーグ戦最終の試合から6日後に再開した代表決定戦では、彼らはファイターズのランプレーを止めることに集中。見事な対応をしてきました。その結果、ファイターズは中央のランプレーをことごとく止められ、攻撃は次第に手詰まりになっていきます。エースの松岡君が負傷で退いた後は、ますますプレーの幅が狭くなり、わずかにRB稲村君へショベルパスだけが進むというありさまです。
もともと関大は、能力の高いDB陣を中心に、ファイターズのパスプレーに対処するノウハウを持っているようです。それは春の関関戦で、QB加藤君からWR松原君への長いパスがことごとく封じられたことをみても、証明されています。あとはランアタックを止めれば、短いパスを少々通されても、ロースコアの戦いに持ち込めると見極めたのでしょう。実際、試合後の統計をみても、ファイターズのラン攻撃をわずか26ヤードに封じ込めています。
これに対して、ファイターズの戦いはどうだったでしょう。記録を見ると、タイブレークを含め、パスは21回投げて成功15回、獲得距離は151ヤード。一方、ランは32回の攻撃で26ヤードです。関大の守備陣がファイターズのランアタックを完封したといってもよいでしょう。
結局、試合は互いにフィールドゴール(FG)で3点を獲得しただけで延長戦。互いにゴール前25ヤードから攻めるタイブレークにもつれ込みました。延長戦になると、ランプレーを完封していることが関大には自信になり、ファイターズにとっては、大いなる気がかりだったと思います。
実際、最初の攻防では、先攻のファイターズが関大のアグレッシブな守備に陣地を後退させられ、52ヤードからFGを狙わなければならないことになりました。飛距離も正確性もあるK大西君でも、この距離は厳しい。わずかに届かず、後攻めの関大が圧倒的な優位に立ちました。
しかし、この場面で主将の平澤君を中心に守備陣が奮起、38ヤードからトライした相手のFGを見事にブロックし、失点を食い止めました。
延長戦2度目の攻撃。ファイターズは加藤君から松原君へのパス、稲村君へのショベルパスで相手ゴール前2ヤード、ダウン更新まで約1ヤードと迫りました。この距離を中央のランプレーで突破しようとしますが、それが失敗。結局、FGに追い込まれます。大西君がそれを成功させましたが、得点は3点にとどまりました。逆に、関大は5ヤードのランとゴール前2ヤードに迫るパスでダウンを更新。今度は中央のランを一発で決めてTD。堂々の勝利を収めました。
試合後、鳥内監督は「僕の判断ミス(第4Qゴール前14ヤードからの攻撃でFGを狙わず、K大西君を走らせるギャンブルプレーが失敗した場面)を含め、プレー選択のミスが多過ぎました。あれでは勝てません」と述べ、悔しい気持ちを抑えきれない様子でした。
例えば、さきのゴール前2ヤード、ダウン更新まで1ヤードという場面です。中央のプレーがなぜ止められたのか。この試合でもショートヤードを何回か止められていました。別の選択肢はなかったのでしょうか。
ファイターズには加藤君という有能なQBがおり、レシーバーにも人材がそろっています。ランとパスを駆使して相手を幻惑させる多彩なプレーも持っています。なぜ、それが有効に機能しなかったのでしょうか。もちろん、そこには部外者の知りえない戦術的な状況や判断が絡み合っていると思います。結果論で言うべきことではないということも頭では理解しています。
ただ、ファイターズは、少なくともこの十数年、たとえ戦力的に劣勢を強いられているとしても、彼我の戦力や士気の高さを冷静に見極めて戦術を選び、相手に力を発揮させないまま勝機を見つけることのできるチームでした。悔しいけれど、今年はその芸が見られないままの敗退。攻守とも死力を尽くして戦ってくれただけに、心残りのある敗戦でした。来シーズンの巻き返しに期待しています。
◇ ◇
ファイターズの敗退をもって、今季の「スタンドから」は終了します。もっともっと長いシーズンになることを期待していましたが、残念です。この悔しさを抱きしめ、来年こそ、という気持ちで雌伏します。
来春、またお目にかかりましょう。ご愛読ありがとうございました。
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