石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
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(3)JV戦の二つの光景
投稿日時:2011/04/21(木) 01:57
今季、待望の初戦はJV戦。大阪産業大学を上ヶ原の第3フィールドに迎えて、期待される新戦力が次々に登場した。
まず目についたのは、2年生RB雑賀(高等部)。第1Q5分過ぎ、ゴール前2ヤードを走って先制のタッチダウン(TD)を獲得したのを皮切りに、第3Qに13ヤードの独走TD、第4QにはとどめのTDを決め、ベンチの期待に応えた。高等部では野球部。チームでも1、2を争う足の速さが魅力で、鳥内監督も1年生の時から期待していた。
だが、1年生の時は、まだアメフット選手としての体が出来ておらず、激しいコンタクトにも戸惑いを隠せない様子。秋のリーグ戦ではたまに起用されたが、そのスピードを生かす場面はなかった。
それがひと冬を越して一変した。体が一回り大きくなり、密集の中に突進していくことを怖がらなくなった。ボールを持ってからの視野も広がったようで、この日は相手守備陣を巧みにかわし、持ち前のスピードで抜き去る場面が何度もあった。獲得ヤードは12回で71ヤード。175センチ、72キロとファイターズのRBの中では体も大きく、今後、試合経験を積んでいけば大いに期待できそうだ。
レシーバーでは、3年生の岸本(高等部)と森本(啓明学院)の動きが目についた。それぞれ急所でミドルパスを何度も確保し、確実に陣地を進めた。人材がそろっている先発陣の中に割って入るのは大変だろうが、WRは何人いても出番はある。今後の活躍に注目したい。
QBは前半が3年生の畑(高等部)、第3Q後半から2年生の橘(高等部)。この日は、両チームが事前に話し合って「QBへのタックルは禁止」という特別ルールで臨んだため、比較的自由に動けたはずだが、二人の出来は明暗を分けた。畑はパス中心で攻めたが、レシーバーとのタイミングが合わず、なかなかパスが通らない。逆に橘は、ラン中心のプレーコールだったが、ときおり交える短いパスが次々とヒットした。
昨年からときおり試合に出ていた畑はともかく、橘はほとんど試合に出ることがなかった選手。秋のシーズンもスカウトチームのQBとして、ひたすら守備陣を鍛えるためにパスを投げていた。
そんな選手だったが、この日は違った。最初は、基本に忠実なハンドオフを繰り返し、ランプレーで陣地を進める。試合の雰囲気に慣れてくると、今度は立て続けにパスを投げた。ランが進んでいたから、パスも通る。14回投げて94ヤードを獲得、2本のTDをもぎ取った。
守備で目についたのは、鋭い出足で再三相手QBに襲いかかったDLの3年生、朝倉(武蔵工大付)と2年生の中前(高等部)。DL陣も層が厚いが、この日のような動きができれば、二人とも先発の一角に割って入ることが期待できる。春のシーズンを通じて、その成長に期待したい。
DB陣では、2年生大森(関西大倉)のいかにもアスリートらしい鋭い動きと、同じく2年生鳥内(高等部)の相手レシーバーに対する執拗なマークが印象に残った。
このように、活躍した選手の名前を並べ立てていくと、今季のファイターズは大いに期待できる、と思われた方が多いだろう。ところが、見る人が見たら、また別の景色が広がっていたようだ。例えば、武田建先生の目に写った光景。この日のレシーバー陣の出来栄えには、大いに不満があったという。
試合直後、顔を合わせるなり「手に当てたボールを落とすのはレシーバーの責任。30年前の私なら、頭から湯気を立てて怒鳴ってましたよ」。言葉も顔つきも穏やかだったが、内容は辛らつだ。フレッシュマンレシーバーの指南役として、ずっと練習を見守ってこられただけに、教え子たちのこの日の状態には我慢がならなかったのだろう。鳥内監督に「レシーバーにアフター(練習)をやらせてよろしいですか」と了解を求め、試合を終えたばかりの選手を集めてパスキャッチの練習を始められた。
普段の試合ではなかなか目にすることのない光景。それを眺めながら、10数年前、和歌山県の高校野球界であった出来事を思い出した。それは、夏の高校野球和歌山大会の準々決勝が終わった日の夕刻のこと。優勝候補の本命に挙げられていた智弁和歌山高校の選手たちは準々決勝を戦った直後に学校のグラウンドに集合、高島監督からアフター練習を強制された。部内からは「試合を終えたばかりの選手に練習を強制するなんて、体を壊しますよ」と反対する声もあったそうだが、監督は「それで壊れるような選手なら仕方がない。甲子園で優勝する、という目標を立てた以上、それにふさわしいチームを作らなければならない。今日のようなふがいない戦い方では、和歌山では勝てても甲子園では勝てない」と練習を強行したという。
和歌山大会終了後、当の選手からその時の様子を聞いて「高校生を相手に、そこまでやるか」と半ばあきれ、半ば感心したことだった。ちなみにその年、智弁和歌山は当然のように全国選手権大会に出場。決勝で平安を破って初優勝し、優勝旗を和歌山に持ち帰った。いま楽天にいる中谷捕手が主将、近鉄に入団した高塚投手が主戦だった時である。
ファイターズが試合後の選手を集めて「アフター練習」をするなんて、少なくともこの数年は見たことがない。でも、17日の第3フィールドでは、レシーバーのパートだけとはいえ、その練習が実現した。そによって技量が向上したかどうかはしらない。しかし、「鉄は熱いうちに打て」という。少なくとも、あえて試合後の練習を強要された武田先生の熱意が選手たちの気持ちを揺るがせたことだけは確かである。
まず目についたのは、2年生RB雑賀(高等部)。第1Q5分過ぎ、ゴール前2ヤードを走って先制のタッチダウン(TD)を獲得したのを皮切りに、第3Qに13ヤードの独走TD、第4QにはとどめのTDを決め、ベンチの期待に応えた。高等部では野球部。チームでも1、2を争う足の速さが魅力で、鳥内監督も1年生の時から期待していた。
だが、1年生の時は、まだアメフット選手としての体が出来ておらず、激しいコンタクトにも戸惑いを隠せない様子。秋のリーグ戦ではたまに起用されたが、そのスピードを生かす場面はなかった。
それがひと冬を越して一変した。体が一回り大きくなり、密集の中に突進していくことを怖がらなくなった。ボールを持ってからの視野も広がったようで、この日は相手守備陣を巧みにかわし、持ち前のスピードで抜き去る場面が何度もあった。獲得ヤードは12回で71ヤード。175センチ、72キロとファイターズのRBの中では体も大きく、今後、試合経験を積んでいけば大いに期待できそうだ。
レシーバーでは、3年生の岸本(高等部)と森本(啓明学院)の動きが目についた。それぞれ急所でミドルパスを何度も確保し、確実に陣地を進めた。人材がそろっている先発陣の中に割って入るのは大変だろうが、WRは何人いても出番はある。今後の活躍に注目したい。
QBは前半が3年生の畑(高等部)、第3Q後半から2年生の橘(高等部)。この日は、両チームが事前に話し合って「QBへのタックルは禁止」という特別ルールで臨んだため、比較的自由に動けたはずだが、二人の出来は明暗を分けた。畑はパス中心で攻めたが、レシーバーとのタイミングが合わず、なかなかパスが通らない。逆に橘は、ラン中心のプレーコールだったが、ときおり交える短いパスが次々とヒットした。
昨年からときおり試合に出ていた畑はともかく、橘はほとんど試合に出ることがなかった選手。秋のシーズンもスカウトチームのQBとして、ひたすら守備陣を鍛えるためにパスを投げていた。
そんな選手だったが、この日は違った。最初は、基本に忠実なハンドオフを繰り返し、ランプレーで陣地を進める。試合の雰囲気に慣れてくると、今度は立て続けにパスを投げた。ランが進んでいたから、パスも通る。14回投げて94ヤードを獲得、2本のTDをもぎ取った。
守備で目についたのは、鋭い出足で再三相手QBに襲いかかったDLの3年生、朝倉(武蔵工大付)と2年生の中前(高等部)。DL陣も層が厚いが、この日のような動きができれば、二人とも先発の一角に割って入ることが期待できる。春のシーズンを通じて、その成長に期待したい。
DB陣では、2年生大森(関西大倉)のいかにもアスリートらしい鋭い動きと、同じく2年生鳥内(高等部)の相手レシーバーに対する執拗なマークが印象に残った。
このように、活躍した選手の名前を並べ立てていくと、今季のファイターズは大いに期待できる、と思われた方が多いだろう。ところが、見る人が見たら、また別の景色が広がっていたようだ。例えば、武田建先生の目に写った光景。この日のレシーバー陣の出来栄えには、大いに不満があったという。
試合直後、顔を合わせるなり「手に当てたボールを落とすのはレシーバーの責任。30年前の私なら、頭から湯気を立てて怒鳴ってましたよ」。言葉も顔つきも穏やかだったが、内容は辛らつだ。フレッシュマンレシーバーの指南役として、ずっと練習を見守ってこられただけに、教え子たちのこの日の状態には我慢がならなかったのだろう。鳥内監督に「レシーバーにアフター(練習)をやらせてよろしいですか」と了解を求め、試合を終えたばかりの選手を集めてパスキャッチの練習を始められた。
普段の試合ではなかなか目にすることのない光景。それを眺めながら、10数年前、和歌山県の高校野球界であった出来事を思い出した。それは、夏の高校野球和歌山大会の準々決勝が終わった日の夕刻のこと。優勝候補の本命に挙げられていた智弁和歌山高校の選手たちは準々決勝を戦った直後に学校のグラウンドに集合、高島監督からアフター練習を強制された。部内からは「試合を終えたばかりの選手に練習を強制するなんて、体を壊しますよ」と反対する声もあったそうだが、監督は「それで壊れるような選手なら仕方がない。甲子園で優勝する、という目標を立てた以上、それにふさわしいチームを作らなければならない。今日のようなふがいない戦い方では、和歌山では勝てても甲子園では勝てない」と練習を強行したという。
和歌山大会終了後、当の選手からその時の様子を聞いて「高校生を相手に、そこまでやるか」と半ばあきれ、半ば感心したことだった。ちなみにその年、智弁和歌山は当然のように全国選手権大会に出場。決勝で平安を破って初優勝し、優勝旗を和歌山に持ち帰った。いま楽天にいる中谷捕手が主将、近鉄に入団した高塚投手が主戦だった時である。
ファイターズが試合後の選手を集めて「アフター練習」をするなんて、少なくともこの数年は見たことがない。でも、17日の第3フィールドでは、レシーバーのパートだけとはいえ、その練習が実現した。そによって技量が向上したかどうかはしらない。しかし、「鉄は熱いうちに打て」という。少なくとも、あえて試合後の練習を強要された武田先生の熱意が選手たちの気持ちを揺るがせたことだけは確かである。
(2)2010年度卒業文集
投稿日時:2011/04/10(日) 22:12
2010年度の「卒業生文集」を主務の森田君が届けてくれた。卒業生42人と5年生コーチ6人がファイターズで過ごした4年間を回想し、そこで得たもの、得られなかったものなどをそれぞれ1ページずつに書き込んでいる。部内限り、部員と監督、コーチだけに配布する文集だと聞いたが、どうしても現役の部員たちに伝えておきたい内容が含まれているので、あえてこのコラムで取り上げさせていただいた。執筆された諸君の文章を断りもなく引用している点については、ご寛恕をお願いしたい。
◇ ◇
冒頭のRB稲村君勇磨君の「後輩たちへ」から、末尾の編集者、小野コーチの「後記」まで、じっくりと読んだ。読み終えてからもう2度、すべての文章を読み返した。涙がにじんできた。
それぞれの文章に、ファイターズに身を置いた部員たちの喜怒哀楽が赤裸々に綴られていた。後悔、無念、教訓、悔しさ、反省、そしてどうしても後輩に書き残しておきたいという執念。書いているうちに感情が押さえきれず、激情を吐露した文章もあるし、逆に、冷静に冷静にと自らに言い聞かせながら書いたような文章もある。それらがまた、筆者の素顔、ありのままを映し出している。まさに「文は人なり」。その人格までを暴露しているといっても過言ではない。
この文章を綴ることで、部員たちはまた一段、人生の階段を上ったのではないか。一回り大きくなったのではないか。例えば、けがのために最終学年を不本意なままに終えた悔しさ。決定的な局面でミスした後悔。自分の取り組みや意志の弱さに対する反省。優秀な後輩にポジションを奪われる悲哀、選手からスタッフへの配置転換を言い渡された時の落胆。まだ20歳を過ぎたばかりの若者が、そうした生の感情と向き合うことは容易ではない。それを文章にまとめ、人目にさらすことは、苦行でもあろう。4年間のファイターズの暮らしを締めくくり、新たな旅立ちをするため、という目的があるとはいえ、できればその作業を回避したいという気持ちも働いたに違いない。
けれども、大半の部員がその苦行をいとわず、自らの生の感情と向き合い、自らの弱さや苦しさを文章に綴ったことは事実である。その生の感情が伝わってくるから、読む方も2度、3度と読み返し、感情を揺さぶられるのである。
例えばパントリターン(PR)のスペシャリストとして4年生の秋、華麗なリターンを何度も見せてくれた尾崎裕則君の「軌跡」。彼は天下分け目の立命戦の1プレー目で負傷、救急車で病院に搬送された。その時のことを彼はこんな風に書いている。「ベンチ裏でどれだけ泣いただろう。このためにやってきたのに、そう思うと悔しくてたまらなかった」「秋シーズン、PRリターナーとして多少でも部に貢献できたのは小野さんのおかげ。そのためにも立命戦で恩返しがしたかった。いままで僕を育ててくださった小野さんのことを思うと、申し訳なくて涙が止まらなかった」
自分が腹部に強烈なタックルを受け、病院に搬送されるという状態にありながら、なおチームに貢献できず、コーチに申し訳ない、と泣きじゃくる責任感と純情。彼はこの文章を「今という時間は今しかない。その限られた時間の中で、個人個人がチームにとって一番貢献できる場所を模索してほしい。壁にぶち当たったとしても、あきらめず、プライドを持って突き進んでほしい。頑張れ、後輩たち」という言葉で結んでいる。
5年生コーチの高野篤君は「勝ったのは俺かお前か」というタイトルで「この5年間を非常に悔いている。社会人まで残り2か月としているいま、本当にすべてのことを学ぶことができたのだろうか」と書き出す。4年生の夏、「負けてはいけない後輩」に負けて「おれはすでに用無しではないか」と悩んだことを振り返りながら、5年生コーチとしてある晩、あるコーチに「ファイターズでの苦い経験が払拭できない」胸の内を打ち明けたことを回想する。そして「なぜ私はこのように現役中からコーチと対話しようと思わなかったのか後悔していた。もし、今みたいにコーチに歩み寄っていたら、もっと自分のフットボール人生は変わっていたかもしれない」と書く。最後は、苦しみ抜いた5年間を回顧しながら、後輩に宛てて「立派な社会人となって、胸を張ってグラウンドに立てるようになりたい」と約束する。
先に挙げた尾崎君の文章とともに、200人を超す部員の中で、自分の居場所を探しあぐねている現役部員にとっては、何回読んでも身につまされる話だろう。
さらに「後輩へ」というWR松原弘樹君の文章がある。彼はそこで「本当に強いチームで立命、関大に挑めただろうか」と問いかけ「一番の敗因は選手同士、コーチたちともコミュニケーションが不足していた」と反省する。RB稲村君も「後輩たちへ」と題して、自らが関大とのプレーオフ、最後のプレーで失敗した理由を細かく分析、その時の心の動きの細部まで書き込んで「後輩たちに同じ思いをしてほしくない。この文章を複数回読んでほしい」と訴えかける。
そう、この文集は卒業していく部員たちが自らの傷をさらけ出し、血を流しながら書いた後輩への「遺言」である。後輩へ「贈る言葉」というのでは軽すぎる。卒業生の必死で伝えようとしているその重みを、松岡主将をはじめファイターズの全員がかみしめ、自らのものとして昇華してほしい。そうすれば、QB加藤翔平君が3年生の時の立命戦を回顧して綴った「1試合を通して無になれた。ただ目の前の1プレイに集中し、勝敗やプレイの成否を超えたプレイができていた」という境地、WR春日玲郁君が4年生の立命戦を回顧して書いた「加藤から投げられたボールを目で追い、いろいろな動きがはっきり見えた。タックルに来た選手に捕えられてもニーアップまでできた」「練習でやってきたことは試合になっても裏切ることはない。そう思えた」という境地にも到達できるはずだ。
そこから道は開ける。部員諸君。この文集をいつも手元に置き、毎日読んでほしい。できれば昨年度やその前の年の文集も熟読してほしい。そして、そこに書き残されている先輩たちの熱い気持ちをわが思いとして練習に生かし、鍛錬してほしい。これはファイターズが強くなるための何よりの教科書である。
◇ ◇
冒頭のRB稲村君勇磨君の「後輩たちへ」から、末尾の編集者、小野コーチの「後記」まで、じっくりと読んだ。読み終えてからもう2度、すべての文章を読み返した。涙がにじんできた。
それぞれの文章に、ファイターズに身を置いた部員たちの喜怒哀楽が赤裸々に綴られていた。後悔、無念、教訓、悔しさ、反省、そしてどうしても後輩に書き残しておきたいという執念。書いているうちに感情が押さえきれず、激情を吐露した文章もあるし、逆に、冷静に冷静にと自らに言い聞かせながら書いたような文章もある。それらがまた、筆者の素顔、ありのままを映し出している。まさに「文は人なり」。その人格までを暴露しているといっても過言ではない。
この文章を綴ることで、部員たちはまた一段、人生の階段を上ったのではないか。一回り大きくなったのではないか。例えば、けがのために最終学年を不本意なままに終えた悔しさ。決定的な局面でミスした後悔。自分の取り組みや意志の弱さに対する反省。優秀な後輩にポジションを奪われる悲哀、選手からスタッフへの配置転換を言い渡された時の落胆。まだ20歳を過ぎたばかりの若者が、そうした生の感情と向き合うことは容易ではない。それを文章にまとめ、人目にさらすことは、苦行でもあろう。4年間のファイターズの暮らしを締めくくり、新たな旅立ちをするため、という目的があるとはいえ、できればその作業を回避したいという気持ちも働いたに違いない。
けれども、大半の部員がその苦行をいとわず、自らの生の感情と向き合い、自らの弱さや苦しさを文章に綴ったことは事実である。その生の感情が伝わってくるから、読む方も2度、3度と読み返し、感情を揺さぶられるのである。
例えばパントリターン(PR)のスペシャリストとして4年生の秋、華麗なリターンを何度も見せてくれた尾崎裕則君の「軌跡」。彼は天下分け目の立命戦の1プレー目で負傷、救急車で病院に搬送された。その時のことを彼はこんな風に書いている。「ベンチ裏でどれだけ泣いただろう。このためにやってきたのに、そう思うと悔しくてたまらなかった」「秋シーズン、PRリターナーとして多少でも部に貢献できたのは小野さんのおかげ。そのためにも立命戦で恩返しがしたかった。いままで僕を育ててくださった小野さんのことを思うと、申し訳なくて涙が止まらなかった」
自分が腹部に強烈なタックルを受け、病院に搬送されるという状態にありながら、なおチームに貢献できず、コーチに申し訳ない、と泣きじゃくる責任感と純情。彼はこの文章を「今という時間は今しかない。その限られた時間の中で、個人個人がチームにとって一番貢献できる場所を模索してほしい。壁にぶち当たったとしても、あきらめず、プライドを持って突き進んでほしい。頑張れ、後輩たち」という言葉で結んでいる。
5年生コーチの高野篤君は「勝ったのは俺かお前か」というタイトルで「この5年間を非常に悔いている。社会人まで残り2か月としているいま、本当にすべてのことを学ぶことができたのだろうか」と書き出す。4年生の夏、「負けてはいけない後輩」に負けて「おれはすでに用無しではないか」と悩んだことを振り返りながら、5年生コーチとしてある晩、あるコーチに「ファイターズでの苦い経験が払拭できない」胸の内を打ち明けたことを回想する。そして「なぜ私はこのように現役中からコーチと対話しようと思わなかったのか後悔していた。もし、今みたいにコーチに歩み寄っていたら、もっと自分のフットボール人生は変わっていたかもしれない」と書く。最後は、苦しみ抜いた5年間を回顧しながら、後輩に宛てて「立派な社会人となって、胸を張ってグラウンドに立てるようになりたい」と約束する。
先に挙げた尾崎君の文章とともに、200人を超す部員の中で、自分の居場所を探しあぐねている現役部員にとっては、何回読んでも身につまされる話だろう。
さらに「後輩へ」というWR松原弘樹君の文章がある。彼はそこで「本当に強いチームで立命、関大に挑めただろうか」と問いかけ「一番の敗因は選手同士、コーチたちともコミュニケーションが不足していた」と反省する。RB稲村君も「後輩たちへ」と題して、自らが関大とのプレーオフ、最後のプレーで失敗した理由を細かく分析、その時の心の動きの細部まで書き込んで「後輩たちに同じ思いをしてほしくない。この文章を複数回読んでほしい」と訴えかける。
そう、この文集は卒業していく部員たちが自らの傷をさらけ出し、血を流しながら書いた後輩への「遺言」である。後輩へ「贈る言葉」というのでは軽すぎる。卒業生の必死で伝えようとしているその重みを、松岡主将をはじめファイターズの全員がかみしめ、自らのものとして昇華してほしい。そうすれば、QB加藤翔平君が3年生の時の立命戦を回顧して綴った「1試合を通して無になれた。ただ目の前の1プレイに集中し、勝敗やプレイの成否を超えたプレイができていた」という境地、WR春日玲郁君が4年生の立命戦を回顧して書いた「加藤から投げられたボールを目で追い、いろいろな動きがはっきり見えた。タックルに来た選手に捕えられてもニーアップまでできた」「練習でやってきたことは試合になっても裏切ることはない。そう思えた」という境地にも到達できるはずだ。
そこから道は開ける。部員諸君。この文集をいつも手元に置き、毎日読んでほしい。できれば昨年度やその前の年の文集も熟読してほしい。そして、そこに書き残されている先輩たちの熱い気持ちをわが思いとして練習に生かし、鍛錬してほしい。これはファイターズが強くなるための何よりの教科書である。
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