石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
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(17)温故知新
投稿日時:2011/08/04(木) 16:09
暑い!
さすが8月、日本の夏である。毎日、汗まみれになって過ごしている。
この炎天下、上ヶ原でチーム練習を始めたファイターズの諸君の苦労を思うと、暑いなんていってはおれないが、それでも暑いものは暑い。今年は「脱原発」に向けたささやかな意思表示として、あえてエアコンを使う時間を限定しているから、なおのことだ。
このところ、必要があって、ファイターズの歴史をあれこれと調べている。古い卒業生から話を聞き、OBの書かれた書物を片っ端から読んでいる。ここ数年の「イヤーブック」や「Fight On」を手近なところにおき、機会あるごとに目を通して、新聞記者の感覚に触れる言葉を探してもいる。
そんな中で、思うことがある。ファイターズは、本当に人に恵まれて誕生した幸せなチームであるということだ。
チームの誕生は戦前だが、すぐに「敵性スポーツ」として活動はストップさせられ、実質的な活動は太平洋戦争が終わってから。その草創期。物資もなければ、食料もない。あるのは、戦争が終わったというある種の開放感と、若くて元気な人材、そして世界とつながる関西学院という舞台だけ。そういう中からの再スタートだった。
だが、調べを進めていくうちに、このチームはその時々に必要な人材を次々に得て、その「人々の力」でチームを育ててきたということを実感した。その後のチームの歩みを知っている僕は、草創期に人に恵まれたことが、どれほどの力になったことかと思い知ったのである。
このことについては、また別の機会に書くが、いまここでいっておきたいのは、ファイターズ(当時はまだこの名前はなかったが)においては、勝利のために必要な事柄がすべて草創期から、その芽を吹いていること。チーム運営の方針を確立することの必要性、リクルート、戦術の導入、相手チームの情報収集、そして指導者の確保。そういったことにいち早く注目し、そのために必要な行動を次々と起こしていること。そういう希有なチームだったということである。
その徹底度には差があるかもしれないが、いまではどこのチームもやっているそういった事柄に、草創期から取り組み、それを実行してきたというのはただごとではない。それを、周囲の大人からいわれてではなく、チームを構成する学生自らが自主的、自発的に実行してきたことを知ると、これはアメリカンフットボールという枠を越え、人間の成長、発達から、教育ということの本質にまで及ぶ壮大な物語であるということに気づかされるのである。
もちろん「勝ちたい」ということがそのエネルギーになったのだろう。勝つために知恵を出し、工夫を重ねるうちに、その必要性に気がつき、気がついたことを片っ端から実行したということだろう。手探りで進めていくうちに、それがチームのノウハウとなって蓄積されたということもあるだろう。そういう蓄積をたくさん持っていることを伝統と呼ぶのかもしれない。
しかしそれは、伝統という言葉で、神棚に祭り上げておけばいいというものではない。温故知新。古きを訪ね、新しくを知るである。いま現在の活動に生かさなければ、意味は半減する。
戦後の草創期に「勝ちたい」と思って、チームのみんながそれぞれの分野で努力した。リクルート、戦術の研究、相手チームの分析……。いまから見れば、その内容は荒削りでお粗末だった。相手チームの情報を入手するといっても、撮影機材一つない。ただ試合会場に出かけ、試合の様子を目に焼き付けて来るだけだ。新しい戦術を研究するにも、当初はアメリカの原書しかない。それも図書館に出かけて必要なところをノートに写し、それを翻訳して、プレー内容や仕組みを想像するしかないという状態だ。リクルートといっても、選手には何の特典もない。有望な選手がいると聞けば、ひたすらその選手の家に出かけて関西学院を受験してくれるように説得するだけだ。
いまから見れば、余りに原初的なやり方だが、それでも「勝ちたい」一心で、彼らはそれを自主的、自発的にやり続けた。
いまのファイターズの諸君も「勝ちたいという気持ちでは、草創期のメンバーには負けてはいないだろう。ならば、彼らが自主的、自発的に成し遂げたことを、いまもやったらどうだろう。もちろん、覇権を争うライバルは増え、それぞれが強くなっている。60年前とは、環境も激変している。同じ方法、同じ努力では、実りにつながらないかもしれない。
けれども勝利を求めて、どん欲に努力するその姿勢、その心構えは、いまも通用するはずだ。温故知新。歴史に学び、いまを生きる。ファイターズの諸君にとっても、必要なことだと僕は思っている。
さすが8月、日本の夏である。毎日、汗まみれになって過ごしている。
この炎天下、上ヶ原でチーム練習を始めたファイターズの諸君の苦労を思うと、暑いなんていってはおれないが、それでも暑いものは暑い。今年は「脱原発」に向けたささやかな意思表示として、あえてエアコンを使う時間を限定しているから、なおのことだ。
このところ、必要があって、ファイターズの歴史をあれこれと調べている。古い卒業生から話を聞き、OBの書かれた書物を片っ端から読んでいる。ここ数年の「イヤーブック」や「Fight On」を手近なところにおき、機会あるごとに目を通して、新聞記者の感覚に触れる言葉を探してもいる。
そんな中で、思うことがある。ファイターズは、本当に人に恵まれて誕生した幸せなチームであるということだ。
チームの誕生は戦前だが、すぐに「敵性スポーツ」として活動はストップさせられ、実質的な活動は太平洋戦争が終わってから。その草創期。物資もなければ、食料もない。あるのは、戦争が終わったというある種の開放感と、若くて元気な人材、そして世界とつながる関西学院という舞台だけ。そういう中からの再スタートだった。
だが、調べを進めていくうちに、このチームはその時々に必要な人材を次々に得て、その「人々の力」でチームを育ててきたということを実感した。その後のチームの歩みを知っている僕は、草創期に人に恵まれたことが、どれほどの力になったことかと思い知ったのである。
このことについては、また別の機会に書くが、いまここでいっておきたいのは、ファイターズ(当時はまだこの名前はなかったが)においては、勝利のために必要な事柄がすべて草創期から、その芽を吹いていること。チーム運営の方針を確立することの必要性、リクルート、戦術の導入、相手チームの情報収集、そして指導者の確保。そういったことにいち早く注目し、そのために必要な行動を次々と起こしていること。そういう希有なチームだったということである。
その徹底度には差があるかもしれないが、いまではどこのチームもやっているそういった事柄に、草創期から取り組み、それを実行してきたというのはただごとではない。それを、周囲の大人からいわれてではなく、チームを構成する学生自らが自主的、自発的に実行してきたことを知ると、これはアメリカンフットボールという枠を越え、人間の成長、発達から、教育ということの本質にまで及ぶ壮大な物語であるということに気づかされるのである。
もちろん「勝ちたい」ということがそのエネルギーになったのだろう。勝つために知恵を出し、工夫を重ねるうちに、その必要性に気がつき、気がついたことを片っ端から実行したということだろう。手探りで進めていくうちに、それがチームのノウハウとなって蓄積されたということもあるだろう。そういう蓄積をたくさん持っていることを伝統と呼ぶのかもしれない。
しかしそれは、伝統という言葉で、神棚に祭り上げておけばいいというものではない。温故知新。古きを訪ね、新しくを知るである。いま現在の活動に生かさなければ、意味は半減する。
戦後の草創期に「勝ちたい」と思って、チームのみんながそれぞれの分野で努力した。リクルート、戦術の研究、相手チームの分析……。いまから見れば、その内容は荒削りでお粗末だった。相手チームの情報を入手するといっても、撮影機材一つない。ただ試合会場に出かけ、試合の様子を目に焼き付けて来るだけだ。新しい戦術を研究するにも、当初はアメリカの原書しかない。それも図書館に出かけて必要なところをノートに写し、それを翻訳して、プレー内容や仕組みを想像するしかないという状態だ。リクルートといっても、選手には何の特典もない。有望な選手がいると聞けば、ひたすらその選手の家に出かけて関西学院を受験してくれるように説得するだけだ。
いまから見れば、余りに原初的なやり方だが、それでも「勝ちたい」一心で、彼らはそれを自主的、自発的にやり続けた。
いまのファイターズの諸君も「勝ちたいという気持ちでは、草創期のメンバーには負けてはいないだろう。ならば、彼らが自主的、自発的に成し遂げたことを、いまもやったらどうだろう。もちろん、覇権を争うライバルは増え、それぞれが強くなっている。60年前とは、環境も激変している。同じ方法、同じ努力では、実りにつながらないかもしれない。
けれども勝利を求めて、どん欲に努力するその姿勢、その心構えは、いまも通用するはずだ。温故知新。歴史に学び、いまを生きる。ファイターズの諸君にとっても、必要なことだと僕は思っている。
(16)夏に鍛える
投稿日時:2011/07/23(土) 16:25
先週末から今週にかけて、なんやかやと目の回るような忙しさだった。
先週末は信州を訪れ、ついでに北アルプス、唐松岳(2696メートル)に登ってきた。朝の5時から行動を開始し、午前10時前には山頂。空はからりと晴れ上がり、黒部渓谷を挟んだ目の前には剣岳の勇姿がくっきりと見える。白馬三山や五竜岳も指呼の内。汗を流し、老体にむち打って登ってきたご褒美だと思って、その雄大な景色を堪能した。
週が明けると台風の襲来。僕の勤務している紀伊民報のある紀州・田辺は、直撃コースにあたり、大雨が降った。一部では土砂崩れや河川の氾濫があった。幸い新聞の発行には支障がなかったが、配達の方々には大変な苦労をかけた。
台風が去ると、今度は紀伊民報が主催する「東日本大震災報道写真展」。日本新聞博物館と東北写真記者協会、東京写真記者協会の協力で、全国を巡回している写真展で、関西では初めての開催だ。開催の交渉から作品の搬入、展示終了後の搬出まで、責任者として陣頭指揮に当たらなければならない。貴重な作品をお借りしているということで、取り扱いについての気苦労もある。慣れない仕事だから、心身ともにへとへとになった。
週末は有馬温泉の町づくり団体「有馬保勝会」の総会。メンバーは気の置けない仲間ばかりだが、それでも、県から認証されたNPO法人の年に一度の総会である。理事の一人として、事業計画や予算について、まじめに論議しなければならない。
われながら、多忙だと思う。でも、それを逃げ口上にしていては面白くない。遊びも仕事も目一杯、真剣に取り組むから楽しいのであり、充実感も生まれてくるのである。
だから、ファイターズが高校生を集めて開いている小論文勉強会にも、真剣に取り組んでいる。これはスポーツ推薦入試で関学にチャレンジする高校生たちを対象に、小論文の書き方を指導する集まりだが、僕はその責任者として講師を務め、高校生を激励しているのである。
昼間、それぞれの高校で練習を終えた高校生に、夜間、西宮市の教室に集まってもらい、毎回テーマを与えて800字の小論文を書かせる。それを僕が添削し、文章作成の決まりからチャーミングな表現の仕方までを個別指導するのである。
それでなくても暑い時期。練習でくたくたになり、腹を空かせた高校生が電車を乗り継ぎ、西宮まで集まって来る。机の前に座った時点では、小論文を書く気分的なゆとりはないかもしれないが、これは乗り越えなければならない試練である。
なぜなら、大学は自ら学び、自らを高めるところである。いくら運動能力に優れていても、勉強をする習慣が身についていなければ、学生生活は全うできない。文章を書き、自分の主張を表現することができなければ、大学生活は空疎なものになってしまう。豊かな実りにはつながらない。
だから、たとえ夏休みの間の短い期間とはいえ、しっかり勉強しましょう。文章を書くことで自分の考えを深め、その主張をまとめる訓練をしましょう。大学で学んでいくための準備をしましょう。そういう目的で、この勉強会を開いているのである。不慮の事故で亡くなった平郡君、今は大阪府立箕面高校で教員をしている池谷君が第一期生だから、今年で13年目になる。
僕は朝日新聞で論説委員や編集委員として記事を書くかたわら、会社から依頼されてカルチャーセンターや高校、大学に出向き、小論文の書き方も指導してきた。朝日新聞社を退職後も京都女子大や関西学院大学で授業を受け持ち、小論文を指導した。毎年、就職活動を控えた学生を対象にした小論文の指導も続けている。友人らから頼まれて個人的に指導した学生も入れると、教え子のうち約40人が新聞社やテレビ局で働いている。
その経験からいうと、短い期間の指導で、一番成長が実感できるのが高校生。それも普段、勉強する習慣から遠ざかっている運動部系の生徒である。最初は800字を書くだけで精一杯という状態でも、2回、3回と回を重ねていくにつれ、見事に自分の主張が表現できるようになる。彼らには、スポーツ推薦入試で結果を出したいという動機があり、一方で普段、余り勉強には力を入れてこなかったという自覚があるからだろう。「書くこと」について、多少とも自信を持った社会人が思ったほどには伸びないのとは好対照である。
自分の足りないところを知り、それを克服しようという気持ち。それが勉強に取り組むエネルギーになる。夏休み、疲れた体にむち打って取り組む彼らの小論文を読むたびに、それを実感する。
僕の教えることに限りはあっても、彼らが「勉強したい」という気持ちを持っている限り、成長は続く。それを信じて、毎週、この勉強会を続けているのである。
先週末は信州を訪れ、ついでに北アルプス、唐松岳(2696メートル)に登ってきた。朝の5時から行動を開始し、午前10時前には山頂。空はからりと晴れ上がり、黒部渓谷を挟んだ目の前には剣岳の勇姿がくっきりと見える。白馬三山や五竜岳も指呼の内。汗を流し、老体にむち打って登ってきたご褒美だと思って、その雄大な景色を堪能した。
週が明けると台風の襲来。僕の勤務している紀伊民報のある紀州・田辺は、直撃コースにあたり、大雨が降った。一部では土砂崩れや河川の氾濫があった。幸い新聞の発行には支障がなかったが、配達の方々には大変な苦労をかけた。
台風が去ると、今度は紀伊民報が主催する「東日本大震災報道写真展」。日本新聞博物館と東北写真記者協会、東京写真記者協会の協力で、全国を巡回している写真展で、関西では初めての開催だ。開催の交渉から作品の搬入、展示終了後の搬出まで、責任者として陣頭指揮に当たらなければならない。貴重な作品をお借りしているということで、取り扱いについての気苦労もある。慣れない仕事だから、心身ともにへとへとになった。
週末は有馬温泉の町づくり団体「有馬保勝会」の総会。メンバーは気の置けない仲間ばかりだが、それでも、県から認証されたNPO法人の年に一度の総会である。理事の一人として、事業計画や予算について、まじめに論議しなければならない。
われながら、多忙だと思う。でも、それを逃げ口上にしていては面白くない。遊びも仕事も目一杯、真剣に取り組むから楽しいのであり、充実感も生まれてくるのである。
だから、ファイターズが高校生を集めて開いている小論文勉強会にも、真剣に取り組んでいる。これはスポーツ推薦入試で関学にチャレンジする高校生たちを対象に、小論文の書き方を指導する集まりだが、僕はその責任者として講師を務め、高校生を激励しているのである。
昼間、それぞれの高校で練習を終えた高校生に、夜間、西宮市の教室に集まってもらい、毎回テーマを与えて800字の小論文を書かせる。それを僕が添削し、文章作成の決まりからチャーミングな表現の仕方までを個別指導するのである。
それでなくても暑い時期。練習でくたくたになり、腹を空かせた高校生が電車を乗り継ぎ、西宮まで集まって来る。机の前に座った時点では、小論文を書く気分的なゆとりはないかもしれないが、これは乗り越えなければならない試練である。
なぜなら、大学は自ら学び、自らを高めるところである。いくら運動能力に優れていても、勉強をする習慣が身についていなければ、学生生活は全うできない。文章を書き、自分の主張を表現することができなければ、大学生活は空疎なものになってしまう。豊かな実りにはつながらない。
だから、たとえ夏休みの間の短い期間とはいえ、しっかり勉強しましょう。文章を書くことで自分の考えを深め、その主張をまとめる訓練をしましょう。大学で学んでいくための準備をしましょう。そういう目的で、この勉強会を開いているのである。不慮の事故で亡くなった平郡君、今は大阪府立箕面高校で教員をしている池谷君が第一期生だから、今年で13年目になる。
僕は朝日新聞で論説委員や編集委員として記事を書くかたわら、会社から依頼されてカルチャーセンターや高校、大学に出向き、小論文の書き方も指導してきた。朝日新聞社を退職後も京都女子大や関西学院大学で授業を受け持ち、小論文を指導した。毎年、就職活動を控えた学生を対象にした小論文の指導も続けている。友人らから頼まれて個人的に指導した学生も入れると、教え子のうち約40人が新聞社やテレビ局で働いている。
その経験からいうと、短い期間の指導で、一番成長が実感できるのが高校生。それも普段、勉強する習慣から遠ざかっている運動部系の生徒である。最初は800字を書くだけで精一杯という状態でも、2回、3回と回を重ねていくにつれ、見事に自分の主張が表現できるようになる。彼らには、スポーツ推薦入試で結果を出したいという動機があり、一方で普段、余り勉強には力を入れてこなかったという自覚があるからだろう。「書くこと」について、多少とも自信を持った社会人が思ったほどには伸びないのとは好対照である。
自分の足りないところを知り、それを克服しようという気持ち。それが勉強に取り組むエネルギーになる。夏休み、疲れた体にむち打って取り組む彼らの小論文を読むたびに、それを実感する。
僕の教えることに限りはあっても、彼らが「勉強したい」という気持ちを持っている限り、成長は続く。それを信じて、毎週、この勉強会を続けているのである。
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