石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」

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(1)ファイターズファミリー

投稿日時:2012/04/03(火) 17:41

 気がつけば4月。僕が働いている紀州・田辺では、遅れていた桜もようやく満開。新しいシーズンの始まりである。
 そうなると、ライスボウル終了後、ぷっつり中断していたこのコラムも、再開のときが来たということ。ファイターズの諸君に負けないように、気合いを入れて書き始めなければならない。
 と、元気よく宣言したものの、チームはまだ基礎的な練習ばかり。ときおり上ヶ原のグラウンドに足は運んでいるけれども、特段、みなさまにお知らせするようなニュースもない。強いていうなら「4年生の抜けた穴は大きい」「でも、それぞれのポジション、それぞれの選手ごとに課題を見つけ、それを一つ一つ解消しようと、全員が体作りから取り組んでいる」「体力作りも基礎練習も、例年と同様、あるいはそれ以上に熱がこもっている」と報告すれば、それで完了だ。
 でもそれだけでは、コラムにならない。
 だから、冬場の練習で特別に興味深かった場面を一つ紹介して、1回目の報告とする。こんな場面である。
 たしか、1月末の土曜日だった。いつものようにグラウンドに顔を出すと、QBの諸君が熱のこもったキャッチボールをしていた。4年生の畑君、遠藤君、3年生の橘君、2年生の斎藤君に前田君。ほかにボールを受けるためにキッキングチームのメンバーやWRのメンバーが何人も協力している。その様子をビデオに収録するマネジャーや分析スタッフの顔も見える。
 それでも見知らぬ顔がある。高等部の諸君である。そう、この日は高等部と大学のQBが全員そろって、小野宏コーチからボールの投げ方のチェックを受け、よりよいフォームを探っていたのである。いわば、お兄ちゃんと弟が一緒になってお父さんの指導を受けている光景だった。
 その隣で、一回り大きな男前が二人。手慣れたフォームで悠然とキャッチボールをしている。彼らの顔を見て驚いた。投げているのが三原雄太氏、受けているのが秋山武史氏である。2007年の甲子園ボウルを勝ち、ライスボウルで史上最高のパスゲームを演じたときの主役二人が、現役の大学、高校生に混じって、楽しそうにキャッチボールに興じていたのだ。
 「秋山が体を動かしたいというので、つきあっている」と三原氏。「週末の大阪出張で時間が空いたから三原を引っ張り出した」と秋山氏。かくして2007年のライスボウル以来、初めて上ヶ原のグラウンドで名コンビが復活した。三原氏のパスも健在だが、今も日本のトッププレーヤーとして活躍している秋山氏のスピードはさらにすごみを増している。ターボエンジンが加速するような独特の走りで、三原氏が投げるどんなパスも確実にキャッチ。結局、30分ほどの練習中、1本のパスも落とさなかった。
 「久しぶりのグラウンドは気持ちがいい」と秋山氏がいえば、三原氏も「これからは、努めて週末に顔を出しますよ」と応じる。例えていえば、就職して実家を出た兄二人が久しぶりに実家に帰り、弟たちと旧交を温めている光景。たまたまその場に居合わせWRの小山君も「半端じゃないスピードですね」とびっくり。スピードをつけるためのトレーニングについて質問していた。
 話はそれだけでは終わらない。今度は防寒着をしっかり着込んだ武田建先生の登場である。JVの練習が終わった後、QBの練習を見に顔を出されたのだ。こんなたとえをすれば叱られるかもしれないが、まるで親子の練習を見守る好々爺、おじいちゃんである。
 ついでにいえば、そんな光景をうれしそうに眺めている僕は、親戚のおっちゃん。毒にも薬にもならないけれども、ただそこにいるだけで、なぜかしらその場が和む。そんな役回りをしているとでもいえばよいだろう。
 以上、六甲おろしが吹き下ろし、寒さの厳しい上ヶ原のグラウンドで見た「小春日和」のような光景である。
 それを見ながら、これが「KGファミリーだ、ファイターズファミリーの姿だ」となぜかしら感動した。
 年代を超え、境遇や社会的立場の違いを超えて、ファイターズにつながる多彩な人たちがファイターズのために集まる。そして自分たちの持っている貴重な資産(経験や知識、技術や心意気……)を現役の選手たちに惜しみなく提供する。誰に命令されたわけでもなく、それが当然のように、そして自然な形で実現する。こういう環境を70年余にわたって作り上げてきたのが、ファイターズというチームであり、ほかのチームとはひと味違ったたたずまいである、と僕は妙に感心し、また納得した。
 もちろん、試合会場に詰めかけて下さる熱心なファンやOBの方々、保護者のみなさまの応援は、どのチームにも増して心強い。それは昨季の関西リーグの終盤から甲子園ボウル、ライスボウルへと続く「Vロード」でも実証された。その結束力を指して「ファイターズの底力」という方も少なくない。
 けれども、本当にファイターズがすごいのは、オフシーズンの地味な練習にも、お父さんやおじいちゃん、それに就職して実家を離れたお兄ちゃんらが、当然のように顔を出し、弟たちを励ましてくれる、そんな「ファイターズ愛」にあると僕は思っている。
 以上、あまりにもうれしい光景であり、僕一人の胸に抱えておくのはもったいない話だと思って、紹介させていただいた。
      ◇   ◇
 お知らせが二つあります。
 ?新しいシーズンの開幕にあわせて、このコラムを再開。原則として、1週間に1度のペースで更新を続けます。ご愛読いただければ幸いです。
 ?昨季のコラムをまとめた冊子「2011年 ファイターズ 栄光への軌跡」を発行し、見事な戦いで大学王者になったファイターズの諸君に贈呈しました。2月の祝勝会でお披露目しましたが、一般の方々には試合会場でお求めできるようにします。1冊500円。売り上げはすべてファイターズに寄付させていただきます。ご協力いただければ幸甚です。

(38)生涯の誇り

投稿日時:2012/01/05(木) 17:36

 元禄16(1703)年、54歳で亡くなった本因坊道策は、囲碁の世界で古今独歩の名人とうたわれた人である。碁聖ともいわれたその名人に向かって、ある人が「先生がこれまでになすった碁で、十分の勝利をお占めになったのは、いずれの時でしたか」と尋ねた。名人が答えていうには「一番うれしかったのは、安井算知と囲んで1目負けたときでした」。
 この答えに、尋ねた人は驚き「では負け碁なのですか」と聞き返した。
 道策がいうには「さればです。勝ち負けは競技の眼目ですが、どんなことをしても勝ちさえすればよいというものではありますまい。勝負も勝負、相手によるのです。安井算知は古人にも恥じない名人で、あの折り下ろす石の一つ一つが妙手でないのはありませんでした。それで私も考えに考え、思いを尽くし、ついに1手の遅れをとらずに1目負けることができたのは、私の大手柄でありました。これが私の一生涯での一番得意の碁です」。
 以上は、森銑三という人の著した「おらんだ正月」(岩波文庫)からの引用だが、僕はライスボウルにおけるファイターズの戦いぶりを見て、思わずこの話を思い起こした。
 38-28。最終のスコアはファイターズの負けではある。しかし、社会人の代表を相手に一歩も引かず、チームとしての品性を持ち、正々堂々と戦った彼らの姿は、大手柄と呼ぶにふさわしいものだった。「生涯での一番得意の試合です」と胸を張ってよい戦いだった。
 ファイターズの諸君はそれほど雄々しく、また美しく戦った。ゲーム開始と同時にオンサイドキックを成功させて相手を揺さぶったのは序の口。いったんは攻撃権を失ったが、すぐさまLB池田のインターセプトで奪い返し、相手陣40ヤードからの攻撃。この好機にQB畑からWR小山へのパス、畑のキーププレーなどで、一気にゴール前に迫り、仕上げはRB望月の中央突破でTD。大西がキックを決めて7-0。主導権を握った。
 第2Qに入ってすぐ、相手にフィールドゴール(FG)を決められたが、この場面は決められたというより「FGに追いやった」という表現の方が適切。第2ダウンゴール前1ヤードという絶体絶命のピンチだったが、そこでファイターズ守備陣が奮起した。長島、梶原、池永らの第1列が中央のラン攻撃を封じ、DBの香山や重田が突き刺さるようなタックルを連発して陣地を挽回。結局、FGを蹴るしかない状況に相手を追いやった。
 自陣34ヤードから始まった次の攻撃シリーズは望月のラン、畑のキープ、小山へのパスと多彩な攻めで陣地を進める。相手が焦点を絞りかねたところで、ダブルリバースからWR木戸が走ってダウンを更新。さらにWR和田へのパスを成功させてゴール前24ヤードに迫る。一度は攻めあぐね、第4ダウンショートという状況に追い込まれたが、ファイターズ攻撃陣は委細かまわず攻撃を続行。畑が和田へのパスフェイクで相手守備陣を揺さぶり、がら空きになった中央をラッシュして一気にTD。14-3とリードを広げた。
 後半になると、さすがに数多くの日本代表選手やNFL予備軍を揃えた相手である。徐々に地力を発揮して追い上げてくる。逆に、ファイターズの選手の動きは変調気味だ。関大、京大、立命と強敵を相手の試合が続いた関西リーグ、そして日大との甲子園でのしのぎを削る戦いで主力選手の多くがけがをした影響が出てきたのだろう。
 シーズン終盤にけがをし、医者通いをしていた選手は、この日の先発メンバーだけでも10数人に上る。チーム練習にも思い通りに参加できないほどの重症者もいたようだが、それでもみな痛み止めの注射を射ったり、患部にがちがちのテーピングを施したりして出場していた。しかし、いくら痛み止めを射ったとしても、15分クオーターの戦いでは、その効果に限りがある。注意してみていると、ある者は足を引きずり、ある者は腕や肩を抱えている。それでも誰一人グラウンドに倒れ込む者はいない。
 グラウンドの戦いに目を奪われているファンの大半は、個々の選手のそんな事情には気づかなかったはずだ。だが、日頃から上ヶ原のグラウンドに通い、選手らの練習やけがとの戦いを見てきた僕には、彼らの変調ぶりがわがことのように感じられた。
 しかし、ファイターズの諸君は誰一人、そんな様子をそぶりにも出さなかったし、ベンチに歩いて戻れる状況でグラウンドに倒れ伏すこともなかった。ファイターズとは、戦いの場で弱みを見せることを恥とし、味方の士気を失わせることを不名誉と心得ている戦士の集団である。たとえ満身創痍であっても、気高く戦うこと、全力を尽くして正々堂々と戦うことに至上の価値をおいているチームである。
 そういう戦士たちが最後まで全力で、雄々しく戦ったのだ。終盤、リードされ、残り時間から考えて、もはや追いつくのが難しい状況から、48ヤードのフィールドゴールを決めたK大西、畑のバックアップとして出場し、WR南本へのTDパスを決めたうえ、同じコンビで2点コンバージョンを成功させたQB糟谷……。この日グラウンドに出た選手は全員、死力を尽くして戦った。これを戦士と呼ばずになんと呼べばいいのか。
 今年のイヤーブック、RB兵田選手の紹介欄にこんな記述がある。「努力は必ず報われるということを、私兵田は秋の立命戦を持って証明いたします!」。そう、ファイターズの諸君は、立命戦から甲子園ボウル、そしてライスボウルと続くハードな戦いの中で、この兵田選手の台詞を全員で証明したのである。「まことにひ弱な学生」が全員、一人前の男になったのである。東京ドームに詰めかけた多くのファンが心から感動したのは、そういう選手たちの戦いであり、そういうチームを作り上げた松岡主将を中心にした4年生のがんばりである。
 それは本因坊道策が「考えに考え、思いを尽くして」戦ったというのと同じ意味であろう。勝負には「1目差」で敗れたけれども、「大手柄であった」というゆえんである。
 気高く戦い、素晴らしい試合を見せてくれたファイターズの諸君に心から感謝する。堂々と戦い、堂々と敗れた諸君は、チームソング「Fight on,Kwansei」の体現者であり、関西学院の誇りである。
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