石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
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(23)「他山の石」
投稿日時:2012/09/26(水) 23:23
20日付の朝日新聞スポーツ面に、小さいけれど見過ごしにできない記事が掲載されていた。
「のぞき・酒強要 部員50人を処分 早大アメフット部」と3本の見出しはついていたが、ベタ記事と呼ばれる1段の扱いだったので、見落とされた方も多いだろう。
記事には、部員計50人が夏合宿中に女性用の風呂場をのぞいたり、未成年の下級生に飲酒を強要したりしたとして、1~3試合の出場停止処分を受け、部も10日間の活動停止処分を受けたとあった。誰が処分をしたのかという主語のない不完全な記事だった(この点は、同じ会社で記者生活を送った人間として、はなはだ不本意である)が、それでもアメフット部が不祥事を起こしたことは伝わってくる。
事件については、新聞記事になる前にある人から聞かされていたので、特段の驚きはなかった。けれども、同じ世代の若者が同じようにアメフットに取り組み、同じように日本1を目指して鍛えているファイターズの部員の顔を思い浮かべると、何かと考えさせられることが多かった。
自分でも経験があるが、学生時代といえば常に背伸びをし、理由もなく枠をはみ出したい欲求に駆られる。同じ集団にいても、人と同じことをするのが耐えられず、突飛な行動をとりたくもなる。僕の場合でいえば、ゼミの研究会でみんなが教授におもねり、ごまをすっているのが気に食わず、徹底的に逆らった(もちろん、その教授には嫌われた。でも、真っ向から反抗している姿勢がいいといって、別の教授にはとことん可愛いがってもらった)ことがそうだし、参加者がほんの300人から500人の街頭デモに何度も参加して暴れたこともその範疇(はんちゅう)に入るだろう。後先を考えず、勢いで行動してしまうというのは、ある意味、若さの特権かもしれない。
けれども、集団の勢いを借りて、あるいは酒の勢いを借りて、という振る舞いは、どうみても品位に欠ける。「旅の恥はかき捨て」とか「赤信号、みんなで渡れば怖くない」いうような集団に流される生き方は、人として美しくない。
高校野球の世界でも、集団の威を借りて上級生が下級生をいじめたり暴力を振るうことは少なくない。監督やコーチがその権威を背景に「指導」という名目で部員を殴っている事例もたびたび報告されている。今回の「飲酒の強要」も「集団でののぞき行為」も根っこは似たようなものだろう。
問題は、それがはびこるかどうかである。同じ年代の同じスポーツに取り組む人間(それは時には、勢いに任せて暴走してしまうような若者である)が同じように集団で活動していながら、一方は暴走し、一方はそれに歯止めがかかるという分岐点は、どこにあるのか。
指導者やスタッフの資質もあるし、チームが置かれた状況もある。練習環境も無視できない。なにより、部員一人一人の自覚、心構えに待つところが大きい。
そういう諸々の条件が結合し、昇華して、チームに品格が生まれる。そしてその品格が若さの暴走に歯止めをかけるのだ。
僕は昨年、アエラムックの関西学院版にファイターズの物語を書いた。そこにこんな一説がある。
「たとえ戦術的に劣っている時でも、戦術を工夫し、知恵をしぼり、精神性を高めて、いつも力を最大限に発揮するチームを作ってきたのがファイターズであり、戦後、フットボール界の頂点を争い続けて唯一のチームとしての矜持(きょうじ)である」
「上ケ原のグラウンドには、人を人として成長させる磁気が流れている。それは常に勝つことへの意識を高め、その圧力に打ち克とうと努力を続ける学生と、それを支える監督やコーチが醸し出すものである。草創期のメンバーが無意識のうちに埋め込んだものであり、歴代のOBがライバルとの戦いの中で醸成してきたものでもある。自発性を重視し、献身に価値を置くチームとしてのたたずまいがもたらしたものといってもよい」
「人はそれを称して伝統と呼ぶ。それがチームソングにある『勝利者の名を誇りに思い、その名に恥じないチームとしての品性を持て』という意味につながるのである」
そう。矜持と伝統、そして品性がキーワードである。この言葉の意味を常に部員とチームにつながるすべての人間が抱きしめている限り、若さの暴走、無軌道な行為にも歯止めが掛けられるのである。
早稲田大学で起きたことを「他山の石」としたい。部員一人一人がファイターズの名にふさわしい「戦士」として、今まで以上に矜持を持ち、品性を高める努力を重ねてくれることを期待する。
「のぞき・酒強要 部員50人を処分 早大アメフット部」と3本の見出しはついていたが、ベタ記事と呼ばれる1段の扱いだったので、見落とされた方も多いだろう。
記事には、部員計50人が夏合宿中に女性用の風呂場をのぞいたり、未成年の下級生に飲酒を強要したりしたとして、1~3試合の出場停止処分を受け、部も10日間の活動停止処分を受けたとあった。誰が処分をしたのかという主語のない不完全な記事だった(この点は、同じ会社で記者生活を送った人間として、はなはだ不本意である)が、それでもアメフット部が不祥事を起こしたことは伝わってくる。
事件については、新聞記事になる前にある人から聞かされていたので、特段の驚きはなかった。けれども、同じ世代の若者が同じようにアメフットに取り組み、同じように日本1を目指して鍛えているファイターズの部員の顔を思い浮かべると、何かと考えさせられることが多かった。
自分でも経験があるが、学生時代といえば常に背伸びをし、理由もなく枠をはみ出したい欲求に駆られる。同じ集団にいても、人と同じことをするのが耐えられず、突飛な行動をとりたくもなる。僕の場合でいえば、ゼミの研究会でみんなが教授におもねり、ごまをすっているのが気に食わず、徹底的に逆らった(もちろん、その教授には嫌われた。でも、真っ向から反抗している姿勢がいいといって、別の教授にはとことん可愛いがってもらった)ことがそうだし、参加者がほんの300人から500人の街頭デモに何度も参加して暴れたこともその範疇(はんちゅう)に入るだろう。後先を考えず、勢いで行動してしまうというのは、ある意味、若さの特権かもしれない。
けれども、集団の勢いを借りて、あるいは酒の勢いを借りて、という振る舞いは、どうみても品位に欠ける。「旅の恥はかき捨て」とか「赤信号、みんなで渡れば怖くない」いうような集団に流される生き方は、人として美しくない。
高校野球の世界でも、集団の威を借りて上級生が下級生をいじめたり暴力を振るうことは少なくない。監督やコーチがその権威を背景に「指導」という名目で部員を殴っている事例もたびたび報告されている。今回の「飲酒の強要」も「集団でののぞき行為」も根っこは似たようなものだろう。
問題は、それがはびこるかどうかである。同じ年代の同じスポーツに取り組む人間(それは時には、勢いに任せて暴走してしまうような若者である)が同じように集団で活動していながら、一方は暴走し、一方はそれに歯止めがかかるという分岐点は、どこにあるのか。
指導者やスタッフの資質もあるし、チームが置かれた状況もある。練習環境も無視できない。なにより、部員一人一人の自覚、心構えに待つところが大きい。
そういう諸々の条件が結合し、昇華して、チームに品格が生まれる。そしてその品格が若さの暴走に歯止めをかけるのだ。
僕は昨年、アエラムックの関西学院版にファイターズの物語を書いた。そこにこんな一説がある。
「たとえ戦術的に劣っている時でも、戦術を工夫し、知恵をしぼり、精神性を高めて、いつも力を最大限に発揮するチームを作ってきたのがファイターズであり、戦後、フットボール界の頂点を争い続けて唯一のチームとしての矜持(きょうじ)である」
「上ケ原のグラウンドには、人を人として成長させる磁気が流れている。それは常に勝つことへの意識を高め、その圧力に打ち克とうと努力を続ける学生と、それを支える監督やコーチが醸し出すものである。草創期のメンバーが無意識のうちに埋め込んだものであり、歴代のOBがライバルとの戦いの中で醸成してきたものでもある。自発性を重視し、献身に価値を置くチームとしてのたたずまいがもたらしたものといってもよい」
「人はそれを称して伝統と呼ぶ。それがチームソングにある『勝利者の名を誇りに思い、その名に恥じないチームとしての品性を持て』という意味につながるのである」
そう。矜持と伝統、そして品性がキーワードである。この言葉の意味を常に部員とチームにつながるすべての人間が抱きしめている限り、若さの暴走、無軌道な行為にも歯止めが掛けられるのである。
早稲田大学で起きたことを「他山の石」としたい。部員一人一人がファイターズの名にふさわしい「戦士」として、今まで以上に矜持を持ち、品性を高める努力を重ねてくれることを期待する。
(22)ピンチはチャンス
投稿日時:2012/09/19(水) 09:22
それにしてもけが人が多い。
秋のリーグ戦は始まったばかりだというのに、今季の活躍に注目していた選手たちが相次いで戦列を離れた。負傷した部位を氷で冷やし、テーピング用のテープでがちがちに固定してグラウンドを去る選手の姿を見ていると、自分の子や孫がけがをしたかのように胸が痛む。選手や家族にとっては、言葉に尽くせないほどの悔しさだろう。もちろん、チームにとっても、手痛い打撃である。
今年のチームづくりは、昨季、1月3日のライスボウルまでのハードな戦いで傷ついた選手たちの回復と、先発メンバーに次ぐ2番手、3番手メンバーの底上げが大きなテーマだった。ディフェンスでは主将の梶原、ラインの前川、岸、池永らの主力が春には全く試合に出ず、けがからの回復と体力作りに専念した。オフェンスも同様、司令塔の畑やラインを引っ張る和田らが出場を見合わせ、その分、3年生や2年生を積極的に起用してきた。
それが功を奏し、これまでは控えに甘んじていた3年生のOLやDB、2年生のDLやQB、RB、DBが力を付け、先発メンバーの一角に入ったり、交代要員として1枚目のメンバーに劣らない活躍をしたりして、スタンドをわくわくさせてくれた。
チームの底上げができた、これで戦力が厚くなった、と喜んだ矢先の「成長が目に見える」メンバーたちの離脱である。
幸い、初戦でけがはしたけど、すぐに2戦目から戦列に復帰し、元気でプレーしているメンバーもいる。2戦目は出られなかったが、次の試合を目標に懸命に回復訓練に励んでいる選手もいる。
けれども、人間の身体は微妙だ。負傷は癒えても「けがの記憶」は体が覚えている。けがをする前と、復帰後では、同じプレーでも精度が落ちることは少なくない。知らず知らずに負傷した部位をかばって、思い通りに体を動かせないことだってある。
そういう時こそ2枚目、3枚目のメンバーが活躍するチャンスである。どのポジションであっても、先発メンバーと遜色のない控え選手がいれば、主力選手の負傷は、逆に新たな人材を登用するチャンスになる。新たな人材が成長すれば、新たな作戦の展開も可能になるだろう。
「チームのピンチは、個人のチャンス」と呼ばれる、これが由縁である。近年の関西リーグのように、上位校の戦力が拮抗してくると「選手層の厚さが勝敗を分ける」といわれるのも、ここに理由がある。
ならば、ファイターズはそういうチームの底上げができているか。少しぐらい負傷者が出ても「オレがポジションを獲る」と言い切れる選手がどれだけいるか。15日の同志社戦は、そういう視点で観戦した。
結論からいうと、光明は3分、悪いことが7分ぐらいだった。
光明のひとつは、春はJV戦ぐらいしか出ていなかったRB榎本(3年)がエースRB望月を思わせるようなパワフルな走りを見せてくれたこと。試合会場に向かう電車で、たまたま一緒になったRB担当の島野コーチが「今日は榎本の走りに注目して下さい。最近はいい練習をしていますから」と言われていた通りのプレーぶり。10回のラッシュで73ヤードというチームトップの走りを見せ、タッチダウンも決めた。
2つ目は、DLの先発に名を連ねた2年生の梶原弟。4年生、前川の欠場が気にならないほどのスピードと当たりで相手ラインを押し込み、1枚目と遜色のないプレーぶりだった。春の試合で鍛えられ、「もう一丁、もう一丁」と積極的に練習してきた成果だろう。同じ2年生の練習仲間であるDLの岡部とともに、さらなる成長が楽しみだ。
3つ目は、僕が密かに注目しているLBの元気印・吉原がQBサックを決めてくれたこと。LB陣には副将・川端をはじめ1年生の時から活躍している池田雄や小野がおり、練習では全く目立たない選手だが、試合になると、そのハッスルプレーが目につく。時々、方向違いのプレーもあるが、そのひたむきさが目をひく選手である。けがでしばらく戦列を離れていたDBの足立とともに、これからのチームの底上げに欠かせない存在だろう。
さて、これらがいい方の3分とすれば、悪い方の7分は初戦の近大戦と同様、後半、メンバーが交代するごとに、目に見えて戦力がダウンしたこと。1枚目や1枚目半の選手とは、明らかにプレーの内容に落差があった。
梶原主将が「1枚目と2枚目の差をもっと詰めないと、リーグ終盤戦や甲子園ボウル、ライスボウルでは勝てない」、川端副将が「今後のビッグゲームでは2枚目以降の選手の力が必要になってくる。成長に期待したい」という通りである。
けが人が相次ぎ、チームとしては面白くない状況だが、そのピンチを「オレにはチャンス」と思う選手がどれだけいるか。そのチャンスを手に入れる選手が何人出てくるか。3戦目以降は、そこに注目していきたい。
秋のリーグ戦は始まったばかりだというのに、今季の活躍に注目していた選手たちが相次いで戦列を離れた。負傷した部位を氷で冷やし、テーピング用のテープでがちがちに固定してグラウンドを去る選手の姿を見ていると、自分の子や孫がけがをしたかのように胸が痛む。選手や家族にとっては、言葉に尽くせないほどの悔しさだろう。もちろん、チームにとっても、手痛い打撃である。
今年のチームづくりは、昨季、1月3日のライスボウルまでのハードな戦いで傷ついた選手たちの回復と、先発メンバーに次ぐ2番手、3番手メンバーの底上げが大きなテーマだった。ディフェンスでは主将の梶原、ラインの前川、岸、池永らの主力が春には全く試合に出ず、けがからの回復と体力作りに専念した。オフェンスも同様、司令塔の畑やラインを引っ張る和田らが出場を見合わせ、その分、3年生や2年生を積極的に起用してきた。
それが功を奏し、これまでは控えに甘んじていた3年生のOLやDB、2年生のDLやQB、RB、DBが力を付け、先発メンバーの一角に入ったり、交代要員として1枚目のメンバーに劣らない活躍をしたりして、スタンドをわくわくさせてくれた。
チームの底上げができた、これで戦力が厚くなった、と喜んだ矢先の「成長が目に見える」メンバーたちの離脱である。
幸い、初戦でけがはしたけど、すぐに2戦目から戦列に復帰し、元気でプレーしているメンバーもいる。2戦目は出られなかったが、次の試合を目標に懸命に回復訓練に励んでいる選手もいる。
けれども、人間の身体は微妙だ。負傷は癒えても「けがの記憶」は体が覚えている。けがをする前と、復帰後では、同じプレーでも精度が落ちることは少なくない。知らず知らずに負傷した部位をかばって、思い通りに体を動かせないことだってある。
そういう時こそ2枚目、3枚目のメンバーが活躍するチャンスである。どのポジションであっても、先発メンバーと遜色のない控え選手がいれば、主力選手の負傷は、逆に新たな人材を登用するチャンスになる。新たな人材が成長すれば、新たな作戦の展開も可能になるだろう。
「チームのピンチは、個人のチャンス」と呼ばれる、これが由縁である。近年の関西リーグのように、上位校の戦力が拮抗してくると「選手層の厚さが勝敗を分ける」といわれるのも、ここに理由がある。
ならば、ファイターズはそういうチームの底上げができているか。少しぐらい負傷者が出ても「オレがポジションを獲る」と言い切れる選手がどれだけいるか。15日の同志社戦は、そういう視点で観戦した。
結論からいうと、光明は3分、悪いことが7分ぐらいだった。
光明のひとつは、春はJV戦ぐらいしか出ていなかったRB榎本(3年)がエースRB望月を思わせるようなパワフルな走りを見せてくれたこと。試合会場に向かう電車で、たまたま一緒になったRB担当の島野コーチが「今日は榎本の走りに注目して下さい。最近はいい練習をしていますから」と言われていた通りのプレーぶり。10回のラッシュで73ヤードというチームトップの走りを見せ、タッチダウンも決めた。
2つ目は、DLの先発に名を連ねた2年生の梶原弟。4年生、前川の欠場が気にならないほどのスピードと当たりで相手ラインを押し込み、1枚目と遜色のないプレーぶりだった。春の試合で鍛えられ、「もう一丁、もう一丁」と積極的に練習してきた成果だろう。同じ2年生の練習仲間であるDLの岡部とともに、さらなる成長が楽しみだ。
3つ目は、僕が密かに注目しているLBの元気印・吉原がQBサックを決めてくれたこと。LB陣には副将・川端をはじめ1年生の時から活躍している池田雄や小野がおり、練習では全く目立たない選手だが、試合になると、そのハッスルプレーが目につく。時々、方向違いのプレーもあるが、そのひたむきさが目をひく選手である。けがでしばらく戦列を離れていたDBの足立とともに、これからのチームの底上げに欠かせない存在だろう。
さて、これらがいい方の3分とすれば、悪い方の7分は初戦の近大戦と同様、後半、メンバーが交代するごとに、目に見えて戦力がダウンしたこと。1枚目や1枚目半の選手とは、明らかにプレーの内容に落差があった。
梶原主将が「1枚目と2枚目の差をもっと詰めないと、リーグ終盤戦や甲子園ボウル、ライスボウルでは勝てない」、川端副将が「今後のビッグゲームでは2枚目以降の選手の力が必要になってくる。成長に期待したい」という通りである。
けが人が相次ぎ、チームとしては面白くない状況だが、そのピンチを「オレにはチャンス」と思う選手がどれだけいるか。そのチャンスを手に入れる選手が何人出てくるか。3戦目以降は、そこに注目していきたい。
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