石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
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(27)幸せなチーム
投稿日時:2013/10/23(水) 22:23
先日、サンテレビが放映した神戸大学との試合を録画で見ていて驚いた。協賛者の中に「米田豊」という名前があったからである。そう、3代前のOB会長だったあの米田さんである。
「えっ、何で!」と驚いて画面を戻してみると、協賛企業として、亀井堂本舗とかアシスタントコーチをして下さっている島野さんの会社とか、ファイターズに関係する人たちの会社名がいくつも出てくる。おまけにわが関西学院大学までがスポンサーとして、また協賛団体としてしっかり名前を連ねている。
そうか! 当初、放映予定のなかった神戸大学との試合がUHFの地域限定放送とはいえ、しっかり放映されたのは、こうした「ファイターズ愛」にあふれる企業や大学、そして個人の協力があったからだと、ようやく合点がいった。そして、そこまで応援してもらえるファイターズは、なんて幸せなチームだろうと思った。
幸せなチームといえば、関西学院の体育会の中で一番、OB会費の納入率が高いのはファイターズである。なんと8割ものOBが毎年、2万円の会費を納入して下さるという。ほかのクラブから見れば、この納入率は「奇跡」としか思えない数字らしい。
もちろん、その陰には学年ごとに活動されている幹事の苦労がある。鳥内監督も若手OBの結婚式に招かれるたびに、OB会費の納入状況を示す一覧表を持参し、同学年の仲間に未納者に納入を促すように声を掛けておられる。
一般からの寄付もある。先日の中継にゲストとして出席し、サンテレビのアナウンサーだった西沢さんと「カレッジフットボール」を中継していた頃の思い出話をされていた武田建先生は「コーチのフットボール留学の一助になれば」と、著書の印税や講演会の講師料をせっせとファイターズのために寄付されている。小野ディレクターも先日来、2度にわたって行われた朝日カルチャーセンターでの講演会(2度とも大好評だった)の講師料をチームに還元されている。
そういう方々を見習って、僕もほんの少しずつではあるが、この数年、チームに寄付を続けている。大きな試合の前にスポーツセンターで行う合宿には紀州・田辺特産のうまいミカンを差し入れるし、時には最高級南高梅の梅干しも持参する。
別に自慢したいわけではない。これもまた、校訓にいう「マスタリー・フォー・サービス」の一つだと思うからだ。
関西学院の4代目院長を務められたベーツ先生は1915年、高等学部の学生が作った「商光」という冊子の創刊号に「私たちの校訓『マスタリー・フォー・サービス』」という講演録を寄せておられる。関西学院が発行した「輝く自由」という冊子から、そのポイントを列挙してみる。
「私たちは強くあること、さまざまなことを自由に支配できる人(マスター)になることを目指します」「マスターとは知識を身につけ、チャンスを自らつかみ取り、自分自身を抑制できる、自分の欲や飲食や所有への思いを抑えることができる人です」
「私たちがマスターになろうとする目的は、自分自身を富ますことではなく、社会に奉仕することです」「人の偉大さは、どれだけ社会に奉仕したかによって決まるのです。それゆえ、本校の理想は強くて役に立つ人になることであり、弱くて使いものにならない人になることではありません。それぞれがマスターと呼ばれる人になることです」
ここまで言われると、ベーツ先生が礎を築かれた大学を卒業した劣等生の一人として、多少は何かをしたい、何かをしなければという気になるのではないか。
奉仕というキーワードでいえば、よくいわれるのが「お金のある者はお金を、知恵のある者は知恵を提供しよう。どちらもない者は汗を流そう」という言葉である。これをそれぞれの世界でマスターを自認する人が「惜しみなく」提供することによって、事態が動き出す。OB会費の納入からテレビ放映への協賛、チームへの指定寄付。現役学生の就職活動に力を貸したり、相談に乗ったりすることも立派な奉仕活動である。
もちろん、仲間を誘い合って試合会場に足を運び、チームに声援を送ることも、チケットや応援グッズをチームから購入して、クラブの運営をバックアップするのも立派な協力の仕方である。
そういう奉仕・協力活動まで含めて、どのチームよりも多くの方々に応援してもらっているのがファイターズである。幸せなチームと呼ぶ由縁である。
さあ、今度の日曜日は、京大との戦いである。ともに無傷のままで迎える戦いの必勝を期して、長居まで足を運ぼうではないか。応援席を盛り上げるのも、ファンにとっては大事な役割である。
「えっ、何で!」と驚いて画面を戻してみると、協賛企業として、亀井堂本舗とかアシスタントコーチをして下さっている島野さんの会社とか、ファイターズに関係する人たちの会社名がいくつも出てくる。おまけにわが関西学院大学までがスポンサーとして、また協賛団体としてしっかり名前を連ねている。
そうか! 当初、放映予定のなかった神戸大学との試合がUHFの地域限定放送とはいえ、しっかり放映されたのは、こうした「ファイターズ愛」にあふれる企業や大学、そして個人の協力があったからだと、ようやく合点がいった。そして、そこまで応援してもらえるファイターズは、なんて幸せなチームだろうと思った。
幸せなチームといえば、関西学院の体育会の中で一番、OB会費の納入率が高いのはファイターズである。なんと8割ものOBが毎年、2万円の会費を納入して下さるという。ほかのクラブから見れば、この納入率は「奇跡」としか思えない数字らしい。
もちろん、その陰には学年ごとに活動されている幹事の苦労がある。鳥内監督も若手OBの結婚式に招かれるたびに、OB会費の納入状況を示す一覧表を持参し、同学年の仲間に未納者に納入を促すように声を掛けておられる。
一般からの寄付もある。先日の中継にゲストとして出席し、サンテレビのアナウンサーだった西沢さんと「カレッジフットボール」を中継していた頃の思い出話をされていた武田建先生は「コーチのフットボール留学の一助になれば」と、著書の印税や講演会の講師料をせっせとファイターズのために寄付されている。小野ディレクターも先日来、2度にわたって行われた朝日カルチャーセンターでの講演会(2度とも大好評だった)の講師料をチームに還元されている。
そういう方々を見習って、僕もほんの少しずつではあるが、この数年、チームに寄付を続けている。大きな試合の前にスポーツセンターで行う合宿には紀州・田辺特産のうまいミカンを差し入れるし、時には最高級南高梅の梅干しも持参する。
別に自慢したいわけではない。これもまた、校訓にいう「マスタリー・フォー・サービス」の一つだと思うからだ。
関西学院の4代目院長を務められたベーツ先生は1915年、高等学部の学生が作った「商光」という冊子の創刊号に「私たちの校訓『マスタリー・フォー・サービス』」という講演録を寄せておられる。関西学院が発行した「輝く自由」という冊子から、そのポイントを列挙してみる。
「私たちは強くあること、さまざまなことを自由に支配できる人(マスター)になることを目指します」「マスターとは知識を身につけ、チャンスを自らつかみ取り、自分自身を抑制できる、自分の欲や飲食や所有への思いを抑えることができる人です」
「私たちがマスターになろうとする目的は、自分自身を富ますことではなく、社会に奉仕することです」「人の偉大さは、どれだけ社会に奉仕したかによって決まるのです。それゆえ、本校の理想は強くて役に立つ人になることであり、弱くて使いものにならない人になることではありません。それぞれがマスターと呼ばれる人になることです」
ここまで言われると、ベーツ先生が礎を築かれた大学を卒業した劣等生の一人として、多少は何かをしたい、何かをしなければという気になるのではないか。
奉仕というキーワードでいえば、よくいわれるのが「お金のある者はお金を、知恵のある者は知恵を提供しよう。どちらもない者は汗を流そう」という言葉である。これをそれぞれの世界でマスターを自認する人が「惜しみなく」提供することによって、事態が動き出す。OB会費の納入からテレビ放映への協賛、チームへの指定寄付。現役学生の就職活動に力を貸したり、相談に乗ったりすることも立派な奉仕活動である。
もちろん、仲間を誘い合って試合会場に足を運び、チームに声援を送ることも、チケットや応援グッズをチームから購入して、クラブの運営をバックアップするのも立派な協力の仕方である。
そういう奉仕・協力活動まで含めて、どのチームよりも多くの方々に応援してもらっているのがファイターズである。幸せなチームと呼ぶ由縁である。
さあ、今度の日曜日は、京大との戦いである。ともに無傷のままで迎える戦いの必勝を期して、長居まで足を運ぼうではないか。応援席を盛り上げるのも、ファンにとっては大事な役割である。
(26)「成長の実感」
投稿日時:2013/10/16(水) 22:20
たいていの草花は、種をまいてから1年以内に花を咲かせる。学校で子どもたちが観察日記を書かされるアサガオやゴーヤなんて、種をまいて3カ月もたてば、花が咲き、実が収穫できる。
けれども樹木はそうはいかない。「桃栗3年、柿8年」というのは、極めて短い方で、スギやヒノキが用材として利用できるようになるまでには少なくとも60年から70年の歳月が必要だ。
人間となると、さらにやっかいである。歳月を重ね、身体は一人前になっても、それが直接、人としての成長にはつながるわけではない。孔子は数えの40歳を不惑といい、60歳を耳順といって、人の成長の一つの理想を説いた。けれども、そういうことをいうこと自体、40歳になっても惑う人が多く、60歳になっても耳に従う、すなわち人の言うことに耳を傾けることの出来ない人が多かったからだろう。僕も例外ではない。間もなく69歳になるというのに、未だに惑いっぱなし。人の言うことも素直に聞けない。馬齢を重ねてきたというしかない。
けれども、馬齢を重ねることにも、時にはいいことがある。こんなことを言うと、腹を抱えて笑われるだろうが、この年齢になっても、何かの折に「俺って、文章書くのがうまくなったんちゃうか」とか、「この年齢になって新聞記者の仕事のおもしろさが分かってきた」とかいうようなことを実感することがあるからだ。
それは、人からみれば自己満足のたわごとだが、別の言葉でいえば、発展途上の人間にのみ許される「成長の実感」である。その手応えはそのまま、明日も頑張ろうというエネルギーになって自分に返ってくる。そのエネルギーがまた、明後日の成長、発展の足がかりになってくれる。
大事なことは、そういう「成長の実感」を人はどのようにして手に入れることが出来るか、という点にある。
だらだらとこんなことを書き連ねているのは、ファイターズの諸君のうち何人かがいま、確かにそうした実感を手にしつつある、その実感を土台にさらなる成長を遂げようとしていると感じるからである。
先日の神戸大学との試合を振り返って見よう。ファイターズの諸君は、スタンドで観戦している多くのファンの前で、これまでとは見違えるようなリズミカルな動きを見せてくれた。
攻撃では、QB斎藤がWR大園、梅本、木下、横山、TE松島らに長短のパスが次々と成功させる。時にはRB鷺野や飯田へのパスを交えて目先を変え、なんとパスだけで298ヤード、4本のTDを獲得した。勢いに乗って、短い出番だったが、QB前田もWR片岡へのTDパスをヒットさせ、華麗なパスアタックを締めくくった。
守備では池田雄、小野、作道、そして1年生の山岸で構成する盤石のLB陣を中心に、池永を柱にしたライン、鳥内、大森が率いるDBの動きが補完しあって、相手に得点を許さない。これまでの試合では、前半は完璧でも、後半、交代メンバーが出てきた途端にまったく別のチームのようになっていた守備陣が、この日は最後までしっかり守りきった。
特筆すべきは、ベンチのプレーコールである。どこまでもランにこだわったこれまでの3戦とは打って変わって、パスを中心にした思い切りのよい作戦を貫き通した。
圧巻は第2Q後半、ファイターズ5回目の攻撃シリーズ。自陣32ヤードから大園へのリバースプレーで6ヤードを獲得したのを皮切りに6回連続のパスプレーをコールし、5回を成功させた。パスをキャッチしたのは順に大園(20ヤード)、木下(19ヤード)、横山(6ヤード)、HB梶原(7ヤード)、仕上げが梅本へ浮かせた10ヤードTDパス。
長い間、ファイターズの試合を見てきたが、試合終盤の時間に追われる場面以外で、ここまで徹底してパスで攻め続けた攻撃は記憶にない。ベンチのコールもひと味違ったし、それ以上に、ターゲットをすべて変え、長短、左右を投げ分けて、次々とピンポイントのパスを成功させた斎藤の成長に目を見張った。これだけのプレーを立て続けに成功させれば、自分の感覚の中で、例えば「ぱっと電球がともる」というような瞬間があったに違いない。それが僕のいう「成長の実感」である。
人は、決して右肩上がりの曲線を描いて成長するのではない。時には停滞し、後退することもある。重い荷物を背負って、その重さにつぶされてしまいそうになるときもある。予期せぬ事態に、思わずひるむこともあるだろう。
それでも、音を上げず、ひたすら練習に取り組み、自分を鍛える。奥歯をかみしめてならぬ我慢もする。その我慢が出来ずに、思わず手近にある湯飲みを床にたたきつけるようなことがあるかもしれない。
けれども、ある日突然、そういう停滞期が嘘のように消え、突き抜けた青空が広がることがある。そのときは気がつかないかもしれないが、後から振り返れば、あのとき確かに階段を一つ上がった、昨日とは違う舞台で戦っている自分がいた、というようなことを思い知るのである。それが僕のいう「成長の実感」である。実際に何かをつかんだ瞬間にそれが訪れることもあるし、振り返ってその手応えをつかんだことを実感することもある。
つまりそれは、停滞期、後退期に悩み、もがき抜いて、それでも自分を信じて目標に挑み、自らを鍛え続けた者だけが手にすることのできる「実感」である。
先日の神戸大戦だけではない。その前の龍谷や近大との戦い、そして普段の練習の中でも、あえて名前は挙げないが、そういう「実感」を手にしつつある人材が少しずつ現れてきているような気がする。それは僕のひいき目だろうか。
けれども樹木はそうはいかない。「桃栗3年、柿8年」というのは、極めて短い方で、スギやヒノキが用材として利用できるようになるまでには少なくとも60年から70年の歳月が必要だ。
人間となると、さらにやっかいである。歳月を重ね、身体は一人前になっても、それが直接、人としての成長にはつながるわけではない。孔子は数えの40歳を不惑といい、60歳を耳順といって、人の成長の一つの理想を説いた。けれども、そういうことをいうこと自体、40歳になっても惑う人が多く、60歳になっても耳に従う、すなわち人の言うことに耳を傾けることの出来ない人が多かったからだろう。僕も例外ではない。間もなく69歳になるというのに、未だに惑いっぱなし。人の言うことも素直に聞けない。馬齢を重ねてきたというしかない。
けれども、馬齢を重ねることにも、時にはいいことがある。こんなことを言うと、腹を抱えて笑われるだろうが、この年齢になっても、何かの折に「俺って、文章書くのがうまくなったんちゃうか」とか、「この年齢になって新聞記者の仕事のおもしろさが分かってきた」とかいうようなことを実感することがあるからだ。
それは、人からみれば自己満足のたわごとだが、別の言葉でいえば、発展途上の人間にのみ許される「成長の実感」である。その手応えはそのまま、明日も頑張ろうというエネルギーになって自分に返ってくる。そのエネルギーがまた、明後日の成長、発展の足がかりになってくれる。
大事なことは、そういう「成長の実感」を人はどのようにして手に入れることが出来るか、という点にある。
だらだらとこんなことを書き連ねているのは、ファイターズの諸君のうち何人かがいま、確かにそうした実感を手にしつつある、その実感を土台にさらなる成長を遂げようとしていると感じるからである。
先日の神戸大学との試合を振り返って見よう。ファイターズの諸君は、スタンドで観戦している多くのファンの前で、これまでとは見違えるようなリズミカルな動きを見せてくれた。
攻撃では、QB斎藤がWR大園、梅本、木下、横山、TE松島らに長短のパスが次々と成功させる。時にはRB鷺野や飯田へのパスを交えて目先を変え、なんとパスだけで298ヤード、4本のTDを獲得した。勢いに乗って、短い出番だったが、QB前田もWR片岡へのTDパスをヒットさせ、華麗なパスアタックを締めくくった。
守備では池田雄、小野、作道、そして1年生の山岸で構成する盤石のLB陣を中心に、池永を柱にしたライン、鳥内、大森が率いるDBの動きが補完しあって、相手に得点を許さない。これまでの試合では、前半は完璧でも、後半、交代メンバーが出てきた途端にまったく別のチームのようになっていた守備陣が、この日は最後までしっかり守りきった。
特筆すべきは、ベンチのプレーコールである。どこまでもランにこだわったこれまでの3戦とは打って変わって、パスを中心にした思い切りのよい作戦を貫き通した。
圧巻は第2Q後半、ファイターズ5回目の攻撃シリーズ。自陣32ヤードから大園へのリバースプレーで6ヤードを獲得したのを皮切りに6回連続のパスプレーをコールし、5回を成功させた。パスをキャッチしたのは順に大園(20ヤード)、木下(19ヤード)、横山(6ヤード)、HB梶原(7ヤード)、仕上げが梅本へ浮かせた10ヤードTDパス。
長い間、ファイターズの試合を見てきたが、試合終盤の時間に追われる場面以外で、ここまで徹底してパスで攻め続けた攻撃は記憶にない。ベンチのコールもひと味違ったし、それ以上に、ターゲットをすべて変え、長短、左右を投げ分けて、次々とピンポイントのパスを成功させた斎藤の成長に目を見張った。これだけのプレーを立て続けに成功させれば、自分の感覚の中で、例えば「ぱっと電球がともる」というような瞬間があったに違いない。それが僕のいう「成長の実感」である。
人は、決して右肩上がりの曲線を描いて成長するのではない。時には停滞し、後退することもある。重い荷物を背負って、その重さにつぶされてしまいそうになるときもある。予期せぬ事態に、思わずひるむこともあるだろう。
それでも、音を上げず、ひたすら練習に取り組み、自分を鍛える。奥歯をかみしめてならぬ我慢もする。その我慢が出来ずに、思わず手近にある湯飲みを床にたたきつけるようなことがあるかもしれない。
けれども、ある日突然、そういう停滞期が嘘のように消え、突き抜けた青空が広がることがある。そのときは気がつかないかもしれないが、後から振り返れば、あのとき確かに階段を一つ上がった、昨日とは違う舞台で戦っている自分がいた、というようなことを思い知るのである。それが僕のいう「成長の実感」である。実際に何かをつかんだ瞬間にそれが訪れることもあるし、振り返ってその手応えをつかんだことを実感することもある。
つまりそれは、停滞期、後退期に悩み、もがき抜いて、それでも自分を信じて目標に挑み、自らを鍛え続けた者だけが手にすることのできる「実感」である。
先日の神戸大戦だけではない。その前の龍谷や近大との戦い、そして普段の練習の中でも、あえて名前は挙げないが、そういう「実感」を手にしつつある人材が少しずつ現れてきているような気がする。それは僕のひいき目だろうか。
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