石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
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(1)さあ、コラム再開
投稿日時:2014/04/03(木) 22:40
桜が咲いたと思ったら、あっという間に散っていく。
先週の金曜日、大学へ行ったときはせいぜい2分咲き。それが土曜日には5~6分咲きになり、見た目は満開という木もあった。4月、年度替わりを象徴するような慌ただしさである。
ファイターズの諸君もまた、慌ただしい日々を過ごしている。ライスボウルが終わり、4年生が引退して新しいチームがスタートすると同時に学年末の試験。それが終わるのを待ちかねたように2度の合宿。千刈のキャンプ場では選抜された選手たちの「サバイバルトレーニング」もあった。
その間、中学、高等部、啓明学院のメンバーを交えたファイターズファミリー壮行会や甲子園ボウルの祝勝会もあった。3月になると、高校生を対象にした合同クリニックや小中学生を対象にしたフットボール教室も行われたし、卒業式もあった。シーズンオフ。試合はなくても、部員はみな十分に忙しい毎日を過ごしてきたのである。
僕はその間、授業がないのを幸い、老朽化した体のメンテナンスに励んでいた。接骨院や歯科医、眼科医に通い、あれもこれもと抜本的な治療に励んだ。新聞社の先輩の送別会に長野県まで足を伸ばし、志を同じくするジャーナリストや市民運動をしている人たちと旧交も温めてきた。例年通り、昨年1年間のこのコラムと、本業の新聞社のコラムをそれぞれまとめて出版する作業も、連日の「夜なべ仕事」で仕上げたし、気の置けない友人たちと徹夜でジャン卓を囲む日もあった。
ライスボウルの悔しい敗戦以降、断りもなくこのコラムを休んでいたけど、それなりにせわしない毎日を過ごしていたのである。
しかし、4月である。新しいシーズンが始まる。このコラムも再開する。
今年もシーズンの終了まで書き続けますので、ご支援、よろしくお願いいたします。
ということで、2014年度の1回目は、昨年の「アンサング・ヒーロー賞」の話から始めたい。
受賞者はQBの橘君。下級生のころにはJVの試合にちょこちょこ登場して、切れの良いラッシュを披露していた左利きの選手だが、4年生になると同時に、ほとんど試合には出場せず、もっぱらQB、WRのパートの練習を仕切る仕事に徹していた。
ご存じの通り、昨年のチームの浮沈は、絶対的なエースだったQB畑君の後を誰が埋めるかにかかっていた。3年生に斎藤君、前田君、松岡君というそれぞれ特色を持った候補がいたが、春のシーズンがスタートした時点では、誰が出ても畑君の後を埋めるのは大変、という状況だった。
そういう状況を誰よりも知っていた橘君は「後継者がいないのなら、育てるしかない。育てる役割は自分が果たす」と心に刻み、WRのパートリーダーだった梅本君と協力して懸命にその役割を果たした。誰よりも早くグラウンドに出てQBの練習を手伝い、気付いたことはこと細かくアドバイスする。
これは、早めに練習に出てくる部員ならだれもが知っていることだが、いつも一番にグラウンドで練習を始めるのは、QB・WRのパート。中でも橘君、梅本君、斎藤君はいつも練習の一番乗りだった。橘君が斎藤君にスナップを出し、斎藤君がパスを投げ、梅本君がそれをキャッチする。そして、気付いたことは即座に指摘しあい、その場で確かめあう。
春から夏。夏から秋。そして冬。昨年のシーズンが始まってから、終わるまで、ずっとこの関係は続いた。梅本君は「斎藤を男にする」といって頑張り、橘君はひたすらスナップを出し続けることで二人を鼓舞した。斎藤君は二人の先輩に励まされ、誰もが驚くほどの上達を見せた。
僕は週に2度くらいしかグラウンドには顔を出せなかったが、三人のこの取り組みをずっと見続けてきた。そして、今年はこの三人が勝負してくれると確信していた。
もちろん、コーチや監督もそれをしっかりと見ていたのだろう。橘君が「アンサング・ヒーロー」に選ばれ、梅本君は「特別賞」に輝いた。
選手が輝くのは試合会場だけではない。本当の勝負は上ケ原の第3フィールドにある。あるいは甲山の坂道にあり、トレーニングセンターにある。そこで、高い目標を持ち、誰よりも熱心に鍛えたものが最終的に輝くのである。
部外者にはなかなか見えないが、その取り組みを誰よりも熱心に続けたのが橘君であり、梅本君である。その取り組みをコーチや監督が曇りのない目でしっかり評価してくれた。昨年の南本君に続き、こういう部員のことをシーズンの当初にご紹介できるのは、何にもましてうれしい。
◇ ◇
今年も「スタンドから」を再開します。週に1度の割で書き続けます。ご愛読よろしくお願いします。
文中にも書きましたが、昨年のコラムを集大成した「栄光への軌跡・2013年版」を刊行しました。部員には「戦いの記憶」として贈呈しましたが、ファンの方にも手に取ってもらえるように少し多めに発行しています。シーズンが始まりましたら、グラウンドのファイターズグッズ販売所で取り扱います(1冊500円。代金はカンパとしてすべてチームに寄付します)。ご協力よろしくお願いいたします。
先週の金曜日、大学へ行ったときはせいぜい2分咲き。それが土曜日には5~6分咲きになり、見た目は満開という木もあった。4月、年度替わりを象徴するような慌ただしさである。
ファイターズの諸君もまた、慌ただしい日々を過ごしている。ライスボウルが終わり、4年生が引退して新しいチームがスタートすると同時に学年末の試験。それが終わるのを待ちかねたように2度の合宿。千刈のキャンプ場では選抜された選手たちの「サバイバルトレーニング」もあった。
その間、中学、高等部、啓明学院のメンバーを交えたファイターズファミリー壮行会や甲子園ボウルの祝勝会もあった。3月になると、高校生を対象にした合同クリニックや小中学生を対象にしたフットボール教室も行われたし、卒業式もあった。シーズンオフ。試合はなくても、部員はみな十分に忙しい毎日を過ごしてきたのである。
僕はその間、授業がないのを幸い、老朽化した体のメンテナンスに励んでいた。接骨院や歯科医、眼科医に通い、あれもこれもと抜本的な治療に励んだ。新聞社の先輩の送別会に長野県まで足を伸ばし、志を同じくするジャーナリストや市民運動をしている人たちと旧交も温めてきた。例年通り、昨年1年間のこのコラムと、本業の新聞社のコラムをそれぞれまとめて出版する作業も、連日の「夜なべ仕事」で仕上げたし、気の置けない友人たちと徹夜でジャン卓を囲む日もあった。
ライスボウルの悔しい敗戦以降、断りもなくこのコラムを休んでいたけど、それなりにせわしない毎日を過ごしていたのである。
しかし、4月である。新しいシーズンが始まる。このコラムも再開する。
今年もシーズンの終了まで書き続けますので、ご支援、よろしくお願いいたします。
ということで、2014年度の1回目は、昨年の「アンサング・ヒーロー賞」の話から始めたい。
受賞者はQBの橘君。下級生のころにはJVの試合にちょこちょこ登場して、切れの良いラッシュを披露していた左利きの選手だが、4年生になると同時に、ほとんど試合には出場せず、もっぱらQB、WRのパートの練習を仕切る仕事に徹していた。
ご存じの通り、昨年のチームの浮沈は、絶対的なエースだったQB畑君の後を誰が埋めるかにかかっていた。3年生に斎藤君、前田君、松岡君というそれぞれ特色を持った候補がいたが、春のシーズンがスタートした時点では、誰が出ても畑君の後を埋めるのは大変、という状況だった。
そういう状況を誰よりも知っていた橘君は「後継者がいないのなら、育てるしかない。育てる役割は自分が果たす」と心に刻み、WRのパートリーダーだった梅本君と協力して懸命にその役割を果たした。誰よりも早くグラウンドに出てQBの練習を手伝い、気付いたことはこと細かくアドバイスする。
これは、早めに練習に出てくる部員ならだれもが知っていることだが、いつも一番にグラウンドで練習を始めるのは、QB・WRのパート。中でも橘君、梅本君、斎藤君はいつも練習の一番乗りだった。橘君が斎藤君にスナップを出し、斎藤君がパスを投げ、梅本君がそれをキャッチする。そして、気付いたことは即座に指摘しあい、その場で確かめあう。
春から夏。夏から秋。そして冬。昨年のシーズンが始まってから、終わるまで、ずっとこの関係は続いた。梅本君は「斎藤を男にする」といって頑張り、橘君はひたすらスナップを出し続けることで二人を鼓舞した。斎藤君は二人の先輩に励まされ、誰もが驚くほどの上達を見せた。
僕は週に2度くらいしかグラウンドには顔を出せなかったが、三人のこの取り組みをずっと見続けてきた。そして、今年はこの三人が勝負してくれると確信していた。
もちろん、コーチや監督もそれをしっかりと見ていたのだろう。橘君が「アンサング・ヒーロー」に選ばれ、梅本君は「特別賞」に輝いた。
選手が輝くのは試合会場だけではない。本当の勝負は上ケ原の第3フィールドにある。あるいは甲山の坂道にあり、トレーニングセンターにある。そこで、高い目標を持ち、誰よりも熱心に鍛えたものが最終的に輝くのである。
部外者にはなかなか見えないが、その取り組みを誰よりも熱心に続けたのが橘君であり、梅本君である。その取り組みをコーチや監督が曇りのない目でしっかり評価してくれた。昨年の南本君に続き、こういう部員のことをシーズンの当初にご紹介できるのは、何にもましてうれしい。
◇ ◇
今年も「スタンドから」を再開します。週に1度の割で書き続けます。ご愛読よろしくお願いします。
文中にも書きましたが、昨年のコラムを集大成した「栄光への軌跡・2013年版」を刊行しました。部員には「戦いの記憶」として贈呈しましたが、ファンの方にも手に取ってもらえるように少し多めに発行しています。シーズンが始まりましたら、グラウンドのファイターズグッズ販売所で取り扱います(1冊500円。代金はカンパとしてすべてチームに寄付します)。ご協力よろしくお願いいたします。
(38)花いちもんめ
投稿日時:2014/01/04(土) 22:27
悔しくてならない。ライスボウルが終わって6時間。夜道を和歌山県田辺市まで戻り、ようやくパソコンの前に座ったが、それでも悔しくて悔しくて、なかなか気持ちの整理がつかない。
34-16。ライスボウルでは3年連続の敗退である。この現実は潔く受け止める。
しかし、しかしである。主力選手が全員、万全の状態で試合に臨んでいたらどうだったか。勝負に「たら」も「れば」もないことは重々承知している。選手も監督やコーチも、試合結果についてぐだぐだと言い訳するようなことは、100%あり得ない。
だが、シーズンが深まるとともに攻守とも主力メンバーに故障が相次ぎ、それぞれが極めて厳しい状況だったことを知っている僕には、もし彼らが万全な状態で出場し、真っ向から社会人チームと渡り合っていたらと、ついつい考えてしまうのである。
ある選手は立命戦の直前、練習中のけがで救急車で病院に運ばれ、そのまま入院した。ある選手は、脱臼で片腕が使えないまま、試合に出続けた。またある選手は、昨年の試合中に重傷を負い、手術で回復したものの、試合で激しい動きをすると熱が出る、だましだましやるしかありません、と苦しい胸の内を明かしてくれた。
これらがみな、攻守の主力選手である。それぞれが何事もないような顔をして試合に出続け、目を見張るような素晴らしいプレーを何度も披露してくれた。そして関西リーグ優勝の立役者になり、甲子園ボウルでも日大を圧倒する主役を務めた。
痛む体を引きづり、だましだましのプレーを、何食わぬ顔でやり続けてきた彼らがいてくれたから、何とかライスボウルまで駒を進めることができた。だが、LB池田雄紀君の場合はそうはいかなかった。甲子園ボウルを前にした練習で左足を痛め、松葉杖なしでは歩けない状態で甲子園に登場した姿は、相手チームに焼き付いている。ぶっつけ本番で、この日の試合には出場したが、いつもの速くて強くてシャープな彼ではないことは、即座に見破られてしまった。
当然だろう。12月最後の練習を見に行ったときには、まだ軽いジョグしかできない状態。今日、東京ドームでジャージを着てグラウンドに立っていること自体が奇跡のようなことだったのだ。
しかし、彼は副将であり、ファイターズ守備の要である。足が痛いの動けないのとは、口が裂けても弁解しない。黙って役割を果たし、執拗にブリッツをかけ続けた。それがわずかに届かず、相手に交わされる姿をテレビの画面(そう、この日は新幹線が全面的にストップし、チームのスタッフの多くや一部の交代メンバー、それにゲーム進行にベンチで重要な役割を果たすメンバーらが試合開始に間に合わなかった。僕も急きょ、新大阪駅から西宮に引き返し、自宅でテレビを見ながら応援するしかなかった。これもまた悔しい出来事だった)で見ながら、思うようにプレーができない彼の胸中を思うと、僕は悔しくて悔しくてならなかったのである。
池田君が万全に動けなかったら、その分、同じLBの小野君らにかかる負担は倍加する。今季ファイターズの強力な守備陣を支えてきたLB陣の動きが制約されれば、DLやDBの動きにも影響は避けられない。その結果、相手にランプレーを自信をもって通され、気分的にも余裕を与えてしまう。
実力のある相手に余裕をもってプレーされたら、当然のことだがゲーム展開は相手のペースになる。ファイターズの戦術的な工夫も思い切った作戦も、相手をあわてさせるところまでには至らない。そういうことの総和が34-16というこの日の結果である。
この試合の結果から、ネットではもう「学生は社会人に勝てないのでは」というような議論が持ち上がっている。今朝の朝日新聞によると、相手チームの監督も「どこかのタイミングでXリーグと大学フットボールは乖離(かいり)していくものだと思う」と話していたそうだ。
そういう勝手な議論がおきることもまた口惜しい話である。
だが、口惜しい、悔しいと騒いでいるのは僕だけである。試合後のインタビューやフェイスブックの発言などを聞いても、チームの当事者は黙ってこの敗北をかみしめている。そして、コンチクショウ!次は倍返しだ!と奥歯をかみしめているに違いない。
「花いちもんめ」という歌がある。「勝ってうれしい花いちもんめ」「負けて悔しい花いちもんめ」と子どもたちがはやし立てて遊ぶ。この歌の深い意味は知らないが、僕にとっては、結構、深い意味のある歌である。
思い返せば若いころ、職場で理不尽な仕打ちを受けるたびに、なぜかこの歌詞を思い浮かべた。そして「負けて悔しい花いちもんめ」とつぶやきながら「もう一丁、やったろかい」と気持ちを新たにしてきた。今日もまた、そんな心境である。
ファイターズの明日を担うメンバーもまた、それぞれ苦い汁を飲みながら、今日の悔しさをかみしめているに違いない。
けれども、これですべてが終わったわけではない。1年間、懸命にチームを引っ張ってくれた4年生を失うのはつらいが、今日からは新しいチームがスタートする。悔しさを力に変え、胸に花を抱いて「もう一丁、やったろかい」と、残された諸君が立ち上がってくれることを心から祈っている。
34-16。ライスボウルでは3年連続の敗退である。この現実は潔く受け止める。
しかし、しかしである。主力選手が全員、万全の状態で試合に臨んでいたらどうだったか。勝負に「たら」も「れば」もないことは重々承知している。選手も監督やコーチも、試合結果についてぐだぐだと言い訳するようなことは、100%あり得ない。
だが、シーズンが深まるとともに攻守とも主力メンバーに故障が相次ぎ、それぞれが極めて厳しい状況だったことを知っている僕には、もし彼らが万全な状態で出場し、真っ向から社会人チームと渡り合っていたらと、ついつい考えてしまうのである。
ある選手は立命戦の直前、練習中のけがで救急車で病院に運ばれ、そのまま入院した。ある選手は、脱臼で片腕が使えないまま、試合に出続けた。またある選手は、昨年の試合中に重傷を負い、手術で回復したものの、試合で激しい動きをすると熱が出る、だましだましやるしかありません、と苦しい胸の内を明かしてくれた。
これらがみな、攻守の主力選手である。それぞれが何事もないような顔をして試合に出続け、目を見張るような素晴らしいプレーを何度も披露してくれた。そして関西リーグ優勝の立役者になり、甲子園ボウルでも日大を圧倒する主役を務めた。
痛む体を引きづり、だましだましのプレーを、何食わぬ顔でやり続けてきた彼らがいてくれたから、何とかライスボウルまで駒を進めることができた。だが、LB池田雄紀君の場合はそうはいかなかった。甲子園ボウルを前にした練習で左足を痛め、松葉杖なしでは歩けない状態で甲子園に登場した姿は、相手チームに焼き付いている。ぶっつけ本番で、この日の試合には出場したが、いつもの速くて強くてシャープな彼ではないことは、即座に見破られてしまった。
当然だろう。12月最後の練習を見に行ったときには、まだ軽いジョグしかできない状態。今日、東京ドームでジャージを着てグラウンドに立っていること自体が奇跡のようなことだったのだ。
しかし、彼は副将であり、ファイターズ守備の要である。足が痛いの動けないのとは、口が裂けても弁解しない。黙って役割を果たし、執拗にブリッツをかけ続けた。それがわずかに届かず、相手に交わされる姿をテレビの画面(そう、この日は新幹線が全面的にストップし、チームのスタッフの多くや一部の交代メンバー、それにゲーム進行にベンチで重要な役割を果たすメンバーらが試合開始に間に合わなかった。僕も急きょ、新大阪駅から西宮に引き返し、自宅でテレビを見ながら応援するしかなかった。これもまた悔しい出来事だった)で見ながら、思うようにプレーができない彼の胸中を思うと、僕は悔しくて悔しくてならなかったのである。
池田君が万全に動けなかったら、その分、同じLBの小野君らにかかる負担は倍加する。今季ファイターズの強力な守備陣を支えてきたLB陣の動きが制約されれば、DLやDBの動きにも影響は避けられない。その結果、相手にランプレーを自信をもって通され、気分的にも余裕を与えてしまう。
実力のある相手に余裕をもってプレーされたら、当然のことだがゲーム展開は相手のペースになる。ファイターズの戦術的な工夫も思い切った作戦も、相手をあわてさせるところまでには至らない。そういうことの総和が34-16というこの日の結果である。
この試合の結果から、ネットではもう「学生は社会人に勝てないのでは」というような議論が持ち上がっている。今朝の朝日新聞によると、相手チームの監督も「どこかのタイミングでXリーグと大学フットボールは乖離(かいり)していくものだと思う」と話していたそうだ。
そういう勝手な議論がおきることもまた口惜しい話である。
だが、口惜しい、悔しいと騒いでいるのは僕だけである。試合後のインタビューやフェイスブックの発言などを聞いても、チームの当事者は黙ってこの敗北をかみしめている。そして、コンチクショウ!次は倍返しだ!と奥歯をかみしめているに違いない。
「花いちもんめ」という歌がある。「勝ってうれしい花いちもんめ」「負けて悔しい花いちもんめ」と子どもたちがはやし立てて遊ぶ。この歌の深い意味は知らないが、僕にとっては、結構、深い意味のある歌である。
思い返せば若いころ、職場で理不尽な仕打ちを受けるたびに、なぜかこの歌詞を思い浮かべた。そして「負けて悔しい花いちもんめ」とつぶやきながら「もう一丁、やったろかい」と気持ちを新たにしてきた。今日もまた、そんな心境である。
ファイターズの明日を担うメンバーもまた、それぞれ苦い汁を飲みながら、今日の悔しさをかみしめているに違いない。
けれども、これですべてが終わったわけではない。1年間、懸命にチームを引っ張ってくれた4年生を失うのはつらいが、今日からは新しいチームがスタートする。悔しさを力に変え、胸に花を抱いて「もう一丁、やったろかい」と、残された諸君が立ち上がってくれることを心から祈っている。
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