石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」

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(4)さあ、出発だ

投稿日時:2015/04/06(月) 07:57

 4月。上ヶ原は桜が満開。3日、花のトンネルをくぐり抜けて大学に行き、第3フィールドに向かう。花見には絶好のタイミングだが、グラウンドは雨。時折、風までが強く吹く。「花に嵐」という通りの悪天候だ。
 しかしこの日は、新しいシーズンを迎えて、チームの全員がお祈りをする日である。雨だから風だからとひるんではおれない。雨の中、傘を差し、いそいそとグラウンドに降りていく。
 鳥内監督をはじめチームの全員が「屋根下」と呼ばれる簡単なトレーニングやテーピングの出来るスペースに集まる。顧問の前島先生(元宗教総主事)が聖書の一節を読み上げ、人は何のために生きているのかと問い掛け、学院の理念である「マスタリー・フォー・サービス」について、それが意味する二つの側面から説かれる。人に奉仕することの大切さと、奉仕の出来る人間になれるように自分を鍛え上げることの必要性。
 50年も前、学生時代にチャペルの時間などでさんざん聞かされた内容であり、当時は「ふーん、そうですか」という感じで聞き流していたが、憂き世を50年も生き延びてきたいまは、ずしりと胸に響く。とりわけ、「弱虫は要らない」「奉仕の出来る強い人間に自らを鍛えよ」という部分に共感し、思わずわが身を振り返る。
 シーズン開幕に当たってのお祈りは、毎年恒例の行事である。それは選手やスタッフに向けた語りかけだが、その場に立ち会うたびに、気持ちが改まり、よーし、今年も頑張るぞ、と気分が高揚してくる。新しい年の門出であり、新年のみそぎでもある。
 とはいっても、今年は3月21日にプリンストン大学との日米大学交流戦「LEGACY BOWL」があったから、実質的に新しいチームはスタートを切っている。その試合は36-7。ファイターズの完敗だった。完敗からのスタートとなると、前途の多難が予想されるが、ものは受け止めようである。
 あの試合はもちろんのこと、アメリカを代表する大学のメンバーと交流した1週間を通じて何を学んだのか。彼らの高いモラル、高い目的意識、合理的な時間の使い方、学問とスポーツを両立させている取り組み……。
 そして、当日の試合で彼らが見せてくれた数々のパフォーマンス。闘争心、試合に対する準備、ひとつひとつのプレーに対する集中力、そしてボールに対する執着心。ひとつひとつのプレーは激しく戦うけれども、スポーツマンとしての矜持は決して失わない彼らのたたずまい。
 さらに、試合の前々日にあった「課外活動と人材育成」をテーマにしたシンポジウムを含め、プリンストン大学の選手、スタッフから学ぶべきことは数限りなくあった。それらはファイターズが今後、どう歩んでいくべきかという羅針盤であり、課題解決のヒントでもあった。
 それを一人一人の選手がプレーの中で体験し、体に染みこませた。その価値は、計り知れないほど大きい。
 試合だけでない。日常の振る舞いの端々に至るまで、将来、アメリカを背負って立つ人間としての高い使命感をもって行動していた彼らの残していったことを、チームの全員が共有し、わがこととして骨や肉に出来るかどうかである。
 お祈りがあった翌日の夕方。一足先に練習を終えた中学部の主将が、スタンドの一角で着替えをしている部員たちに「みんな、宿題をしっかり仕上げるように。宿題を仕上げられないような人間は……」と声を大にして呼び掛けていた。
 同じ頃、大学のチーム練習が終わった時、グラウンド中央に集まった選手たちを前に、鳥内監督が普段以上に語気を強めて訓示をされていた。円陣の後方にいたので、途切れ途切れにしか聞き取れなかったが、多分、こんな話だった。
 「プリンストン大学の連中は、日本滞在中も勉学に励み、奉仕活動も続けていた。ファイターズのメンバーも、しっかり授業を受けて勉強し、あの試合でもらった課題をやりきるように。口先だけでなく、自分たちの課題をやりきって初めて、人として成長出来る」
 まったく同感である。
 プリンストン大学との交流を通じて見つけた課題に真摯(しんし)に取り組み、それを一つずつ解決していくことで道は開ける。多くの課題とともにスタートを切った今季、橋本主将が率いるチームがどこまで成長していくか。新しいシーズンが楽しみでならない。

(3)ファイターズの底力

投稿日時:2015/03/26(木) 08:00

 14年ぶりに開かれたプリンストン大学との日米大学交流戦「LEGACY BOWL」は36-7。ファイターズの完敗だった。完敗とは穏やかならぬ表現だが、立ち上がりから相手に主導権を握られ、終始押しまくられていた試合内容を見れば、こういう言い方も許されるだろう。
 しかし、今回の交流戦を全体で見ると、様相は全く異なってくる。新聞やネットで流布されている厳しい評価とは違って、ファイターズが底力を発揮した催し、チームがさらに飛躍するきっかけとなった試合であったと僕は評価している。なぜか。以下の3点を中心に理由を述べる。
 ?今回の催しをファイターズがOB、現役の総力を挙げて成功させたこと。
 ?大学における課外活動の価値・意義について、明確な位置づけが出来たこと。
 ?学生自身が成長したこと。あるいは成長へのきっかけをつかんだこと。
 今回の交流戦は企画、立案から運営資金の手当て、相手校との折衝、航空機やホテルの手配、試合会場や練習会場の確保、日本滞在中のシンポジウム開催まで、すべてをファイターズのOB、スタッフ、コーチや現役部員が総力を挙げて担った。
 なんせアメリカのトップに位置する大学のチームを丸ごと1週間、日本に招聘する事業である。来日を価値あるものと認めてもらうための交渉一つとっても、相当な人脈が必要になる。チームとして、大学としての信用がなければ、交渉にも入れない。
 交渉がまとまっても、今度は招聘のための資金を捻出しなければならない。なんせ選手だけでも約80人、コーチやスタッフを入れると100人を超す選手団である。往復航空機運賃から日本滞在中のホテル費用まで、その大半を負担するのだから、大変だ。歓迎パーティー、夕食会、さよならパーティーの費用も必要だし、試合の開催経費も用意しなければならない。
 その総額はざっと4千万円。大学の創立125周年事業として、ある程度は大学からの援助が見込めたが、それでもその大半をファイターズが捻出するのだ。OB、保護者、そしてファンからの寄付を集め、大口、小口のスポンサーを確保して協賛金を集める。運賃や滞在費の値引き交渉、チケット販売への協力依頼。試合を成功させるためにやらねばならないことは数限りなくある。
 それをチームが総力を挙げてやりきったのである。「見たか、ファイターズの底力」と言う理由である。
 二番目は、今回の試合に併せ、チームと大学が協力してシンポジウム「プリンストン大学と考える グローバル人材の育て方」を成功させたことである。
 こちらは関西学院大学が昨秋、文部科学省の「スーパーグローバル大学創成支援事業」に採択されたことを記念した催し。大学が費用を負担し、読売新聞社の後援で開催したが、これもまたファイターズが前面に出て成功させた。当初予定の200人を大きく上回る400人の聴衆が詰めかけただけでなく、内容が飛び切り濃かった。
 第一部は「グローバルリーダーを育てる課外活動の価値」と題したプリンストン大学学生生活局副部長の講演。第二部はこの副部長に両校のヘッドコーチらが参加したパネルディスカッション「グローバル人材の育て方」。約2時間半にわたって、大学の課外活動の意味や位置づけについて示唆に富む内容が話し合われた。
 僕は前から2番目の席に座り、終始、メモを取りながら聴講したが、スポーツを通じた人材育成、人の成長、学業との両立など、かねてから興味のあるテーマについて、日ごろ僕の考えている通りのことが話し合われた。そのことで自分の立ち位置が間違っていないと確認するとともに、そこで話し合われた内容がファイターズの日ごろの活動と完全に一致していることに大きな満足を覚えた。「ファイターズの目指す方向は間違っていない。この道を突き進めば人は育っていく」と確認できただけでも、今回、シンポジウムを開催できたことには大きな意味があった。
 そして三つ目。多くの学生が成長のきっかけをつかんだことである。
 確かに試合は完敗だった。しかし、個々のプレーを振り返って見ると、本場アメリカの大学チームに通用した部分も少なくなかった。体格は明らかに劣っていたが、それでも相手の攻撃ラインを力で突破した守備のラインがいたし、相手レシーバーに競り勝ってインターセプトを奪った選手もいた。一回りも二回りも大きくてスピードのあるデフェンスラインを相手に懸命にQBを守ったOLの姿も見えた。
 確かに、プレーに対する集中力、対応力、球際の強さは相手チームの方が1枚も2枚も上だった。けれども、その違いを自ら同じグラウンドに身を置き、同じボールを競り合う中で体験できた意味は大きい。
 「負けて覚える大相撲」という言葉がある。試合後、何人かの選手に話を聞いたが、彼らはみなこの言葉通りの感想を口にした。これが今回の敗戦を「成長のきっかけ」と僕が評価する由縁である。
 そしてもう一つ、付け加えて起きたい場面がある。それは試合後、両チームの選手が記念撮影を終え、試合後のハドルも解いた後の光景である。ある上級生が相手チームの選手と英語で親しく話し合い、互いに握手しながら自身が身に付けていた用具を交換していたのだ。これだけなら、よくある光景だが、その選手の顔を見て驚いた。
 彼は単位の取得に苦しみ、留年が決まっている。中でも英語が苦手だと聞いたことがある。そんな選手が英語しか話せない相手と堂々と会話し、意志を通じあっている。その姿を見たとき、スポーツは国境を越える、と言うことを実感した。英語の苦手な彼が堂々と相手と言葉を交わし、意思の疎通を図る。この試合をきっかけに、その一歩を踏み出したことで、彼らは間違いなく成長のきっかけをつかんだと確信した。
 これもまた、今回の催しが総体として成功したと評価する由縁である。学生スポーツは勝敗だけに意味があるのではない。たとえ試合には敗れても、その試合を通して生涯の仲間を得た者、助け合うことの喜びを知った者、成長のきっかけをつかんだ者、すべてが勝者である。
 こうしたことを次々と確認できたことが、今回の日米交流戦であり、シンポジウムだった。少しばかりだがチームに寄付をし、この催しを応援するコラムを書いてきて、本当によかったと思っている。
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