石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
<<前へ | 次へ>> |
(1)ファイターズにとっての「マスタリー・フォア・サービス」
投稿日時:2016/04/01(金) 23:35
4月1日。新しい年度のスタートである。大学前の桜並木は3分から5分咲き。あいにく小雨がぱらつく肌寒い天気だったが、上ヶ原のキャンパスでは入学式。初々しいスーツ姿の新入生とその保護者が列をなして登校している。新入生を勧誘するクラブやサークルのメンバーも、正門から銀座通りにかけてずらりと並び、元気な声を張り上げている。
そうした中を突っ切り、目的地の第3フィールド、ファイターズの練習場に向かう。
ファイターズにとっては、昨年、関西リーグの最終戦で敗れたときが新しい年度のスタート。もちろん、最終戦の日大との戦いが残されており、それはそれで意義のあった試合だったろうが、甲子園ボウルへの道が絶たれた時点で、僕にとっては昨年のチームは幕を閉じ、そこから新たな学年、新たなチームが始動している。
年が改まり、新しい幹部が決まり、後期試験が終了すると同時に新チームのトレーニングがスタートした。いつもの年とまったく異なる練習のスケジュールとその内容。時折グラウンドに顔を出すと、ふだんの年の2月、3月とは少々勝手の違う練習を見ることができた。その時期の練習を見るのも楽しいが、それでも、4月1日という節目の日の練習を見る楽しみは別格だ。
午後2時半。新しい年度を迎えた初日の練習は、顧問の前島先生による「お祈り」からスタートした。
先生は「すべての人の僕(しもべ)になりなさい」という聖書の言葉を引用して「マスタリー・フォア・サービス」の意味を説き、このチームで活動する一人一人が「わがこととして学び、習得する」ことに努め、自らがこのチームを引き受ける気持ちでこの1年間、鍛えてほしい、と述べられた。
さらに「祈りとは何か」と部員に問い掛け、「一言で言えば、自分の思いを明確にすること」と説明。「1月3日までフットボールをやりたいという気持ちを明確にし、それを達成するために身体を鍛え、思いを鍛えること」と説かれた。
鳥内監督の言葉はもっと短かい。「マスターにならなあかん。プロにならなあかん」「変わるのは今しかない。やるかやらんかや。サボりはいらん」。短いが気持ちのこもった言葉でチームを引き締められる。
こんな檄を飛ばされては、部員も黙ってはいられない。シーズンが始まったばかりとは思えない素早い集散で、練習メニューに取り組む。途中、短いサプリ休憩などを挟んで、あっという間にチーム練習は終了。
練習後のハドルで、今度はチームの幹部がそれぞれ短い言葉で気合いを入れる。山岸主将は「いつも立命戦を意識し、高い意識をもって取り組め」。副将の岡本君は「練習台になる者が本気になれ。常に相手を倒す、という強い気持ちを持て。甘い取り組みでは、お互いが強くなれない。弱い相手に勝ってそれで満足というような練習はするな」という意味のことをこれまた短い言葉で。主務の石井君も「ファイト!ハード。たとえ10回に1回しか勝てないような相手でも、その1回は絶対に勝ち切れ。それがファイト!ハードという意味だ」と続ける。
新しいシーズン、新しい学年のスタートということで、気分が高揚していたこともあるだろう。それぞれの幹部が短い言葉の中に、強い気持ちを込めて部員に語りかけていたのが印象に残った。
同時に、そういう幹部たちであっても、昨年のチームが勝てなかった相手に、自分たちはどうすれば勝てるのか、自分たちにどんなチームが作れるのか、という不安もあったに違いない。幹部だけが声を挙げても、周囲を巻き込まなければ成果が出ないと、これからのチーム作りを懸念する気持ちももちろんあるだろう。
そういう諸々をすべて抱き、包み込んで、ファイターズで活動するすべての部員が1915年、時の関西学院高等学部長(後に関西学院第4代院長)ベーツ氏によって提唱された「マスタリー・フォア・サービス」の道を歩み始めてほしい。それがこの日、お祈りで前島先生が説かれたこと、鳥内監督の「どんな人間になんねん」という問い掛けへの答えにつながる道だと僕は思っている。
その気持ちをより正確に表すために、関西学院が発行している冊子「輝く自由」に掲載されているベーツ先生の言葉、すなわち1915年に書かれた「私たちの校訓『マスタリー・フォア・サービス』」という文書の一部を紹介しておく。
「私たちは弱虫になることを望みません。私たちは強くあること、さまざまなことを自由に支配できる人(マスター)になることを目指します。マスターとは、知識を身につけ、チャンスを自らつかみ取り、自分自身を抑制できる、自分の欲、名誉や飲食や所有への思いを抑えることができる人です」
◇ ◇
今年も山岸主将を中心とした新しいチームがスタートしました。チームの胎動に合わせて昨年末から休載していたこのコラムも再開し、今年もチームの動向を追っていきます。引き続きのご愛読とファイターズへのご支援を心からお願いします。
そうした中を突っ切り、目的地の第3フィールド、ファイターズの練習場に向かう。
ファイターズにとっては、昨年、関西リーグの最終戦で敗れたときが新しい年度のスタート。もちろん、最終戦の日大との戦いが残されており、それはそれで意義のあった試合だったろうが、甲子園ボウルへの道が絶たれた時点で、僕にとっては昨年のチームは幕を閉じ、そこから新たな学年、新たなチームが始動している。
年が改まり、新しい幹部が決まり、後期試験が終了すると同時に新チームのトレーニングがスタートした。いつもの年とまったく異なる練習のスケジュールとその内容。時折グラウンドに顔を出すと、ふだんの年の2月、3月とは少々勝手の違う練習を見ることができた。その時期の練習を見るのも楽しいが、それでも、4月1日という節目の日の練習を見る楽しみは別格だ。
午後2時半。新しい年度を迎えた初日の練習は、顧問の前島先生による「お祈り」からスタートした。
先生は「すべての人の僕(しもべ)になりなさい」という聖書の言葉を引用して「マスタリー・フォア・サービス」の意味を説き、このチームで活動する一人一人が「わがこととして学び、習得する」ことに努め、自らがこのチームを引き受ける気持ちでこの1年間、鍛えてほしい、と述べられた。
さらに「祈りとは何か」と部員に問い掛け、「一言で言えば、自分の思いを明確にすること」と説明。「1月3日までフットボールをやりたいという気持ちを明確にし、それを達成するために身体を鍛え、思いを鍛えること」と説かれた。
鳥内監督の言葉はもっと短かい。「マスターにならなあかん。プロにならなあかん」「変わるのは今しかない。やるかやらんかや。サボりはいらん」。短いが気持ちのこもった言葉でチームを引き締められる。
こんな檄を飛ばされては、部員も黙ってはいられない。シーズンが始まったばかりとは思えない素早い集散で、練習メニューに取り組む。途中、短いサプリ休憩などを挟んで、あっという間にチーム練習は終了。
練習後のハドルで、今度はチームの幹部がそれぞれ短い言葉で気合いを入れる。山岸主将は「いつも立命戦を意識し、高い意識をもって取り組め」。副将の岡本君は「練習台になる者が本気になれ。常に相手を倒す、という強い気持ちを持て。甘い取り組みでは、お互いが強くなれない。弱い相手に勝ってそれで満足というような練習はするな」という意味のことをこれまた短い言葉で。主務の石井君も「ファイト!ハード。たとえ10回に1回しか勝てないような相手でも、その1回は絶対に勝ち切れ。それがファイト!ハードという意味だ」と続ける。
新しいシーズン、新しい学年のスタートということで、気分が高揚していたこともあるだろう。それぞれの幹部が短い言葉の中に、強い気持ちを込めて部員に語りかけていたのが印象に残った。
同時に、そういう幹部たちであっても、昨年のチームが勝てなかった相手に、自分たちはどうすれば勝てるのか、自分たちにどんなチームが作れるのか、という不安もあったに違いない。幹部だけが声を挙げても、周囲を巻き込まなければ成果が出ないと、これからのチーム作りを懸念する気持ちももちろんあるだろう。
そういう諸々をすべて抱き、包み込んで、ファイターズで活動するすべての部員が1915年、時の関西学院高等学部長(後に関西学院第4代院長)ベーツ氏によって提唱された「マスタリー・フォア・サービス」の道を歩み始めてほしい。それがこの日、お祈りで前島先生が説かれたこと、鳥内監督の「どんな人間になんねん」という問い掛けへの答えにつながる道だと僕は思っている。
その気持ちをより正確に表すために、関西学院が発行している冊子「輝く自由」に掲載されているベーツ先生の言葉、すなわち1915年に書かれた「私たちの校訓『マスタリー・フォア・サービス』」という文書の一部を紹介しておく。
「私たちは弱虫になることを望みません。私たちは強くあること、さまざまなことを自由に支配できる人(マスター)になることを目指します。マスターとは、知識を身につけ、チャンスを自らつかみ取り、自分自身を抑制できる、自分の欲、名誉や飲食や所有への思いを抑えることができる人です」
◇ ◇
今年も山岸主将を中心とした新しいチームがスタートしました。チームの胎動に合わせて昨年末から休載していたこのコラムも再開し、今年もチームの動向を追っていきます。引き続きのご愛読とファイターズへのご支援を心からお願いします。
(33)何を遺すか、何を引き継ぐか
投稿日時:2015/12/03(木) 20:22
先週木曜日の夕方、紀州・田辺市の新聞社から西宮市に戻り、第3フィールドでチームの練習を見ていたときのことである。急に腹部がけいれんし、激痛が走った。グラウンドが恐ろしく寒かったから、腹が冷えたのかと思ったが、別段、下痢の症状も出てこない。どうしたことかと思っているうち、痛みはさらにひどくなり、背中にまで広がってくる。
必死の思いで自宅に帰り、まずは風呂で体を温めたが、いっこうに症状は改善しない。脂汗は出る。痛みは広がる。耐え切れずに救急車を要請。生まれて初めて救急車で病院に搬送された。
救急病院に到着。担当医の診察、腹部のCT撮影などがあり、尿管結石と診断される。そのまま入院し、栄養剤と痛み止めの点滴を受けたが、激痛は一晩中続く。夜明けを待って、泌尿器科のある西宮中央病院に転院、そこでさらなる検査を受け、病状の説明を受ける。幸い、結石は小さく「1週間ほどで、自然に排出されるでしょう」とのこと。鎮痛剤で痛みを抑えて退院した。
週明けとともに職場に復帰。昨日(水曜日)の再診で「完治しています。何の問題もありません」という診断をいただいた。
その言葉に安心し、その足でグラウンドに出掛け、ようやくチームの練習を見学することができた。
不安、激痛、小康が交互に襲ってきたこの7日間。痛みが和らぐと、気にかかるのはチームのこと。関西リーグの最終決戦で立命に敗れたチームがどうなっているか。まだ1試合「東京ボウル」が残されているけど、モチベーションは保てているか。そんなことが気になって仕方なかった。
なんせ、この4年間、公式戦で学生相手には敗れたことのないチームである。それが関大戦では、キッキングチームがボコボコにされ、立命戦では相手の思い通りの試合展開を許してしまった。
もちろん、ファイターズも反撃して3点差まで追い上げ、見せ場は作った。さすがはファイターズと思ったが、内容的にみると「攻めきれない」「守りきれない」展開。加えて関大戦の後遺症か、キッキングチームは終始精彩を欠き、最後まで自分たちのペースに持ち込めないまま、試合が終わってしまった。
「もっとやれたはずだ」「あそこでなぜ、もっとチャレンジしなかったのか」と後悔の残る試合。明らかに実力の差があっての敗戦ならまだしも、戦いようによっては活路が開けた内容だっただけに、選手もスタッフも気持ちの整理が付いていないに違いない。そんな状態で、もう1試合、といわれても、その気になれるかどうか。僕はそれが気になって仕方なかった。だから、グラウンドに出て、選手やスタッフの表情を見てみたい、というのが切なる希望だった。
だが、病気がそれを許さない。痛みと闘いながら、悶々としていたとき、チームのスタッフが東京ボウルに寄せて、チームのホームページに次のような文言を書き込んでいるのを見つけた。
「2015 FIGHTERS ラストゲーム。目標の頂にはたどり着けなかった。だが、これまでの想いをぶつける機会を与えられた。何を遺すか、何を受け継ぐか。FIGHTERSの誇りをかけて」
誰が書き込んだのかは聞いていないけど、意味はよく分かる。ほっとした。チームは、敗戦という苦い汁を飲みながら、それでも戦おうとしている。「何を遺すか、何を受け継ぐか。誇りをかけて」という文言に、大いに勇気づけられた。
加えて11月27日に行われた「TOKYO BOWL」の記者会見の模様が伝えられた。
そこで鳥内監督は「ああいう形で立命に負けてしまった。4年生にとっては最後の試合になってしまうところだったが、ここにきてもう1試合やることができる。今年の集大成として臨みたい」と発言。橋本主将も「今年の関学がどんなチームだったかを見せるためにも、日大に勝って終わらなくてはアカン」と宣言している。
モチベーションの上げ方について、監督は「立命館に負けたことで最初はへこんでいたが、4年生を勝たせて終わりたいということで心配はない。今年のチームは発展途上。完成させて終わろうという話をした」ともいっている。
その通りである。発展途上のチームをしっかり仕上げて、ライバルとの試合に臨んでほしい。甲子園から東京ドームに続く道は絶たれたけれども、戦いを前に、モチベーションがどうの、敗戦のショックがどうの、なんていっている場合ではない。いまは目の前にいる相手に存分の戦いを見せるときだ。それが「何を遺すか、何を引き継ぐか」という問いに対する答えになる。
後に続く者への「伝言となる試合」を期待する。
必死の思いで自宅に帰り、まずは風呂で体を温めたが、いっこうに症状は改善しない。脂汗は出る。痛みは広がる。耐え切れずに救急車を要請。生まれて初めて救急車で病院に搬送された。
救急病院に到着。担当医の診察、腹部のCT撮影などがあり、尿管結石と診断される。そのまま入院し、栄養剤と痛み止めの点滴を受けたが、激痛は一晩中続く。夜明けを待って、泌尿器科のある西宮中央病院に転院、そこでさらなる検査を受け、病状の説明を受ける。幸い、結石は小さく「1週間ほどで、自然に排出されるでしょう」とのこと。鎮痛剤で痛みを抑えて退院した。
週明けとともに職場に復帰。昨日(水曜日)の再診で「完治しています。何の問題もありません」という診断をいただいた。
その言葉に安心し、その足でグラウンドに出掛け、ようやくチームの練習を見学することができた。
不安、激痛、小康が交互に襲ってきたこの7日間。痛みが和らぐと、気にかかるのはチームのこと。関西リーグの最終決戦で立命に敗れたチームがどうなっているか。まだ1試合「東京ボウル」が残されているけど、モチベーションは保てているか。そんなことが気になって仕方なかった。
なんせ、この4年間、公式戦で学生相手には敗れたことのないチームである。それが関大戦では、キッキングチームがボコボコにされ、立命戦では相手の思い通りの試合展開を許してしまった。
もちろん、ファイターズも反撃して3点差まで追い上げ、見せ場は作った。さすがはファイターズと思ったが、内容的にみると「攻めきれない」「守りきれない」展開。加えて関大戦の後遺症か、キッキングチームは終始精彩を欠き、最後まで自分たちのペースに持ち込めないまま、試合が終わってしまった。
「もっとやれたはずだ」「あそこでなぜ、もっとチャレンジしなかったのか」と後悔の残る試合。明らかに実力の差があっての敗戦ならまだしも、戦いようによっては活路が開けた内容だっただけに、選手もスタッフも気持ちの整理が付いていないに違いない。そんな状態で、もう1試合、といわれても、その気になれるかどうか。僕はそれが気になって仕方なかった。だから、グラウンドに出て、選手やスタッフの表情を見てみたい、というのが切なる希望だった。
だが、病気がそれを許さない。痛みと闘いながら、悶々としていたとき、チームのスタッフが東京ボウルに寄せて、チームのホームページに次のような文言を書き込んでいるのを見つけた。
「2015 FIGHTERS ラストゲーム。目標の頂にはたどり着けなかった。だが、これまでの想いをぶつける機会を与えられた。何を遺すか、何を受け継ぐか。FIGHTERSの誇りをかけて」
誰が書き込んだのかは聞いていないけど、意味はよく分かる。ほっとした。チームは、敗戦という苦い汁を飲みながら、それでも戦おうとしている。「何を遺すか、何を受け継ぐか。誇りをかけて」という文言に、大いに勇気づけられた。
加えて11月27日に行われた「TOKYO BOWL」の記者会見の模様が伝えられた。
そこで鳥内監督は「ああいう形で立命に負けてしまった。4年生にとっては最後の試合になってしまうところだったが、ここにきてもう1試合やることができる。今年の集大成として臨みたい」と発言。橋本主将も「今年の関学がどんなチームだったかを見せるためにも、日大に勝って終わらなくてはアカン」と宣言している。
モチベーションの上げ方について、監督は「立命館に負けたことで最初はへこんでいたが、4年生を勝たせて終わりたいということで心配はない。今年のチームは発展途上。完成させて終わろうという話をした」ともいっている。
その通りである。発展途上のチームをしっかり仕上げて、ライバルとの試合に臨んでほしい。甲子園から東京ドームに続く道は絶たれたけれども、戦いを前に、モチベーションがどうの、敗戦のショックがどうの、なんていっている場合ではない。いまは目の前にいる相手に存分の戦いを見せるときだ。それが「何を遺すか、何を引き継ぐか」という問いに対する答えになる。
後に続く者への「伝言となる試合」を期待する。
«前へ | 次へ» |