石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
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(3)シーズン初戦
投稿日時:2016/04/19(火) 09:25
16日午後2時8分、神戸市の王子スタジアムで2016年度ファイターズの初戦が「KGボウル」と銘打って始まった。対する相手は日本体育大学。新入生歓迎プログラムの一つとして開催された大学の行事である。
昨年11月22日、立命館大学に敗れ、そのまま長いオフを過ごしたチームがどんな戦い方を見せるのか。新たに戦力になりそうなメンバーは育っているか。思わぬけがをして長期のリハビリを続けてきた選手はどこまで回復しているか。昨季の悔しい戦いを経験した上級生たちは、その戦いを糧にリーダーシップを発揮しているか。見所は満載である。
シーズンが始まるまでの雌伏の期間、機会あるごとに第3フィールドを訪ね、寒風の中でチームの鍛錬を見守ってきた僕のような人間にとっても、初戦ともなれば気持ちが高ぶる。新しくチームを引っ張る立場になった4年生、それを補佐する3年生、さらには今年こそ1本目のメンバーになってやると気持ちを込めている2年生。それぞれに気合いの入ったキックオフになったに違いない。
ファイターズのキックで試合開始。K泉山の蹴ったボールはそのまま相手ゴールに飛び込み、タッチバックとなって相手陣25ヤードから日体大の攻撃。その第一プレーでDB小椋のビッグプレーが出る。まずはボールキャリアーに強烈なタックルを浴びせ、たまらずファンブルしたボールを拾い上げてそのまま20ヤードあまりをリターンする。いきなりのターンオーバーである。
思いがけずに巡ってきたファイターズ最初の攻撃はゴール前4ヤードから。RB山口がいとも簡単に中央を突破して先制点を挙げる。試合開始からわずか18秒の出来事である。
ファイターズの次の攻撃シリーズはパントに終わったが、そこで再び守備陣が見せ場を作る。自陣10ヤードから始まった日体大の攻撃は第3ダウン残り7ヤード。ここで相手QBが投じたパスをLB鳥内が絵に描いたようなインターセプト。再び相手ゴール前29ヤードという好位置で攻撃権を手にする。ここから山口のラン、WR松井、前田泰へのパスでゴール前9ヤード。ここは1年4カ月振りにグラウンドに戻ってきた4年生RB加藤が鮮やかなカットで中央を突破してTD。リードを広げる。
1Q終了間際、相手陣42ヤードから始まった次の攻撃シリーズも、RB山口がQB伊豆からのタイミングの乱れたパスをワンハンドキャッチ、そのまま40ヤードを独走して再びゴール前12ヤード。ここで伊豆がゴール左隅に浮かせたパスをWR松井が相手ディフェンス2人に競り勝って確保しTD。身長185センチ、バスケットボールを経験した選手ならではの見事なプレーだった。
勢いに乗るファイターズは第2Q中盤、RB高松の切れ切れのカットでTD。次の攻撃シリーズでも松井と小田の2年生WRが相次いでスーパーキャッチを見せて陣地を進め、残り4ヤードをRB北村が走り込んでTD。前半を33-0で折り返した。
しかし後半、攻守とも交代メンバーを投入するようになると、攻守ともにリズムが乱れる。両チームとも一進一退の攻撃を続け、互いに1本ずつTDを決めただけで試合終了。例年の初戦と同様、先発メンバーと交代メンバーの力の差をまざまざと見せられた試合となった。
試合後の監督や主力選手の談話がその間の事情を表現している。関学スポーツの記者たちによるインタビューからその言葉を拾ってみよう。
鳥内監督「いろいろな選手を試して見たくてチャンスを与えたが、収穫はゼロ。淡々と練習をやっているということだけは分かった。考えることがまだ全然できていない」
山岸主将「細かい部分にこだわってきたが、全然できていない。日ごろの練習で詰め切れていないからだ。ただ、下級生はよかった。去年試合に出ていないメンバーが結果を残したのは収穫」
石井主務「一番痛感したのは、リーダーが少ないこと。いまは言っているだけだし、やっているだけ」
岡本副将「今までの甘さが出た。すべてが準備不足。チームとして気持ちがゆるい」
松井副将「練習がそのまま出た。スキル面にも雰囲気にも課題が残る」
安田副将「準備不足が露呈した」
みんな辛口。まるで試合に負けた時のようなコメントである。表に現れた得点差とは関係なく、そこに至るプレーに納得がいかなかったのだろう。QB伊豆君の「まだまだ若い選手に試合の怖さを伝えられていない」という言葉にも、昨年、厳しい試合を戦い、一敗地にまみれた悔しさを体験した選手ならではの気持ちが現れている。
ではどうするのか。僕が20年近く懇意にしてもらってきた高校野球界でも知られた名監督は常々「チームの中でも一番レベルの低い部員が頑張った年は、いい成績を残してきた。例外はない」といっておられた。
試合に出るメンバーは9人でも、残りの30人、50人がそれぞれの役割を持ち、その役割を懸命に果たした時、チームの結束力は強くなり、結果として勝負にも勝てる。どうせ背番号はもらえない、試合にも出してもらえない、といって手抜きをするような部員が一人でもいたら、チームは内から崩れていく。そういう意味だった。
ファイターズに限って、そういうことはないと信じたい。けれども200人以上の部員がいる集団である。200人が200人の居場所を持ち、全員がその持ち場、役割を果たすことは容易ではない。その前に、全員のベクトルを「すべては勝利のために」と向けていく役割を誰が引き受けるのか。主将にお任せ、幹部にお任せでは済むはずがない。
高校野球界では、その名を知られた監督の言う「チームで一番レベルの低い部員」の出番である。
昨年11月22日、立命館大学に敗れ、そのまま長いオフを過ごしたチームがどんな戦い方を見せるのか。新たに戦力になりそうなメンバーは育っているか。思わぬけがをして長期のリハビリを続けてきた選手はどこまで回復しているか。昨季の悔しい戦いを経験した上級生たちは、その戦いを糧にリーダーシップを発揮しているか。見所は満載である。
シーズンが始まるまでの雌伏の期間、機会あるごとに第3フィールドを訪ね、寒風の中でチームの鍛錬を見守ってきた僕のような人間にとっても、初戦ともなれば気持ちが高ぶる。新しくチームを引っ張る立場になった4年生、それを補佐する3年生、さらには今年こそ1本目のメンバーになってやると気持ちを込めている2年生。それぞれに気合いの入ったキックオフになったに違いない。
ファイターズのキックで試合開始。K泉山の蹴ったボールはそのまま相手ゴールに飛び込み、タッチバックとなって相手陣25ヤードから日体大の攻撃。その第一プレーでDB小椋のビッグプレーが出る。まずはボールキャリアーに強烈なタックルを浴びせ、たまらずファンブルしたボールを拾い上げてそのまま20ヤードあまりをリターンする。いきなりのターンオーバーである。
思いがけずに巡ってきたファイターズ最初の攻撃はゴール前4ヤードから。RB山口がいとも簡単に中央を突破して先制点を挙げる。試合開始からわずか18秒の出来事である。
ファイターズの次の攻撃シリーズはパントに終わったが、そこで再び守備陣が見せ場を作る。自陣10ヤードから始まった日体大の攻撃は第3ダウン残り7ヤード。ここで相手QBが投じたパスをLB鳥内が絵に描いたようなインターセプト。再び相手ゴール前29ヤードという好位置で攻撃権を手にする。ここから山口のラン、WR松井、前田泰へのパスでゴール前9ヤード。ここは1年4カ月振りにグラウンドに戻ってきた4年生RB加藤が鮮やかなカットで中央を突破してTD。リードを広げる。
1Q終了間際、相手陣42ヤードから始まった次の攻撃シリーズも、RB山口がQB伊豆からのタイミングの乱れたパスをワンハンドキャッチ、そのまま40ヤードを独走して再びゴール前12ヤード。ここで伊豆がゴール左隅に浮かせたパスをWR松井が相手ディフェンス2人に競り勝って確保しTD。身長185センチ、バスケットボールを経験した選手ならではの見事なプレーだった。
勢いに乗るファイターズは第2Q中盤、RB高松の切れ切れのカットでTD。次の攻撃シリーズでも松井と小田の2年生WRが相次いでスーパーキャッチを見せて陣地を進め、残り4ヤードをRB北村が走り込んでTD。前半を33-0で折り返した。
しかし後半、攻守とも交代メンバーを投入するようになると、攻守ともにリズムが乱れる。両チームとも一進一退の攻撃を続け、互いに1本ずつTDを決めただけで試合終了。例年の初戦と同様、先発メンバーと交代メンバーの力の差をまざまざと見せられた試合となった。
試合後の監督や主力選手の談話がその間の事情を表現している。関学スポーツの記者たちによるインタビューからその言葉を拾ってみよう。
鳥内監督「いろいろな選手を試して見たくてチャンスを与えたが、収穫はゼロ。淡々と練習をやっているということだけは分かった。考えることがまだ全然できていない」
山岸主将「細かい部分にこだわってきたが、全然できていない。日ごろの練習で詰め切れていないからだ。ただ、下級生はよかった。去年試合に出ていないメンバーが結果を残したのは収穫」
石井主務「一番痛感したのは、リーダーが少ないこと。いまは言っているだけだし、やっているだけ」
岡本副将「今までの甘さが出た。すべてが準備不足。チームとして気持ちがゆるい」
松井副将「練習がそのまま出た。スキル面にも雰囲気にも課題が残る」
安田副将「準備不足が露呈した」
みんな辛口。まるで試合に負けた時のようなコメントである。表に現れた得点差とは関係なく、そこに至るプレーに納得がいかなかったのだろう。QB伊豆君の「まだまだ若い選手に試合の怖さを伝えられていない」という言葉にも、昨年、厳しい試合を戦い、一敗地にまみれた悔しさを体験した選手ならではの気持ちが現れている。
ではどうするのか。僕が20年近く懇意にしてもらってきた高校野球界でも知られた名監督は常々「チームの中でも一番レベルの低い部員が頑張った年は、いい成績を残してきた。例外はない」といっておられた。
試合に出るメンバーは9人でも、残りの30人、50人がそれぞれの役割を持ち、その役割を懸命に果たした時、チームの結束力は強くなり、結果として勝負にも勝てる。どうせ背番号はもらえない、試合にも出してもらえない、といって手抜きをするような部員が一人でもいたら、チームは内から崩れていく。そういう意味だった。
ファイターズに限って、そういうことはないと信じたい。けれども200人以上の部員がいる集団である。200人が200人の居場所を持ち、全員がその持ち場、役割を果たすことは容易ではない。その前に、全員のベクトルを「すべては勝利のために」と向けていく役割を誰が引き受けるのか。主将にお任せ、幹部にお任せでは済むはずがない。
高校野球界では、その名を知られた監督の言う「チームで一番レベルの低い部員」の出番である。
(2)4年間の総括
投稿日時:2016/04/09(土) 14:41
咲くのが遅かった今年の桜も、ようやく満開を過ぎ、昨日(金曜日)は散り染め。大学の正門に続く「学園花通り」の桜も、学内の桜も、盛んに花びらをまき散らせていた。
とりわけ見事だったのが日本庭園。周囲を建物に囲まれ、こぢんまりした場所にあるせいか、庭にも池にも散った花びらがびっしり。花筏(いかだ)とか、花の絨毯(じゅうたん)とかいう言葉がぴったりの素晴らしさだった。
桜が咲き、散って、新しいチームがスタートすると、当然のことに、昨年のチームを支えた4年生の姿は消える。けれども、彼、彼女たちは今年もまた、チームに大切なものを残してくれた。恒例の卒業文集である。選手として、スタッフとして、さらには高等部、中学部コーチとして、ファイターズで過ごした38人全員が自分の言葉で4年間を振り返り、総括してファイターズの現役生活を締めくくっている。
それぞれが魂のこもった文章である。いつも座右に置いて何度も何度も読ませていただいているが、それぞれの顔や行動を思い浮かべながら読むと、興味はひとしお。全員の分をそのままこのコラムで紹介したいところだが、あくまでもチーム内に限定した文集である。チームのメンバー以外には公開しないという原則で、それぞれの胸の内を思いっきり書き込んだ内容だから、僕が勝手に公開するわけにはいかない。
それでも、ファイターズというチームの真実を知っていただくためには、せめてこれだけは紹介させていただきたい、という文章がある。文集を編集された小野ディレクターの了解を得た上で、その中から二本のエッセンスを紹介させていただく。
一本目は、LB作道君、43番の「峠」。
「引退から数カ月たつ今でも『こうすればもっと上手くなれるな』『こうすればもっと面白いディフェンスが作れるな』というアイデアが浮かんでくる。それは後悔から生まれるわけでなく、ふと浮かんでくるという感じに近い。(略)これがファイターズの強さの核であり、一人前の男になるためのとても大事なことである」
と書き始め、
「チームの勝敗に責任を持って行動するからファイターズの4年なのだ」
「誰かがやってくれる、なんていう根拠のない希望にすがって、ただしんどいだけの1年間を送らないでほしい。自らがチームを率い、自らがチームを勝たせろ。きっと自分にしかできないことが見えてくる」
「昨年のシーズン、私には多くの反省はあれども後悔はない。もちろん君たちには勝ってほしい、ただそれ以上に後悔を持ってほしくはない。やり切ってほしい。そのためにも、目の前に『しんどい道』と『そうではない道』がある時、迷ってもいいから『しんどい道』を選んでほしい」
と結ぶ。
副将としてチームを引っ張ってきた人間にしか口にできない言葉である。「反省はあれども後悔はない」と言い切ったところに、彼がこのチームにかけたことの「重さ」が現れている。あえて「しんどい道を選べ」といい、「自らがチームを勝たせろ」と後輩に言い残したところにリーダーとしての責任感がうかがえる。
ちなみに「峠」というタイトルは「僕が好きな本のタイトル」とある。多分、司馬遼太郎の「峠」のことであろう。幕末、戊辰戦争で理不尽な攻撃を仕掛けてきた官軍に抗し、徹底的に戦った越後・長岡藩家老、河井継之助の生き方への共感が作道君をして「好きな本」といわせたのだろう。僕も同感である。彼が「しんどい道」を選んで苦闘しているときに、この話を知っていたら、互いに「河井継之助」を語り合い、大いに盛り上がれたのにと、いま思うと残念至極である。
本題に戻る。
二本目はRB山崎君、35番の「拝啓、最高の三流プレーヤー達へ」
これは、自らを「最高の三流プレーヤー」と称する山崎君の悔恨の文章であり、同時に蘇生(そせい)の報告である。彼はこんなことを書いている。
「最終学年になり、自分の役割を果たすことをせず、集中の切れていた私は心底滅入っていた(略)アメフットの練習もミーティングもすべて大嫌いだった」
しかし「シーズン終盤になり練習の中で高い満足感と喜びを感じる時間ができた。作道はじめLBとのフルタックルだ。あれは楽しかった。自分が相手を吹き飛ばすのが好きであったし、肉弾戦のあの衝撃や身体中からあふれ出る闘争心やアドレナリンにワクワクした。しかもこの練習はLBのスキルをより実戦的に、また飛躍的に向上させ、また自分の強みも磨かれており、それが試合に大きな効果をもたらしているという実感が得られた。なにより、この練習は自分にしかできないことという事実が私の自信となった」
「さらに言うならば、作道らLBが堕落した私を救い出してくれたといってもいいかもしれない。毎度、これはおまえにしかできない、といわれて嬉しかったし、そのおかげでどれだけボロボロになっても、アザだらけでも必ず引き受け、また自分からも申し込んだ」
この話の一端は、昨年11月2日「練習台のプライド」というタイトルでこのコラムでも紹介している。それを当人が自分の言葉で書いているのを読んで、僕には熱いものがこみ上げてきた。
たとえ、外部からみれば「三流のプレーヤー」「練習台」であっても、それは「最高の」三流であり練習台である。それが最高であり「おまえにしかできないこと」を成し遂げることによって、チームは強くなり、自身も充実感が得られる。それこそがファイターズの目指す課外活動であると心から同意したからである。
200人もの部員が活動するファイターズでは、それぞれの構成員がいつも光を浴びるわけではない。面白くない、辞めたいという人間も必ず出てくる。けれども、山崎君のように、どこかに自分の役割を見つけ、ボロボロになってもアザだらけになっても、その役割を果たす人間も出てくる。そこがファイターズがファイターズである由縁であろう。それを自分にしか書けない言葉で表現していることに感動したからである。
甲子園ボウルで勝って日本一を達成した年の卒業文集もいいが、一歩及ばず敗れた年の文集はさらに素晴らしい。珠玉という言葉がぴったりの、作道君と山崎君の文章を読み返していると、つらい敗戦のショックが薄れてくる。明日への希望が湧いてくる。新しいシーズンへの期待が高まってくる。
とりわけ見事だったのが日本庭園。周囲を建物に囲まれ、こぢんまりした場所にあるせいか、庭にも池にも散った花びらがびっしり。花筏(いかだ)とか、花の絨毯(じゅうたん)とかいう言葉がぴったりの素晴らしさだった。
桜が咲き、散って、新しいチームがスタートすると、当然のことに、昨年のチームを支えた4年生の姿は消える。けれども、彼、彼女たちは今年もまた、チームに大切なものを残してくれた。恒例の卒業文集である。選手として、スタッフとして、さらには高等部、中学部コーチとして、ファイターズで過ごした38人全員が自分の言葉で4年間を振り返り、総括してファイターズの現役生活を締めくくっている。
それぞれが魂のこもった文章である。いつも座右に置いて何度も何度も読ませていただいているが、それぞれの顔や行動を思い浮かべながら読むと、興味はひとしお。全員の分をそのままこのコラムで紹介したいところだが、あくまでもチーム内に限定した文集である。チームのメンバー以外には公開しないという原則で、それぞれの胸の内を思いっきり書き込んだ内容だから、僕が勝手に公開するわけにはいかない。
それでも、ファイターズというチームの真実を知っていただくためには、せめてこれだけは紹介させていただきたい、という文章がある。文集を編集された小野ディレクターの了解を得た上で、その中から二本のエッセンスを紹介させていただく。
一本目は、LB作道君、43番の「峠」。
「引退から数カ月たつ今でも『こうすればもっと上手くなれるな』『こうすればもっと面白いディフェンスが作れるな』というアイデアが浮かんでくる。それは後悔から生まれるわけでなく、ふと浮かんでくるという感じに近い。(略)これがファイターズの強さの核であり、一人前の男になるためのとても大事なことである」
と書き始め、
「チームの勝敗に責任を持って行動するからファイターズの4年なのだ」
「誰かがやってくれる、なんていう根拠のない希望にすがって、ただしんどいだけの1年間を送らないでほしい。自らがチームを率い、自らがチームを勝たせろ。きっと自分にしかできないことが見えてくる」
「昨年のシーズン、私には多くの反省はあれども後悔はない。もちろん君たちには勝ってほしい、ただそれ以上に後悔を持ってほしくはない。やり切ってほしい。そのためにも、目の前に『しんどい道』と『そうではない道』がある時、迷ってもいいから『しんどい道』を選んでほしい」
と結ぶ。
副将としてチームを引っ張ってきた人間にしか口にできない言葉である。「反省はあれども後悔はない」と言い切ったところに、彼がこのチームにかけたことの「重さ」が現れている。あえて「しんどい道を選べ」といい、「自らがチームを勝たせろ」と後輩に言い残したところにリーダーとしての責任感がうかがえる。
ちなみに「峠」というタイトルは「僕が好きな本のタイトル」とある。多分、司馬遼太郎の「峠」のことであろう。幕末、戊辰戦争で理不尽な攻撃を仕掛けてきた官軍に抗し、徹底的に戦った越後・長岡藩家老、河井継之助の生き方への共感が作道君をして「好きな本」といわせたのだろう。僕も同感である。彼が「しんどい道」を選んで苦闘しているときに、この話を知っていたら、互いに「河井継之助」を語り合い、大いに盛り上がれたのにと、いま思うと残念至極である。
本題に戻る。
二本目はRB山崎君、35番の「拝啓、最高の三流プレーヤー達へ」
これは、自らを「最高の三流プレーヤー」と称する山崎君の悔恨の文章であり、同時に蘇生(そせい)の報告である。彼はこんなことを書いている。
「最終学年になり、自分の役割を果たすことをせず、集中の切れていた私は心底滅入っていた(略)アメフットの練習もミーティングもすべて大嫌いだった」
しかし「シーズン終盤になり練習の中で高い満足感と喜びを感じる時間ができた。作道はじめLBとのフルタックルだ。あれは楽しかった。自分が相手を吹き飛ばすのが好きであったし、肉弾戦のあの衝撃や身体中からあふれ出る闘争心やアドレナリンにワクワクした。しかもこの練習はLBのスキルをより実戦的に、また飛躍的に向上させ、また自分の強みも磨かれており、それが試合に大きな効果をもたらしているという実感が得られた。なにより、この練習は自分にしかできないことという事実が私の自信となった」
「さらに言うならば、作道らLBが堕落した私を救い出してくれたといってもいいかもしれない。毎度、これはおまえにしかできない、といわれて嬉しかったし、そのおかげでどれだけボロボロになっても、アザだらけでも必ず引き受け、また自分からも申し込んだ」
この話の一端は、昨年11月2日「練習台のプライド」というタイトルでこのコラムでも紹介している。それを当人が自分の言葉で書いているのを読んで、僕には熱いものがこみ上げてきた。
たとえ、外部からみれば「三流のプレーヤー」「練習台」であっても、それは「最高の」三流であり練習台である。それが最高であり「おまえにしかできないこと」を成し遂げることによって、チームは強くなり、自身も充実感が得られる。それこそがファイターズの目指す課外活動であると心から同意したからである。
200人もの部員が活動するファイターズでは、それぞれの構成員がいつも光を浴びるわけではない。面白くない、辞めたいという人間も必ず出てくる。けれども、山崎君のように、どこかに自分の役割を見つけ、ボロボロになってもアザだらけになっても、その役割を果たす人間も出てくる。そこがファイターズがファイターズである由縁であろう。それを自分にしか書けない言葉で表現していることに感動したからである。
甲子園ボウルで勝って日本一を達成した年の卒業文集もいいが、一歩及ばず敗れた年の文集はさらに素晴らしい。珠玉という言葉がぴったりの、作道君と山崎君の文章を読み返していると、つらい敗戦のショックが薄れてくる。明日への希望が湧いてくる。新しいシーズンへの期待が高まってくる。
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