石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2012/5

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(7)常住坐臥の心構え

投稿日時:2012/05/19(土) 10:50

 このところ、週末ごとに試合がある。秋のリーグ戦は2週間に1回だが、それでも試合が終わればすぐに次の準備に追われる。時間がいくらあっても足りない状況だ。それが毎週ということになれば、選手やスタッフにとっては、その準備や運営に振り回される毎日だといっても過言ではなかろう。
 しかし、それでも毎週、試合のスケジュールは組み込んでいかなければならない。本気で向かってくる対戦相手と、本気で向き合うことで、自らの弱さを知り、また自分の力が思い通りに伸びていることを実感できるからだ。ここ一番というプレーを成功させることで自信をつけ、失敗することで自らの至らなさを実感する。そんな機会は、日ごろ仲間内で重ねている練習ではなかなか得られない。
 とりわけ、試合経験の少ない下級生にとっては、どんなに少ない出場機会であっても、試合に出てプレーをすることが最高の練習になる。日ごろの練習でできていることが試合でもできるか。相手が本気になってぶつかってきたときに、それを跳ね返せるか。相手のスピードにどこまで対抗できるか。仲間が失敗したときにそれをどうカバーするか。試したいことはいっぱいある。
 かといって、毎週末に対戦する相手に備えた練習だけを意識していたら、基礎的な技術の習得や体力作りの時間が足りなくなる。ミーティングの時間も必要だし、大学生だから授業にも出なければならない。もちろん、休息の時間を確保することは大切だし、栄養も適切に補給する必要がある。さもないと、体力作りもままならない。
 そういう「どれだけ時間があっても足りないような毎日」だからこそ、チームとしても、一人一人の部員にとっても、日ごろの心構え、取り組みが大切になる。グラウンドでチームの練習に参加しているときだけではなく、常住坐臥、生きているこの一瞬一瞬が自らを鍛える大切な時間となるのである。
 江戸後期に活躍した平山行蔵(1759~1829)という武士がいる。剣術、槍術、柔術、弓術、馬術から大砲を撃つ術や水泳まで、あらゆる武芸に堪能で、儒学や兵法、農政から土木事業にまで通じていたという化け物のような人物である。道場の玄関に「他流試合勝手次第なり。飛び道具矢玉にても苦しからず」と書いていたというから、自分の技量には絶対の自信を持っていたのだろう。
 体は当時としても小柄だったというから、多分、160センチにも達していなかったのではないか。
 それでも、数え13、14歳ぐらいの時には土を詰めた俵(約60キロ)を担ぎ上げて両親を喜ばせた。中年の頃には、相撲界で一番の怪力とうたわれた大関・雷電が来訪。力比べを挑んできたときに、雷電が手に持つだけでやっとだった大筒を簡単に持ち上げたり、3度、互いに胸板を押し合い、3度とも相手を圧倒したりして「武士は違い候」と屈服させたエピソードがある。
 この人の鍛え方がすさまじい。例えば「不断は朝起きして、幹周り3尺ばかりの立木を相手に8尺ばかりの樫の棒にて百遍づつ打たれ、その音で近所の人たちが起床した」とか「書物を読むときには、2尺四方の槻の木(ケヤキ)の板に座り、両方の拳をその板に打ち付けながら読む。そうして拳を鍛えた」という。
 さらに、食事は玄米に味噌をつけて食べるだけ、着物は冬でも薄っぺらな袷(あわせ)一枚、足袋もはかなかった。寝るときも60歳を過ぎるまでは夜具を持たず、甲冑のまま土間に寝た。すべてはいざというときの備えであり、武士としての心構えだったという。
 「夜具を持たず、土間に寝ている」という話に付随して、こんなエピソードも伝えられている。彼をひいきにしている老中、松平定信公があるとき、この話を当人に確認した上で、ならば布団を贈ろう、といってプレゼントしてくれたため、ようやく夜分は布団を掛けて寝るようになったが、それでも「初めの内は夜分、気味悪く候ひしが、慣れ候故か、次第に年寄る故か、いまは温かにしてよしと語られける」と語ったそうだ。
 これらの話の多くは、平山のもとに親しく出入りしていた勝海舟の父、勝小吉が「平子龍先生遺事」(平凡社ライブラリー「夢粋独言」所収)という著書に「先生から直接聞いた話」として書き残している。
 以上、常住坐臥、日ごろの心構えが大切、という話である。ファイターズの諸君にあっても、何かと参考になるのではないか。
 グラウンドで練習している時間だけが自分を鍛える時間ではない。朝起きてから夜寝るまで、あらゆる機会を捉えて自らを鍛え、高めて行く。その成果を試合で確かめ、それを成長の糧にしていく。そういう舞台として、試合を位置づけていけば、毎試合「大漁」が期待できる。毎週の連戦を、収穫の場、試練の場として生かしてもらいたい。
 今日も昼から日体大との対戦。かねてから期待している選手たち、とくに試合経験の少ない2年生が素晴らしいパフォーマンスを見せてくれそうな予感がする。楽しみだ。

(6)背中で勝負

投稿日時:2012/05/12(土) 14:34

 新聞社で若い人たちと仕事をしていると、折りにふれて「人を育てるのは難しい」と実感する。
 読者がすらすら読める文章が書けない。これはニュースだ、と思うようなことでも、即座に反応しない。怒るべき時に怒らない。読者と喜怒哀楽をともにする感受性がない。何より向上心がない。
 こう書くと、ろくでもない怠け者ばかりのように誤解されるかもしれないが、その実像に接すると、決してそんなことはない。みんな人間としてはいい子ばかり。日常の会話をしていても、いやな気持ちになることがない。取材相手にもかわいがられていることは、彼らの書いてくる原稿からも伺える。
 だが、新聞記者を45年も続けて、それなりにこの仕事に愛着と誇り、自負と自信を持っている人間の基準で見ると、足りないことばかりである。「新聞記者というより、人間として必要なのは向上心。昨日より今日、今日より明日。一歩でも半歩でも前に進むように努力することが肝心」「努力の成果はなかなか目には見えない。でも、そこであきらめたらおしまい。懸命に足を動かし続けていたら、ある日突然、一段上の景色が見えるようになる。ある日気がつけば、こんなに高いところまで登ってきたんだ、と実感できる時が必ずある」というようなことを話し続け、懸命に激励しているのだが、それがなかなか通じない。
 入社して間もない記者はそれほどでもない。昨日できなかったことが今日はできるようになった、1カ月前には2時間もかかった原稿がいまは1時間で書けるようになった、と成長を実感する機会が多いからだろう。人は、自らの成長の手応えをエネルギーにして、さらに成長していく。
 ところが、それなりに仕事を覚えてきたと自分なりに安心している中堅からベテランにかけての記者たちになるとそうはいかない。気持ちでは懸命に仕事に取り組んでいるのだが、その成果がなかなか実感できない。逆に、手を抜いた取材でも、そこそこの記事は書ける。その結果、努力してもしなくても、結局は同じこと、と思うようになったとしても不思議ではない。
 僕の目から見れば、今日は昨日の続きでよし、としている記者と、今日は昨日より一段上の記事が書きたいと思って努力する記者の差は歴然としているのだが、幸か不幸か、その成果は即座には現れない。だから、よほど心してかからないと、昨日の続きでよしとする気分が蔓延する。その結果、職場全体を怠惰な雰囲気が支配し、気がつけば、手の施しようがなくなってしまう。
 そういう事態に陥らないように、老骨にむち打って「人間は成長が命。昨日より今日、今日より明日、という気持ちだ何より大切」と、若い人たちを励ましているのだが、なかなか成果につながらない。他者が「励ます」だけでなく、本人の内部からふつふつと「やる気」が出てこない限り、向上心を喚起させることにはならないのだろう。
 大阪に「やる気とお日さんは出すもんやない。出てくるもんや」という言い方がある。「明日はやったる」「今度こそがんばろう」と自分に言い聞かせているうちは本物ではない。「やる気はあって当たり前」「がんばるのは標準」。それを意識せず、周囲からあれこれいわれる前に、自主的に課題に取り組めるようになって初めて成果につながる、という感覚を表現したものだろう。僕はこの言い回しが気に入っている。
 職場の話から、とりとめもないことをだらだらと書いてきたが、ここからが本題である。ファイターズの諸君も「やる気があって当たり前」「がんばるのは標準」という感覚を是非とも身につけてほしい。コーチや上級生にいわれて「やらされる」のではなく、自らが「俺がやる」「男は黙って、背中で勝負」という感覚で練習に取り組み、試合で力を発揮するのである。
 実際、春からの練習や試合を見ていると、そういう「背中で勝負」という姿を見せている上級生が何人か存在する。WRの南本、小山、LBの川端……。決して口数は多くないが、彼らの見せる一つ一つのパフォーマンスから、今季にかける「気持ち」が伝わってくる。そういう選手をお手本に、それぞれの構成員が自らのやる気を引き出してほしい。
 いまは少数かもしれないが、彼らが特別の存在ではなく「ファイターズの標準」になったとき、このチームは「えげつないチーム」に成長を遂げるに違いない。
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