石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」 2008/11

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(26)月の兎

投稿日時:2008/11/13(木) 22:09

 忙しい。毎年のことだが、この時期はやたらと仕事が立て込んでくる。月曜から木曜までは本業の新聞社だが、年末進行で日ごとに仕事が増えてくる。金曜日には大学の授業、先週からは土曜日にも就職試験対策の特別講座がスタートした。日曜日はボランティア活動で有馬温泉の「朝市」に協力、紀州ミカンの売り子をしている。
 追い打ちをかけるように、役員を務めている野球関係の会議が今月は3日もある。会議そのものは1時間か2時間だが、和歌山県の田辺市から大阪市内の事務局まで往復すると1日がかりだ。夜は夜で、学生たちに書かせた小論文の添削(これが僕の授業の売り物)や採点をしなければならないから、遊びに出ることなど思いもつかない。
 体がいくつあっても足りない毎日だが、ここまで追いつめられてくると、逆に目の前の仕事から逃げ出して本が読みたくなる。中学や高校のころ、定期試験が迫ってくると、決まって読書に逃げ込んでいたときの記憶が、半世紀を過ぎても体に染みついるようで、われながらあきれてしまう。
 先日、中野孝次氏の「良寛 心のうた」(講談社+α新書)を読んでいたら、そこに良寛の「月の兎」という詩が紹介されていた。次のような内容である。
……遠い昔、あるところに猿と兎と狐がいて仲良く遊んでいた。その仲の良さを聞いた帝釈天が3匹の真実を知ろうと思い立たれ、よぼよぼの老人の姿に姿を変えて3匹の前に表れて「君たちは種族が違うのに、いつも仲良く遊んでいると聞いた。まことにその通りなら、この老人の飢えを救ってくれ」といった。
 そんなのはおやすいご用だといって、猿は近くの林から木の実をどっさり拾ってきた。狐は川から魚をいっぱいくわえてきた。ところが兎はぴょんぴょん跳びはねるばかりで、何も手にすることはできなかった。
 「君はあかんたれだな」と老人にののしられた兎は考えを定めて「猿は柴を刈ってきてくれ、狐はそれで火をおこしてくれ」といった。猿と狐が言われたとおりにすると、兎はその炎の中に身を投じ、見知らぬ老人に我が身を焼いて与えた。
 老人はこれを見て大いに嘆き悲しみ、天を仰いでうち泣き、地に倒れて胸を叩きながら「なんじら3人の友達はいずれが劣るということはないが、兎はことに心が優しい」と申され、兎の死骸を抱えて月の宮に葬られた。いまになっても、満月に兎の形がうっすらと見えるのは、その昔に、こういうことがあったからだよ……。
 これは、今昔物語集巻五の「三の獣菩薩の道を行じ、兎身を焼く話、第13」にある話が原型で、作者は「良寛はこの兎の自己犠牲に仏道の大慈悲の理想を見ていたに違いない」と評している。
 僕の感想は、そういう高尚なことではなく「仲良く遊んでいる3匹の心を試そうとする天の仏様って意地悪だな」「そんなおせっかいをしなかったら、兎も死なずにすんだのに」という俗っぽいものである。というのは冗談で、僕のような俗物にも「人が生きるとはどういうことか」「この世に生を受けた意味とは」というようなことについて、真面目に考える機会を与えてくれる詩である。
 ファイターズの諸君にとっても、心を揺さぶられる話であるにちがいない。いま、まさに決戦のとき。巨大な岩のように立ちはだかる強敵を相手に、猿の役割を果たすのはだれか。狐の仕事はだれが引き受けるのか。そして、わが身を焼いてまでチームに尽くす兎は、だれとだれか。
 今夜は満月。晩秋の澄み切った空に、まん丸い月が上がっている。兎の姿もよく見える。その兎になるのは、果たしてだれなのか。
 チームのために、仲間のために、なによりも自分自身のプライドをかけて戦おう。決戦の日は目の前である。まずは15日の関大戦。それを突破して、次は立命との戦いである。しっかり準備をして、存分に力を発揮しようではないか。

(25)キーワードは集中

投稿日時:2008/11/05(水) 09:16

 11月1日の西京極陸上競技場は晴れ。日は照っても、日差しは柔らかく、緑の芝生も少々色があせ始めている。公園の木々は赤や黄に色づき始め、吹く風が冷たい。
 晩秋。京都のまちは、冬支度を始めるこの時季が一番美しい。新聞社の京都支局に勤務していたときに3年間、このまちに住んでいたが、そのころはこの時季になると、愛用の自転車に乗って、大原や嵐山、嵯峨野や東山、果ては鞍馬の奥、京北町のあたりまで走り回った。どこに立ち寄っても、魅力的な景色が広がり、その光景を眺めながら、しみじみと季節の移ろいを味わった。もう20年近く前のことである。
 ファイターズにとってこの時季は、宿敵・京大との決戦の時である。しかし、このグラウンドには、あまりよい思い出がない。4年前。せっかく立命を倒しながら、ここで京大に足元をすくわれた。2年前。試合途中から冷たい北山しぐれがたたきつけ、手が凍えてメモが取れずに難儀した。急きょファイターズのグッズ売り場に走ってフリースの手袋を買い、震えながらメモをとったことを思い出す。
 しかし、この日のファイターズは、そんないやな思い出を一気に払拭してくれた。キーワードで言えば「集中」。グラウンドに立つファイターズの全員が、すべてのプレーに集中して、見事なパフォーマンスを見せてくれたのである。
 例えば、自陣20ヤード付近から始まったファイターズの最初の攻撃シリーズ。第1プレーはQB加納が確信を持った走りで中央を突破し16ヤード前進。ダウンを更新した最初のプレーではRB浅谷が果敢に中央を突いて5ヤードを稼ぐ。第3ダウン。加納が一度小さなフェイクを入れて右サイドに投じたパスをWR萬代が俊足を飛ばしてキャッチ、そのままエンドゾーンまで59ヤードを走り切って先制のタッチダウン(TD)。投げる方も受ける方も、一つのボールに気持ちを集中した見事なプレーだった。
 まだある。2本目のTDを挙げたシリーズの集中力も光った。自陣44ヤードからの攻撃は、加納からTE垣内へのパス、浅谷やRB稲毛のランなどで、あっという間にゴール前21ヤード。ここで手痛い反則があり、第3ダウン10ヤードという状況に追い込まれたが、加納がWR松原に10ヤードのパスを通した。ダウンが更新できたかどうか微妙な距離だったが、松原が倒れ際に思いっきり体を伸ばしたのが奏功。ぎりぎりで次の攻撃につなげた。残る11ヤードからの攻撃も垣内のパスキャッチ、WR太田のランでダウン更新につなげ、最後は稲毛が中央のダイブプレーでTD。この間、ボールを手にしたプレーヤーのすべてが、相手の厳しいタックルにもめげず、相手ゴールに向かって倒れた。相手の執念を上回る執念を見せ、集中心をプレーで表現したのである。今季のこれまでの4試合には見られなかった集中力だった。
 守備陣はもっとすごかった。
 主将・早川を中心に、平澤、村上らDB並みのスピードを持ったラインが相手ラインを次々に突破、中央のランプレーをことごとく封じ込む。大げさに言えば、ボールがスナップされた瞬間に、相手OLの一角を突き崩しているというほどの素早さである。
 こうなると2列目、3列目の守りにも余裕が出る。LB深川、DB徳井らが次々に強烈なタックルを見舞う。スピード豊かな2年生DB善元、三木らも負けじと相手のボールキャリアーを追いつめる。前半、攻撃がやや手詰まりになったときに連続した三木のインターセプトも、徳井のパントブロックも、彼らが常に集中力を切らさずにプレーしてきたたまものである。
 後半になると、さらにビッグプレーが飛び出す。第4Q1分24秒、中央から割って入った深川の強烈なタックルを受けた相手QBが落としたボールをDL川島が素早く拾い、そのままエンドゾーンまで64ヤードを独走してTD。続いて第4Q7分46秒、自陣15ヤードで相手パスをインターセプトしたLB吉井優哉がそのまま85ヤードを走り切ってTD。ともに、相手の動きから一瞬たりとも目を離さない集中力がもたらせたビッグプレーだった。
 特筆すべきは、二人が独走したとき、ともに周囲をファイターズの白いユニフォームが包み込み、京大の選手が入れないようにブロックしていたこと。これもまた、グラウンドに出ているすべての選手がそのプレーに集中していたことの証明である。
 最終盤、この試合では初めて登場した1年生DB香山が、最初のプレーで相手のはじいたパスを反応よくインターセプトした。これもまた、ボールに対する集中力があったからこそである。一つひとつのプレーに集中するチームの雰囲気が、1年生までを巻き込み、好結果を生み出したのである。こういう集中力を持ってチームのみんなが戦う限り、強敵・立命とも対等に渡り合えるはずだ。
 試合後、グラウンドを引き揚げる鳥内監督に「いい試合でしたね」と声をかけた。返ってきた答えは「たまたまですよ」。相変わらず素っ気ない感想だったが、表情はゆるんでいた。この日の試合で、ようやく立命と戦える資格を得たという手応えがあったからだろう。僕はそう受け止めている。
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