石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
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(5)伝統の戦い
投稿日時:2017/05/02(火) 09:10
4月30日は日大との定期戦。今年で50回目を迎えるライバルとの戦いが「フラワーボウル」と名付けて神戸・王子スタジアムで開催された。
天気は晴れ。気温は20度以上に上がっている。競技場を取り巻く樹木が鮮やかな新芽を伸ばし、日の光にきらめいている。「薫風」という言葉を絵に描いたような爽やかな風が吹く。絶好の観戦日和である。
ファイターズがコイントスに勝ったが、先攻の権利を放棄し、風上からの攻撃を選択して試合開始。赤と青の対決が始まる。
近年は甲子園ボウルで対戦する機会も減り、現役の学生にとっては「特別の相手」という意識は薄いようだが、古いOBにとっては永遠のライバル。春の定期戦、秋の甲子園ボウルと激戦を繰り広げ、数え切れないほどの名場面を残してきた相手である。篠竹監督という個性の際だった指導者の下で、恐ろしいほどの運動能力を持った選手たちが縦横に走り回った過去の場面が脳裏に浮かぶ。日大が甲子園ボウルで5連覇した当時は、試合が始まって10分もすれば、もう勝敗の行方が見えてしまったこともあった。当時一緒に観戦した仲間と「対等に戦えるのは、試合前の校歌を歌うまでやな」と嘆きあったことが昨日の出来事のように浮かんでくる。
例えば鳥内監督が現役だった4年間の甲子園ボウルのスコアを見れば、1年生から順に7-63、0-48、7-42、31-42。監督も2年後輩の小野ディレクターも、ともに一度も甲子園ボウルで勝ったことのない学年という十字架を背負い、その悔しい思いを背景に後輩たちの指導に全力を尽くされてきたということは、機会あるごとに聞かされてきた。
そんな監督が試合前、選手達にこんなことを話されたそうだ。
「いまの現役は、日大といっても特別の意識はないけど、OBにとっては特別の思いのある相手。ちゃんとした試合をせんかったらOBに失礼や。オレが代わりに出たろか、とかいわれんように、ちゃんとやれ」
似たような話は、場内のFM放送で試合の解説を担当された小野ディレクターも試合前に振り返られていた。なんせ4年生の春の定期戦、28-19で勝ったのが対日大戦、唯一の勝利というのだから、その苦い思い出は察するに余りある。
そういうOBたちの思いを乗せて始まった50回目の対戦。しかし、新しいシーズンが始まってすぐの試合とあって、両チームともまだまだという場面が相次ぐ。個々の選手には才能を感じさせるプレーが見られるのだが、チームとしての完成度は互いに今ひとつ。日大はパスプレーの精度に難があり、ファイターズの攻撃ラインも再三、相手守備陣に割られ、QBを孤立させる。
それでもチームとしてのまとまりに一日の長があるファイターズは、QB光藤が学生界では群を抜いているレシーバー陣に的確にパスを通し、徐々にゲームの主導権を奪っていく。第2Q10分3秒、ゴール前2ヤードからの攻撃を執拗にランプレーで攻め抜き、3度目にRB山本が中央を突破してTD。K小川のキックも決まって7-0と主導権を握る。
続く相手の攻撃を守備陣が完封すると、今度はWR前田へのパスで陣地を進め、ゴール前34ヤードからWR松井へのTDパス。これを松井が体を反転させながら見事にキャッチしてTD。続く日大の攻撃はDB木村がインターセプトで食い止め、攻守交代。前半残り時間17秒、相手陣28ヤード。今度は光藤がWR亀山へのパスを一発で決めてTD。わずか2分ほどの間に、3本のTDを決め20-0で前半を折り返す。
こうなると相手は焦る。逆にファイターズは余裕をもって試合を進める。後半も終始ファイターズペースで進み、途中から攻守ともに交代メンバーを次々に投入する。終わって見れば36-6。得点差を見れば、ファイターズの圧勝だった。
しかし、その内容はどうだったか。KGスポーツが伝える試合後のインタビューを見ると、そうそうお気楽な内容ではなかったことが伝わってくる。
「下級生のミスを自分のミスと思い、次の2週間も取り組んでいく」(主務・三木君)
「よいところも悪いところもしっかり出た試合。相手の自滅で勝てたようなもの」(副将・藤木君)
「勝てたことより、内容が全然ダメ」(副将・松本君)
先制のTDを決めた4年生RB山本君は「残り2ヤードから3本連続で同じプレーが続いた。4年生として意地でも決める場面だった。あそこで決めないと秋は勝てない。個人としても、オフェンスとしてもランで勝たせる試合をもっと詰めていきたい」
こうした談話を並べて行くと、スタンドからとやかくいうことはない。チームを率いる幹部たちが現状の厳しさを十分に自覚しているのだから、あとはその言葉を普段の練習で個々の選手の成長につなげていくだけだ。気候もよし。学校の授業も軌道に乗ってきた。あとは部員一人一人が工夫と努力を重ね、チーム全体の底上げにつなげていくことだ。
天気は晴れ。気温は20度以上に上がっている。競技場を取り巻く樹木が鮮やかな新芽を伸ばし、日の光にきらめいている。「薫風」という言葉を絵に描いたような爽やかな風が吹く。絶好の観戦日和である。
ファイターズがコイントスに勝ったが、先攻の権利を放棄し、風上からの攻撃を選択して試合開始。赤と青の対決が始まる。
近年は甲子園ボウルで対戦する機会も減り、現役の学生にとっては「特別の相手」という意識は薄いようだが、古いOBにとっては永遠のライバル。春の定期戦、秋の甲子園ボウルと激戦を繰り広げ、数え切れないほどの名場面を残してきた相手である。篠竹監督という個性の際だった指導者の下で、恐ろしいほどの運動能力を持った選手たちが縦横に走り回った過去の場面が脳裏に浮かぶ。日大が甲子園ボウルで5連覇した当時は、試合が始まって10分もすれば、もう勝敗の行方が見えてしまったこともあった。当時一緒に観戦した仲間と「対等に戦えるのは、試合前の校歌を歌うまでやな」と嘆きあったことが昨日の出来事のように浮かんでくる。
例えば鳥内監督が現役だった4年間の甲子園ボウルのスコアを見れば、1年生から順に7-63、0-48、7-42、31-42。監督も2年後輩の小野ディレクターも、ともに一度も甲子園ボウルで勝ったことのない学年という十字架を背負い、その悔しい思いを背景に後輩たちの指導に全力を尽くされてきたということは、機会あるごとに聞かされてきた。
そんな監督が試合前、選手達にこんなことを話されたそうだ。
「いまの現役は、日大といっても特別の意識はないけど、OBにとっては特別の思いのある相手。ちゃんとした試合をせんかったらOBに失礼や。オレが代わりに出たろか、とかいわれんように、ちゃんとやれ」
似たような話は、場内のFM放送で試合の解説を担当された小野ディレクターも試合前に振り返られていた。なんせ4年生の春の定期戦、28-19で勝ったのが対日大戦、唯一の勝利というのだから、その苦い思い出は察するに余りある。
そういうOBたちの思いを乗せて始まった50回目の対戦。しかし、新しいシーズンが始まってすぐの試合とあって、両チームともまだまだという場面が相次ぐ。個々の選手には才能を感じさせるプレーが見られるのだが、チームとしての完成度は互いに今ひとつ。日大はパスプレーの精度に難があり、ファイターズの攻撃ラインも再三、相手守備陣に割られ、QBを孤立させる。
それでもチームとしてのまとまりに一日の長があるファイターズは、QB光藤が学生界では群を抜いているレシーバー陣に的確にパスを通し、徐々にゲームの主導権を奪っていく。第2Q10分3秒、ゴール前2ヤードからの攻撃を執拗にランプレーで攻め抜き、3度目にRB山本が中央を突破してTD。K小川のキックも決まって7-0と主導権を握る。
続く相手の攻撃を守備陣が完封すると、今度はWR前田へのパスで陣地を進め、ゴール前34ヤードからWR松井へのTDパス。これを松井が体を反転させながら見事にキャッチしてTD。続く日大の攻撃はDB木村がインターセプトで食い止め、攻守交代。前半残り時間17秒、相手陣28ヤード。今度は光藤がWR亀山へのパスを一発で決めてTD。わずか2分ほどの間に、3本のTDを決め20-0で前半を折り返す。
こうなると相手は焦る。逆にファイターズは余裕をもって試合を進める。後半も終始ファイターズペースで進み、途中から攻守ともに交代メンバーを次々に投入する。終わって見れば36-6。得点差を見れば、ファイターズの圧勝だった。
しかし、その内容はどうだったか。KGスポーツが伝える試合後のインタビューを見ると、そうそうお気楽な内容ではなかったことが伝わってくる。
「下級生のミスを自分のミスと思い、次の2週間も取り組んでいく」(主務・三木君)
「よいところも悪いところもしっかり出た試合。相手の自滅で勝てたようなもの」(副将・藤木君)
「勝てたことより、内容が全然ダメ」(副将・松本君)
先制のTDを決めた4年生RB山本君は「残り2ヤードから3本連続で同じプレーが続いた。4年生として意地でも決める場面だった。あそこで決めないと秋は勝てない。個人としても、オフェンスとしてもランで勝たせる試合をもっと詰めていきたい」
こうした談話を並べて行くと、スタンドからとやかくいうことはない。チームを率いる幹部たちが現状の厳しさを十分に自覚しているのだから、あとはその言葉を普段の練習で個々の選手の成長につなげていくだけだ。気候もよし。学校の授業も軌道に乗ってきた。あとは部員一人一人が工夫と努力を重ね、チーム全体の底上げにつなげていくことだ。
(4)楽しくなければスポーツじゃない
投稿日時:2017/04/27(木) 14:58
ファイターズの試合があった後は必ず、記者が鳥内監督や活躍した選手を取り囲んで話を聞く。いわゆる「囲み取材」というやつだ。公式の記者会見ではないけれども、試合直後ならではの生々しい感想が聞けるので、どの記者も重宝している。
僕は関西スポーツ記者クラブには所属していないが、それでも新聞記者の端くれ。ファイターズの試合に限ってはグラウンドに降り、記者の質問に答える監督や選手の発言に耳を傾ける。
選手の初々しい話はもちろん興味深いが、なんといっても興味深いのは監督の囲み取材。短いけれども、必ず、核心をついた言葉が出てくる。ただし、それがバリバリの大阪弁で、なおかつ思い切り言葉が省略されているから、大阪の言葉や表現方法になじみのない記者、あるいは監督と付き合いの浅い記者には、その真意を理解するのが難しい。時には「大阪ネイティブ」の記者にしかその真意が理解できないのではないかと心配になることもある。
例えば、先日の慶応大との試合後、ポイントになる発言がふたつあった。一つは前回のコラムで紹介した「まあ、こんなもんちゃうか。ええとこもあったし、悪いとこもあった」という言葉。もう一つが「スポーツはなんでもそやけど、おもんなかったらあかん。いわれたことだけやってて、おもろいか」という発言。
最初の発言は、その日の試合の総括として、ものすごく引用しやすい。この言葉をキーにしてよかった点とこれから改善しなければいけない点を書いていけば、すらすらとその日の記事ができあがる。昔ならわざわざ原稿用紙に書いて文章をまとめなくても、そのまま本社に電話送稿できた。
これは余談だが、その昔、僕が駆け出しの頃は、〆切間際、原稿用紙に記事を書く時間的な余裕がないときに、現場の状況を白紙の状態で電話送稿する手法があり、業界では「勧進帳」と呼ばれていた。弁慶が義経と東北に落ちる際、安宅の関を抜けるために、何も書かれていない「勧進帳」を堂々と読み上げたという歌舞伎の名場面からとった言葉である。僕が現場を走り回っていた時代には「勧進帳で50行の記事が送れたら一人前」と言われていた。
本題に戻る。
二つ目の「スポーツはなんでもそうやけど、おもんなかったらあかん。言われたことだけやってておもろいか」という言葉である。別の言葉で言えば「楽しくなければスポーツではない。スポーツを本気で楽しむためには、言われたことをこなすだけでなく、常に創意と工夫が必要。その創意と工夫が具体的な成果につながり、勝利に結びついてこそ、スポーツは楽しくなる」という意味だろう。
人はなぜ体を動かすのか。体を動かすことがなぜ楽しみにつながるのか。なぜ勝利を目指して修練を積むのか。なぜ、チームスポーツが生まれ、それが広く大衆に支持されているのか。スポーツ、特にチームスポーツが人間の成長、発達にとってどのような役割を果たすのか。そういういくつもの問いに対する答えがこの言葉に集約されているように僕は受け止めた。
例えば、赤ん坊が初めて寝返りをうった場面を想像してみればよい。生まれて数ヶ月たったころ、いつも上を向いて寝ていた赤ん坊が、しきりに体をひねり始める。寝返りをうとうとしているのだが、なかなか上手くいかない。右に転がり、左に体をねじり、何度も何度もチャレンジした末に、ある瞬間、ごろんと寝返りがうてる。目的達成だ。
そのときは一瞬、うれしそうな表情になる。けれども、今度はうつぶせになったままで、上を向けない。たまらずに泣き始めるかも知れない。けれども何度も工夫しているうちに上を向くのもうつぶせになるのも自由自在になる。それができたとき、どんな赤ん坊も驚くほどうれしそうな顔をしている。自分の努力と工夫が実った喜びである。
そういう喜びを一つ一つ体感し、身に付けていくことで人は成長する。それはフットボールに取り組む選手にとってもそのまま当てはまることである。
昨日まで出来なかったことが一つの工夫でできるようになる。相手を見極める目を養い、一つのフェイントを覚えただけで、面白いほど簡単に守りを突破することができる。どうしても捕まえられなかった相手を足の運び一つを工夫することで捕まえられるようになる。そういう積み重ねが選手を成長させる。その成長の実感がスポーツの楽しみにつながり、新たな創意と工夫を生み出す。もう一つ上のステージを目指して努力を続けるエネルギーになる。
そういう、いわばスポーツの本質を突いたのが「言いわれたことだけやってておもろいか」という鳥内監督の問い掛けである。深いではないか。
幸いファイターズは、監督やコーチの指示を待って行動することが義務づけられた集団ではない。選手たちが自ら工夫し、互いに助け合って上達しようとすることを大切にする文化がある。それは戦後、チームが再出発して以来の先輩たちが営々と築いた文化であり、いまもチームにとうとうと流れている水脈である。
内部にいては気付きにくいその価値に目を向け、創意と工夫、そしてたゆまぬ努力を続けよう。「おもろいフットボール」を追求しよう。スポーツの楽しさに目覚めた者が増えれば増えるほど、栄光への道は近くなる。
僕は関西スポーツ記者クラブには所属していないが、それでも新聞記者の端くれ。ファイターズの試合に限ってはグラウンドに降り、記者の質問に答える監督や選手の発言に耳を傾ける。
選手の初々しい話はもちろん興味深いが、なんといっても興味深いのは監督の囲み取材。短いけれども、必ず、核心をついた言葉が出てくる。ただし、それがバリバリの大阪弁で、なおかつ思い切り言葉が省略されているから、大阪の言葉や表現方法になじみのない記者、あるいは監督と付き合いの浅い記者には、その真意を理解するのが難しい。時には「大阪ネイティブ」の記者にしかその真意が理解できないのではないかと心配になることもある。
例えば、先日の慶応大との試合後、ポイントになる発言がふたつあった。一つは前回のコラムで紹介した「まあ、こんなもんちゃうか。ええとこもあったし、悪いとこもあった」という言葉。もう一つが「スポーツはなんでもそやけど、おもんなかったらあかん。いわれたことだけやってて、おもろいか」という発言。
最初の発言は、その日の試合の総括として、ものすごく引用しやすい。この言葉をキーにしてよかった点とこれから改善しなければいけない点を書いていけば、すらすらとその日の記事ができあがる。昔ならわざわざ原稿用紙に書いて文章をまとめなくても、そのまま本社に電話送稿できた。
これは余談だが、その昔、僕が駆け出しの頃は、〆切間際、原稿用紙に記事を書く時間的な余裕がないときに、現場の状況を白紙の状態で電話送稿する手法があり、業界では「勧進帳」と呼ばれていた。弁慶が義経と東北に落ちる際、安宅の関を抜けるために、何も書かれていない「勧進帳」を堂々と読み上げたという歌舞伎の名場面からとった言葉である。僕が現場を走り回っていた時代には「勧進帳で50行の記事が送れたら一人前」と言われていた。
本題に戻る。
二つ目の「スポーツはなんでもそうやけど、おもんなかったらあかん。言われたことだけやってておもろいか」という言葉である。別の言葉で言えば「楽しくなければスポーツではない。スポーツを本気で楽しむためには、言われたことをこなすだけでなく、常に創意と工夫が必要。その創意と工夫が具体的な成果につながり、勝利に結びついてこそ、スポーツは楽しくなる」という意味だろう。
人はなぜ体を動かすのか。体を動かすことがなぜ楽しみにつながるのか。なぜ勝利を目指して修練を積むのか。なぜ、チームスポーツが生まれ、それが広く大衆に支持されているのか。スポーツ、特にチームスポーツが人間の成長、発達にとってどのような役割を果たすのか。そういういくつもの問いに対する答えがこの言葉に集約されているように僕は受け止めた。
例えば、赤ん坊が初めて寝返りをうった場面を想像してみればよい。生まれて数ヶ月たったころ、いつも上を向いて寝ていた赤ん坊が、しきりに体をひねり始める。寝返りをうとうとしているのだが、なかなか上手くいかない。右に転がり、左に体をねじり、何度も何度もチャレンジした末に、ある瞬間、ごろんと寝返りがうてる。目的達成だ。
そのときは一瞬、うれしそうな表情になる。けれども、今度はうつぶせになったままで、上を向けない。たまらずに泣き始めるかも知れない。けれども何度も工夫しているうちに上を向くのもうつぶせになるのも自由自在になる。それができたとき、どんな赤ん坊も驚くほどうれしそうな顔をしている。自分の努力と工夫が実った喜びである。
そういう喜びを一つ一つ体感し、身に付けていくことで人は成長する。それはフットボールに取り組む選手にとってもそのまま当てはまることである。
昨日まで出来なかったことが一つの工夫でできるようになる。相手を見極める目を養い、一つのフェイントを覚えただけで、面白いほど簡単に守りを突破することができる。どうしても捕まえられなかった相手を足の運び一つを工夫することで捕まえられるようになる。そういう積み重ねが選手を成長させる。その成長の実感がスポーツの楽しみにつながり、新たな創意と工夫を生み出す。もう一つ上のステージを目指して努力を続けるエネルギーになる。
そういう、いわばスポーツの本質を突いたのが「言いわれたことだけやってておもろいか」という鳥内監督の問い掛けである。深いではないか。
幸いファイターズは、監督やコーチの指示を待って行動することが義務づけられた集団ではない。選手たちが自ら工夫し、互いに助け合って上達しようとすることを大切にする文化がある。それは戦後、チームが再出発して以来の先輩たちが営々と築いた文化であり、いまもチームにとうとうと流れている水脈である。
内部にいては気付きにくいその価値に目を向け、創意と工夫、そしてたゆまぬ努力を続けよう。「おもろいフットボール」を追求しよう。スポーツの楽しさに目覚めた者が増えれば増えるほど、栄光への道は近くなる。
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