第55回ライスボウル(2001年度) コーチコラム(攻撃)




THE QUARTER ~衝撃の10分間~小野 宏
(1)イッセイの決断 (6)リバイバルのスペシャルプレー
(2)戦術の衝突 (7)言霊(ことだま)
(3)"vertical"の成功 (8)「オープン」の思想
(4)モメンタムからフローへ (9)徳永さんの話
(5)消耗戦に引きずり込め  

イッセイの決断

 それは、無謀とも思える一人の「決断」から始まった。
 第2クオーターに入った直後のプレーだった。得点は0-6。敵陣30ヤード。第4ダウンで2ヤード。
それまでの展開は、「社会人の方がはるかに強い」という戦前の下馬評そのままだった。1回目、2回目の攻撃シリーズとも簡単に3プレーでパントに追い込まれ、第3シリーズは反則で後退した上に、強烈なタックルを浴びたRB杉原がファンブルしてターンオーバー。そのまま先制のTDを奪われるという最悪のシナリオに陥っていた。4度目の攻撃でようやく2度第1ダウンを更新したものの、フィールドゴール・レンジにもたどり着けないまま第4ダウンを迎え、攻撃権の放棄を余儀なくされていた。
 すでに2度、第3ダウン・ショートのプレーを止められている。残りが2ヤードあったため、オフェンスのプレーによるギャンブルは諦めた。ただし、なお攻撃権を渡さない可能性を探っていた。通常のパントのサインがでたが、相手の付き方によっては、パンター榊原が左右どちらかに走りながらランで第1ダウン獲得を狙い、無理と判断した時点でランニングキックに切り替えて陣地を挽回することになっていた。
飲料もフェイクパントを警戒し、通常の守備メンバーのまま、通常の守備体型4-3でギャンブルに備えていた。パントを蹴らざるを得ない状況だった。守備体型を見て、コーチ、選手のほぼ全員がそう考えたはずだ。しかし、榊原だけが、最初から中央に突っ込む決意を固めていた。「普通にやっても勝てる相手じゃない。どこかで勝負をしなきゃいけないと思っていた」。スナップされたボールが手に届くと、一瞬蹴りにいくような動きに入りながら、そのまま前傾姿勢で中央へ踏み出した。
 同時に、プロテクションしていた一線の選手はリターナーをタックルするべくダウンフィールドに出ていった。ブロッカーは誰もいない。榊原は「裸」になった。そのことが、飲料の選手の緊張を緩めた。「通常のパントだ」という認識がかすかな安堵を生んだように見えた。榊原に迷いはなかった。その瞬間、加速してスクリメージ上にいる守備ラインに向かって猛然と突っ込んだ。80キロほどしかない榊原が、100キロを超すラインに真芯で当たり、そのまま弾き飛ばすように一気に押し込んで倒れた。
 警戒していたにもかかわらず、わずかな虚を突かれ、呆然とする飲料。3ヤードほど進み、審判が計測することもなく第1ダウンのシグナルを出した。失敗していれば無謀と非難されることを免れない状況で、一人ですべての責任を抱えて勝負に出た榊原。そして、その賭けを成功させた勝負魂が、チームの何かを覚醒させた。「捨て身の攻撃」――それしか勝利への道は開かれないことを、身をもってチームに思い出させた。

 
戦術の衝突

 続いてダブルタイト・フォーメーションからパワー・フェイクでTE榊原にフラットが通った。榊原はセットの段階からDEとLB河口に挟まれ、ダブルカバーに近い状態だったが、巧みなコース取りでパスを成功させた。獲得距離はたった5ヤードだが、守備にとって例外的なアライメント(並び方)をしてまで警戒していた部分にパスを通されたことは、心理的な撹乱要素になっただろう。
 さらに続けてパスをコールした。プロ体型からWRかSEへの5ヤードの短いヒッチパス。飲料は、SEサイドからOLBがファイア・ブリッツをかけてきた。しかも、2ディープのルックからSE前のCBも合わせてブリッツに入る。左ハッシュマーク上からの攻撃で、右利きのQBが背後となる左の外から入ってくるブリッツを感知することは容易ではない。しかも、OLB、CBの2人が合わせて入るパターンは、我々の分析したビデオの中にはなかった。ライスボウル用にデザインされたものだろう。QBサックなどビッグプレーを生む可能性の高いサインとして、関学に向き始めた流れを堰きとめるための重要なコールだったに違いない。しかし、尾崎は両サイドが見えるように肩を開いたまま下がり始め、CBがブリッツしたことを認知した。SE東畠はstreakにコースを変えていた。
 繰り返されてきた練習の中でも、同じケースは経験していなかった。しかし、尾崎は一瞬の判断の遅れもなく、すぐにセットしてCBがブリッツして空いたゾーンに、ボールを投げ出した。やや緩かったが、東畠がゴール前4ヤードで捕球した。QBとWRが長い時間をかけて築き上げた無言のコミュニケーション能力が花開いた。戦術的にも技術的にも高度な戦いが一瞬に繰り広げられた。とっておきの守備のブリッツに対し、まるで知っていたかのように逆手にとってパスを通したことが、飲料に与えた衝撃は小さくなかったはずだ。
 ゴール前は力づくの勝負を覚悟した。飲料守備はゴールラインディフェンスに絶対の自信を持っている。鹿島戦でもゴール前3ヤードからの4回の攻撃を止めているし、シルバースターにいたってはゴール前1ヤードからの第1ダウンを得点に結びつけることができずに敗れていた。しかし、第1ダウンゴールまで4ヤードで逃げるわけにはいかない。
 ダブルタイトからWRに位置した榊原をインモーションさせ、エキストラブロッカーにしたパワーオフタックル。1ヤード。やはり、堅い。今度は同じ体型から逆サイドにゾーンスイープ。TE松本が大きくステップを踏みすぎた。OLB金井が内側の隙間から飛び込んできた。ゾーンブロックの不均一な部分を一瞬で見極めた金井のファインプレーでプレーはつぶれたかに見えた。その時、本来オープンに出てリードブロッカーになるはずのFB岡村が瞬時の判断で金井のひざ元に飛び込み、はじき出した。その内側をSB杉原が切れ上がり、倒れこみながらゴールラインを割った。TFPを井田が決めて6-7。逆転という事実に喜びはなかった。勝利はまだずっと遠いところにあることを全員が認識していた。
 
Vertical"の成功

 続くキックオフでカバーチームにビッグプレーが生まれた。野田がリターナーに背後から強烈なタックルを浴びせ、ボールが宙に浮いた。田中秀が敵陣30ヤードでリカバーした。たたみかけるには、まさに千載一遇のチャンスが訪れた。
プロ体型からのリードドローフェイクのVertical pattern。WR,TE,SEがいずれもエンドゾーンに向かってまっすぐタテのルートを走る。守備を縦横に引き伸ばす最も有効なプレーである。守る側にとって最も危険度の高いプレーといえる。おそらく飲料は、このプレーを最も警戒していたはずだ。相手が動揺し、プレーを推測しにくいターンオーバーの直後に、勝負をかけた。
 このプレーが最も効果を発揮するのはパスカバレッジが2ディープの時である。浅いゾーンを守ることに重点をおき、深いゾーンを2人で守るため、その奥のゾーンに3人のレシーバーが入り込むと理論的には誰かがフリーになる。通ればロングゲインか場合によってはTDになる。このため、飲料ディフェンスは、2ディープを敷いていて、攻撃がドロップバックからこのverticalをしてきたら、真ん中のレシーバー(プロ体型ならTE)をMLBの晋三が一目散にカバーする仕組みをとっている。しかし、この守り方は、もともとFSをしていた経験を持ち、LBとしては際立った守備範囲の広さを誇る山田晋三だからできるという面がある。晋三をドローでLOS近くにくぎ付けにしてTEを空けようとした。
 飲料はスナップされる瞬間まで完全に2ディープのルックで構えていた。そのまま2ディープをしていたら真ん中にぽっかりとゾーンが空いて榊原がそのままTDしていただろう。そのシーンをおそらく尾崎も思い描いたと思う。しかし、それは見せかけだけだった。飲料は、2ディープのようにセットしてから、2人のセイフティのうちのどちらかが浅いゾーンに上がり、両CBが下がって3ディープへと変化する。これをどちらのセイフティが上がるか、どこに上がるかで飲料守備はいろいろなバリエーションを持っている。しかもそれを巧妙に、攻撃のQBやWRたちに悟られないように展開する。我々が過去に対戦してきたどのチームよりも、多様でかつ精密なゾーンカバーを駆使することにこの守備の最大の特徴がある。ブリッツをかけて、能力の高いDBにタイト・マン・ツー・マンでカバーさせる攻撃的な守備が全盛の時代に、ほとんどマン・ツー・マンをせずに巧妙なゾーンで罠をかけ、QBを幻惑させてパス攻撃を翻弄するばかりか、インタセプトという大きな果実がころがりこんでくるのをじっと狙っている高度な守備なのだ。現に彼らはシルバースターの金岡、東野という国内最高レベルのパッシングQBから4本のインタセプトを奪っている。東京スーパーボウルを含めプレーオフ3試合で合計7本である。この網にどうかからないようにするかが攻撃にとって最大の課題だった。
 話を元に戻す。プレーが始まった瞬間、FSがフィールドの真ん中に下がりだしたのが、ヒントだった。3ディープなら早いタイミングでTEをヒットするしかない。リリースが遅れればインタセプトの危険性もある。尾崎はフェイクを短くしてTEに投げようとした。LB晋三はフェイクを見て動きを止めたが、すぐに下がり始めた。尾崎のスローイング動作が途中で一瞬止まった。しかし、次の瞬間、間髪を入れずに再び素早い投球動作が起き、MLBと2人のセイフティの間にボールがライナーで伸びた。ボールは、榊原が振り向いた先に低くリードされていた。困難なボールだった。捕球が難しいだけでなく、捕った瞬間にタックルされる恐怖を両側から感じてしまうからだ。しかし、榊原はそんなことをまったく感じさせず、倒れこむように低い重心になりながらバランスを崩さずにあっさりキャッチした。
 才能のある選手がそろった今年の攻撃陣の中でも、榊原は特殊な存在である。1年生から先発に名を連ね、重要な試合や大舞台はすべて出場し、決定的な場面で決定的なプレーを演じつづけてきた。しかし、同時に、特定の場面で榊原にプレーが集中しないように、細心の注意を払ってキーになる選手を分散させてきた。的を絞らせないことが、攻撃にとって死活的に重要だからだ。しかし、ライスボウルは最後のゲームである。さらにアサヒ飲料は継続的に我々のゲームを見ているわけではない。榊原を可能な限りすべてのプレーでキーポジションにおき、彼で勝負する――イッセイを使い切る。それが、我々にとって、最も大きな戦略の一つだった。
 
「モメンタム」から「フロー」へ

 モメンタムが我々の背中を強く押している、と自覚していた。科学的に証明できないが、ゲームには潮の満干に似た「モメンタム」が確実に存在し、大きな要素となる。流れが来ると、選手の集中力が高まり、コールも当たりだす。その状況がさらに深化すると、特有の現象が起きる。ゲームを支配している感覚がチームにあふれ、選手から雑念が消えてファインプレーが生まれる。個人に起きるというよりも、チーム全体に訪れるというのが実感だ。こうしたスポーツや遊びでの強い没入経験を表現する概念として、シカゴ大学の心理学者、チクセントミハイ教授が「フロー」と名づけて研究している。まさに選手もコーチも「無心」と呼ぶべき境地に入り、行為と意識が融合する。勝ち負けを超えた存在になって、場の流れ(フロー)と一体化する。チームは、徐々にそうした状態に近づいていた。
 ゴール前9ヤードからのプレーも迷わずに出てきた。根拠はないが、進む確信があった。ダブルタイトからWRがインモーションしてきてフライモーションに移行し、ベリーオプションの動きからQBだけがHBへのフェイクの後で逆サイドを突くカウンタープレー。飲料はOLB河口を連続してブリッツさせていた。そして、このプレーも外側から内側へスタンティングをかけた。完全にプレーコールが当たった。突っ込んできた河口を、予測していたG蔵谷が正確なステップ、正確なポジショニングで勢いを利用して内側に押し込むと大きなレーンがあき、尾崎はセイフティのタックルを一人はずしてエンドゾーンに駆け込んだ。14-6。選手にもコーチにも、「よし」という気持ちが芽生えた。しかし、誰も一喜一憂するつもりはなかった。リードしようが、リードされようが、ただただ目の前のプレーに集中することが必要だった。"One at a time"――浮かれたり、落ち込んだりしていたら、ベストのプレーは生まれてこないのだ。
 さらに、次の飲料の攻撃も、関学が完全に抑え込んでパントに追い込んだ。飲料のベンチが予想外の展開に動揺しているのが分かった。準備していた「ある作戦」を思い切って出す時だと決意した。
 
消耗戦に引きずり込め

 飲料は強固な守備を基盤としたチームである。その守備を崩すカギはどこにあるのか。 甲子園ボウル当日にあった祝勝会の帰り、伊角ディレクターが珍しく注文をつけてきた。 「社会人に勝とうと思ったら、とにかく振り回すことを第一に考えなあかん」。「現場には 口を出さない」と自らを強く戒めているディレクターにとって、考え抜いた上での助言だ ったと思う。これまでも、時折出てくるディレクターのsuggestionは、コーチをする上で、 攻撃を構築する上で、ゲームプランを立てる上で、重要なヒントになっていたことが少な くなかった。
 しかし、今回の提言に対しては、どうしても疑問が先にたってしまった。まず、社会人 の方が学生に比べてスタミナで劣るという認識が正しいかという問題があった。Xリーグの トップチームはかつてと違ってかなりフィジカルトレーニングを積んでいる。走りこみに ついても、プロのトレーナーがついて、かなりのレベルで年間を通じて取り組んでいるこ とも聞いていた。また、一人一人の選手がスタミナ不足だったとしても、守備全体を運動 量が落ちるような状態まで持っていけるのかどうか。リクルートは守備ラインを二つのユ ニットに分け、交代しながら試合をしている。飲料もそこまでではないにしろ、リーグ戦 から守備ラインの4つのポジションを6人で回して消耗を防いでいる。逆に、個々のレベ ルで劣勢を強いられる我々には、飲料と対抗できる攻撃ラインは5人ぎりぎりしかいない。 しかも、平均110キロを超すサイズの大きさが売り物だ。振り回そうとしたら、逆にこち らの方がばててしまうのではないか。
  もう1つは、振り回すとすれば序盤にしなければ意味がない。しかし、序盤には両立さ せなければならない条件が多くある。シフト、モーションへのアジャストが想定通りか確 認したい。ライン戦の正確な力量比較もしたい。何よりも、自分達より強い社会人とする 以上、先制することが勝つための必須条件である。振り回しながらもきちんと点が取れな ければ、その効果は一気にしぼんでしまうだろう。スイープのようなオープンプレーを連 続すれば済むという話ではない。もともと4-3はオープンプレーに強い。振り回しなが らゲインを稼いで先制点を奪い、相手をばてさせてこちらがばてない方法とは……。何度 考えても効果的な策は思い浮かばなかった。数日後には、鳥内監督からも「どんどん振り 回そうや」と同じ提言を受けた。ミーティングで選手たちに相談したが、選手からも同様 の疑問の声があがった。「自分達の方が先にばててしまう」。ラインズの訴えは悲痛だった。 ディレクターや監督から与えられた命題は十分に理解できるものの、具体策が思い浮かば ない。しかし、2人がそろって口にする以上、攻撃の成否を分ける最も重要なポイントであ ることを自覚した。
  悩んだ末にたどりついたのが、QBがロールアウトしてパスを投げるようにしながらそ のままキープする「ロールキープ」と、同様にロールアウトしながら先を走るSBにピッチ する「ロールオプション」を、作戦会議を開かずに連続して攻撃するノーハドル・オフェ ンスで展開することだった。これなら攻撃ラインはさほど走らずに済む。ロールキープの QBは俊足の1年生河野を使うことで尾崎の消耗を防ぐことにした。ノーハドルにしたのは、 当然守備選手の運動のインターバルを短くしたかったからだ。先述したドローフェイクの verticalを1プレー加えて、最大3プレーのノーハドル攻撃。それを、前半のどこかに必ず 入れる。――それが、ディレクターや監督の提示した命題と、さまざまな制約条件の中で プランを考えるコーチの現実との交差点だった。これ以外の通常のオフェンス時にも「振 り回す」要素はできる限り組み入れた。しかし、たった3プレーの仕掛けがどれほど機能 するのかは、「やってみなければ分からない」というのが正直なところだった。 ボールは左ハッシュ上。計画通りサイドラインでハドルしてそのままオフェンスはス クリメージにつき、ロールオプションから入った。このプレーはもともと1981年の甲子園 ボウルの際、鉄壁の日大守備に対して当時のコーチが編み出したKGオリジナルのスプリ ントオプションが原型で、それを京大がロールアウトからの形にアレンジしたものだ。米 国には無く、関学も2年前に1度使っただけである。古い引出しから出してきたプレーは、 守備にとって見慣れないプレーでもある。ロールアウトと思ってDEがQBにタックルし ようとした瞬間に尾崎からSB三井にボールがピッチされ、10ヤード以上ゲインした。晋三と河口がサイドライン際でタックルに参加していた。続いて、QB河野が入り、ダブルタ イトからロールキープ。ゲインは2ヤードだったが、再び晋三がサイドラインまで流れて タックルした。
  予定通り、次はvertical。ただ、前のシリーズで同じプレーが通った後、プレーのデザイ ンを少し変えていた。SEだけルートをoutにして、狙いをそこに絞った。Verticalが通っ たことで、飲料守備は以後プロ体型に対して2ディープは敷かないという確信があったか らだ。そのことが真の要因だったかどうかは分からないが、結果として予測通り飲料は3 ディープで守り、下がったCBの前ががら空きになった。東畠の胸にボールが正確に収まり、 第1ダウンが更新された。
 3プレーの仕掛けはベストとも言える形で成功した。しかも、守備の消耗は予想以上だ った。サイドラインからフィールドの選手を間近に見ている鳥内監督から「おい、やっぱ り、ばてとるわ。もっとロールいこうや」と指示があった。SBのドローを入れて守備ライ ンに一度ラッシュさせた後、再び敵陣39ヤードからロールキープ。今度は尾崎がボールを 持った。繰り返されるロールアウトに守備は敏感になっていた。QBの動き出しと同時に守 備の全員が流れた。尾崎は行く手を阻まれた。逆サイドからもDEが追いかけてきていた。 その瞬間、いったんプレーサイドにゾーンブロックをかけていたバックサイドのT吉田が、 128キロの巨体とは思えない柔らかいステップで、下がりながらDEにクロスボディブロッ クをかけた。DEがそれを避けた分だけ、逆サイドへのスペースが空いた。尾崎が180度方 向転換し、1人リバースのような形で左に戻り始めた時、飲料の選手にはパシュートのた めのスピードは残っていなかった。短いインターバルで全力疾走を繰り返したことで、筋 肉に供給されるべき酸素が不足していた。追いかけようとしても足が思うように動かない 状態。尾崎はSEにシフトしていた榊原をリードブロッカーとしてうまく使い、残っていた CBをふってエンドゾーンへのレーンを自ら作り出した。体力を温存していた尾崎のスピー ドが落ちず、追いかけてきた選手のスピードが上がらなかった分、TDへの「道」が大きく 開かれた。
 
リバイバルのスペシャルプレー

 20-6(TFPのキック失敗)。榊原のフェイクパントでつかんだ流れは大きなうねり になっていた。選手の勝負根性を見せられて、プレーコールの思い切りが増す。それが選 手の積極果敢な気持ちを引き出す。プレーが成功して先手を取れるから、次の守備を予測 しやすい。いいタイミングで、いいコールが出せる。言葉はかわさなくとも、心意気は伝 わるものである。スタンドのスポッター席とフィールドは連動している。まさに相乗効果 で、コーチも選手も開放感の中で集中力が高まっていた。
 ここで、一息ついてはならない。一気に走りきるのだ。自分に言い聞かせている間に、 守備にビッグプレーが生まれた。石田がRBのダイブをタックルし、ボールをかき出して ターンオーバーを奪い取ったのだ。
  敵陣26ヤード。ハッシュはミドル・レフト。この状況ではこれしかない、というスペ シャルプレーを準備していた。榊原をTEの位置から外に出してインサイドレシーバーとし てセットさせ、尾崎から榊原に5ヤードのヒッチパスを投げ、キャッチした榊原が走って くるSB三井にトスをする「ヒッチ・ラトラル」。25年ほど前には、明治大学や日本体育 大が時折見せていたし、私自身も高校生時代はそれを見て練習し、ジャンプ・パスからラト ラルパスするプレーは何度も試合で成功していた。マン・ツー・マンのカバレッジに効果 があり、当時の守備はゾーンといってもマン・ツー・マン的なものがほとんどでよくビッ グプレーになった。しかし、その後はゾーン・カバレッジの普及とともに消えてしまってい た。それをフォーメーションなどにいくつかの細かい工夫をして復活させ、ライスボウル 用にと推薦してくれたのは、Xリーグ・ライオンズ(東京海上と東京三菱銀行の合同企業チ ーム)の大村和輝ヘッドコーチ(1994年卒)である。
 甲子園ボウルから1週間後に練習を再開した際、同期のOL今井栄太や松下電工のOB らとともに防具をつけて練習台になってくれた。そして、「ライオンズで成功した、簡単で 練習のあまりいらないスペシャルプレー」として紹介してくれた。新しいプレーを入れる ことには慎重だが、聞いていると細部に「なるほど」と思う工夫がされている。ライオン ズで試行錯誤され、懐かしいプレーの完全リバイバル版が出来上がっており、我々が実戦 練習で試して改善していく過程を必要としなかった。完成されたマニュアルのあるスペシ ャルプレーとしてそのまま導入することができた。
  劣勢が予想される試合では「サプライズ」が必要である。相手を「驚かせる」ことで心 理的に優位に立てる。また、少し遊び心のある「おもろいプレー」は、ゲームプランを準 備する段階で精神的に追い詰められているコーチや選手には、心の余裕を取り戻させる効 果もある。大村に直接指導してもらうと、榊原も三井も「こんなプレー本当にやるんです か」と言いつつ、「これが通ったらおもろいやろな」というワクワク感が表情に出ていた。 スポーツはどんなにseriousでも「PLAY(遊ぶ)」するものなのだ。
  尾崎が3歩下がって榊原に投げたボールはややすっぽ抜けて外側にそれてしまった。榊原にとっては逆モーションのボールだが、手を伸ばしてなんなくキャッチするとタックル を受けながら三井に正確にトスした。相手が「えっ」と思った瞬間に、チーム1の俊足が、 フィールドを縦に駆け上がる。WR山本がCBをクロスボディブロックでひっかけていて TDできるかと思ったが、ゴール前9ヤードで晋三に追いつかれた。
  第1ダウン。ダブル・タイトから、キーになり続けている榊原がWRになってイン・モー ション。守備の神経を引き寄せておいて,逆サイドにパワー・オフ・タックル。2ヤード。 2本目のTDを奪ったQBカウンターを今度はツイン体型から。再びきれいに穴があいた。 尾崎がセイフティに果敢に当たってセカンドエフォートして6ヤードゲイン。尾崎は、す でに満身創痍だった。甲子園ボウルでの首から肩にかけての打撲が尾を引き、10日間練習 を休んだ。その後も痛みが残り、ボールを投げることが十分にできなかった。ライスボウ ル3日前の尾崎は、この1年の中でもっとも悪い状態だったと言っていい。精神的に際立 ってタフな尾崎の表情にも不安が見え隠れし、苛立っているのが分かった。しかし、当日 になると、前日までとはまるで違っていた。試合前の練習で、爛々と光る眼に、ただなら ぬ決意が強く示されていた。第1クオーターには足を痛め、上腕の付け根にも新たにテー ピングを施していた。しかし、そのことをプレーコールの上で配慮する気はなかった。尾崎がやり抜くことからしか道は開けてこない。誰よりも尾崎がそのことを一番よく知っているし、だからこそ全身全霊をかけて戦う準備を整えたのだ。フットボールとはそういう スポーツだし、QBとはそういうポジションなのだ。
  ゴール前1ヤードから第3ダウン。飲料のショート・ヤーデッジでの強さは、プレーオ フの3試合のビデオで見せつけられていた。シルバースターは、第4ダウン、ゴール前イ ンチで通常の体型からQBスニークをして、ジャンプしたLB河口に金岡がファンブルさ せられていた。鹿島は、同じく第4ダウンゴール前1ヤード、TBのブラストで中央を突 こうとして、外からのセイフティブリッツでロスさせられている。ここが勝負を決める場 面になるであろうことをみんなが自覚していた。14点リードしているとはいえ、双方の力 量を考えれば、FGではなく、絶対にTDをとらなければならない。確認する時間がなか ったが、「2回のランプレーで1ヤードをとる」という判断は、鳥内監督も同じだっただろ う。
  バックフィールドに石田、榊原、弘中の3人を入れ、つまりQB以外10人すべてをライ ンの選手にした。「Queen」と名づけた体型。3人がラインのすぐ後ろまで上がり、中央にジャンプしたところにQBがスニークするように見せかけた。そして、LBたちが中央に飛 び込んだところで、尾崎が左オフタックルに飛び込むようにデザインされていた。1ヤー ドだから、LBは3人のジャンパーが飛び込むのを見てから自分が飛び込んでいては間に合 わない。何も考えずに飛び込んでくると踏んでいた。しかし、MLBに入った河口は、その ジャンプにひっかからず、何かを感じて(あるいは考えて)飛び込まず、オフタックルに 流れてきた尾崎を素早くタックルした。
  エンドゾーンに届かず、第4ダウン残り数十センチ。今度は、同様の体型だが3人を石 田、筒井、足立に変え、3人のうち2人を右においた「King」。QueenからのプレーでQB がどこにいくか分からないようにしていて中央を押し込むスニークだった。力づくの真っ 向勝負。今度は河口が飛び込んできた。それを筒井が飛び込んではじく。しかし、中央は 壁が動かず進めない。尾崎がとっさの判断で右にコースを変えた。後ろに構えていた晋三 とR大島が加速して飛び込んできた。尾崎のジャンプはその2人の隙間だった。審判の両 手が、ドームの天井に向けて立てられた。どちらかにずれていればフルショットを受けて はじき返されていただろう。運、という言葉が頭に浮かんだ。見えない何かが、後押しを してくれていると感じずにいられなかった。
 
言霊(ことだま)

  新チームの主将に選ばれた石田が「ライスボウル制覇」を2001年度の目標に掲げたのは、 昨年の今ごろだった。正直に言えば、疑問を感じた。前年、勝てると思って臨んだ甲子園 ボウルで、過去に例が無いほどに無様な敗戦を喫した理由の一つは、チームがその先にあ るライスボウルを意識してしまったことにあった。新チームは、リーグ戦3連覇、甲子園 ボウルでの雪辱という困難な戦いに向かうのに、その先にある夢のような目標を掲げて大 丈夫なのか。しかし、その疑問を鳥内監督にぶつけると、「強い社会人を本気で目標にして やったらええねん。一段高いレベルを意識せんと、うまくならへん。俺も今年は有言実行 でいくで」と迷いのない返事が返ってきた。私自身は、よしそれなら本気で考えよう、と いう受身の感覚だった。春から、社会人と戦う場合を頭の片隅で想定しながらいくつかの 試合でシミュレーションをしたりもした。
  石田はライスボウルが終わってから「立命戦前が一番苦しかった」と振り返っていた。 高い目標を掲げて道半ばで敗れれば、「それ見たことか」と批判されることは目に見えてい た。そのプレッシャーに押しつぶされそうだったという。京都大学戦、甲子園ボウルでも 同じ苦しみを味わったが、その厳しい局面を乗り切ったことで、この大目標が抱えていた 負の要素が一気にプラスへと転化された。チームは精神的にも肉体的にも限界に近い状態 にありながら、なお「心のエネルギー」を失っていなかった。強敵に向かう不安に押しつ ぶされそうになりながらも、「自分たちが立てた目標にいよいよ本当に挑戦できる。最後の 力を振り絞ってとことん準備したい」――上級生のそんな気持ちを、彼らのささいな振る 舞いから感じた。私自身も自然にそういう気持ちになれた。過去には無かった空気がチー ムを包んでいた。10カ月前に石田がそれを口にしていなければ、この空気は生まれなかっ ただろう。なんでも高い目標を設定すればいい、というものではないが、石田が口にして いなければライスボウル初優勝はあり得なかったというのが実感だ。
  夢をためらわず言葉にすること。そして、その言葉に魂を宿らせること。「なんも考えん と、思ったことを素直に言っただけなんです」と石田は謙遜するが、私は自分の不明を恥 じつつ、そのことの素晴らしさを今噛みしめている。
 
「オープン」の思想

  「ライスボウルに初めて勝てた」という喜びは大きかったが、さらにその感激を膨らま せていたのは、「このオフェンスは選手とともに創り上げた」という実感だった。
  16年前、留年してコーチをしていたときに、部長だった領家穣社会学部教授(当時)か ら「管理型社会はどこみてもみんな行き詰まっとる。管理する側、される側と考えるんや のうて、みんなが自分のチームのことを自分のこととして本気になって考える参画型社会 を作らなあかんのや」と酒を飲みながら何度か言われていた。「スポーツは社会の縮小され たモデルなんや」とも言われた。その問題意識はずっと頭の隅にはりついていた。
  93年にコーチに復帰して、こうした組織のあり方を目指してきたが、なかなか既存の 枠を超えられずにいた。そして、98年頃から、それまでコーチだけで練ってきた長期・ 短期の戦略や試合ごとの戦術の策定について、検討段階から思い切って選手に情報公開し、 共同作業で創り上げる方式に転換した。
  米国では、考える側(コーチ)と、プレーする側(選手)には明確すぎるほどの線が引 かれている。戦略、戦術を考え、それをプレーとして選手に教えることを仕事とするプロ のコーチ。そのコーチに教えられたことを練習し、それをスペシャリストとして試合で遂 行する選手。それぞれの領域で責任を果たすことでチームは勝つと考える。選手がコーチ の領域に入り込む権利は与えられていない。
  しかし、さまざまな環境、条件、文化が異なる日本では、少し違う方法があるようにも 感じていた。選手が成長するためには、厳しい練習にも取り組まなければならない。しか も、頂点を極めようと思えば、主体的に強い意欲と目的意識を持って長い期間にわたって 自分と向かい合うことが必要となる。「やらされている」ような状態では、成長はおぼつか ない。しかし、人間はなかなか努力が長続きしないものである。ましてや、米国のように スポーツ奨学金がもらえるわけでもなく、プロへの可能性もない日本の大学フットボール において、選手の高いモチベーションが維持される基礎条件は大きくない。では、そうし た受身の姿勢に陥らず、自分から夢中になって厳しい課題にも取り組むことができるよう になるためには、どうしたらいいか。いろいろな答えがあると思うが、そのうちの一つは、 やはりフットボール自体を「面白くて仕方がない」と感じられるようになることだ。好き、 になることこそが近道だと思う。
  そのためにも、コーチが抱え込んでいた戦略、戦術の部分にも関わり、フットボール(オ フェンス)の全体像を理解すること。さらには、そのオフェンスを構築する過程に参画す ることが、選手のcreativityを刺激し、選手にとってのフットボールの魅力を膨らませるこ とになる。
  具体例を挙げれば、対戦相手のビデオをコーチ・選手がそれぞれ見た上で、基本戦略、 プレー、ゲームプランについて断片的な情報収集の段階から全員(実際は上級生中心だが) が意見を出し合う。コーチも、検討段階からたたき台をどんどん選手に提示してしまう。 コーチがどういう点に自信を持っているか、どういう点に迷っているかも率直に説明する。 我々が検討していくことは最終的にはゲームプランのシートに収斂されていくのだが、そ の過程をすべてガラス張りの箱に入れ、誰でも見えるようにしてしまった。そして、誰で も合意の上でなら手を入れられるようにしたのだ。
  当たり前のように思われる方もいるかもしれないが、コーチの側には案外勇気のいる ことだった。コーチの頭の中をさらけ出せば、底が見えてしまう。過程を検証されれば、 戦略上の判断が成功していたか失敗していたかも選手も分かる。コーチの権威が失われる のではないか。力量不足がばれてしまうのではないか。選手からとんちんかんな意見が噴 出し、収拾がつかなくなるのではないか。選手が頭でっかちになって、プレーヤーとして の自分自身の課題から逃げてしまうのではないか。
  しかし、こうした心配は、多くが取り越し苦労だった。オープンなシステムはさまざま な効果を生んだ。フットボールの見えなかった部分の面白さと難しさを知り、トータルで フットボール(オフェンス)への理解が深まった。一つ一つのプレーをただ単純に覚える だけではなく、そのプレーが全体のプランの中でどういう位置をしめ、どういう意味を持 っているのかが分かるようになる。自分がこういうプレーが通ると思ってみんなに主張す る。問題点を指摘され、取り下げざるを得なくなる。しかし、そうした試練を超えてプラ ンの中にプレーやアイディアが採用されることが出てくると、面白さは倍増する。プレー への愛着も高まる。何よりも本当の意味での責任を感じるようになる。もちろんこうした 過程で、コーチは知識や経験を蓄積している分、議論を主導している。7割から8割方は コーチの出したたたき台を中心に進むのだが、コーチが気が付かない点も選手から多く指 摘がなされ、戦術、プレー、プランさまざまな面で、以前より実感として2割ぐらい精度 の高いものができあがるようになった。コーチと意見をかわすことで選手はフットボール の論理的思考が身についてくる。選手間のコミュニケーションも促進される。コーチと選 手にも一体感がある。このオープンなシステムが、我々の攻撃にある種の「しなやかさ」 を生み出しているように思う。
  そのことが、もっとも現れているのがラインズである。現在のフットボールでオフェン スラインほど合理的な思考、プレーの理解度、精緻な判断が求められるポジションはない。 それは、インテリアの5人、TEを含めれば6人が一つの「ユニット」になっているため だ。攻撃ラインと言えば、イメージは縁の下の力持ち、1試合を通じて対面する選手と1 対1でゴツゴツと当たっているように受け取られがちだが、実際はライン全員がこまかな 連携をとって一体となって動いている。プレーの通るべき理想の形を6人が正確に一致さ せ、コミュニケーションをとりながら、相手がしかける変化に対応してランナーの走路を 開き、QBのパスを投げるスペースを確保していく。関学のOLは神田コーチの元で、その 有機的な繋がりを「絆」とし、1×6を6ではなくユニットとして7へも8へも押し上げ て、社会人の強力なラインと互角の勝負を繰り広げた。ライスボウルでの攻撃の成果は、 その基盤の上に乗っている。
 
徳永さんの話

  最後に、昨年7月に亡くなった徳永義雄OBのことを記しておきたい。徳永さんは1949 年(昭和24年)に関学が初めて甲子園ボウルに出場し、初優勝した時のメンバーの一人で ある。1966、1967年に監督をされた後も、ずっとチームを側面から支援してきていただい た。コーチを家族で食事に招待して労をねぎらってくれたり、裏方の現役マネージャーの 激励会を開いたりしてくれた。負けていた時も批判がましいことはいっさい口にせず、い つも柔和な笑顔で見守ってくれていた。
 その徳永さんから、1999年の甲子園ボウルの前に手紙をもらった。中には、三つの短冊 に達筆で格言が記されていた。そのうちの一つは「九仞の功を一簣(き)に虧(か)く」 で、選手に説明して部室に掲げておいた。しかし、残りの二つはあまりピンとこないで自 室の棚の上に包装して立てかけていた。そのまま忘れて、徳永さんが亡くなった事で取り 出してもう一度見直した。その時も書かれていることが大げさのような気がして頭に残ら なかった。それが、ライスボウルの前にふと気になって読み返して、心を揺さぶられた。
 一つは、史記李斯伝にある「断じて行えば鬼神も之(これ)を避く」。「決心して断行す れば、それをさまたげる障害はない」と広辞苑に意味が記されている。手紙の中には、徳 永さんの先輩・親友でチームドクターを務めていただいている杉本公允先生からの手紙の 一部を引用したものだと付け加えられていた。もう一つは、「思うて一(いつ)なれば敵な し」。――西郷隆盛が、「何事かしようと思うとき、どう心掛ければよいか」と若い者に問 われた答えとして、「そいは、思ウテ一(イツ)ナレバ敵ナシ、ちゅう事(こつ)がごわす が、そいで遣(や)んなさればよか」と言ったそうです。ひとたび、ねらいを定めたら、 全く他をふりかえろうとせず、ひたむきに全存在を挙げて、怖れず確信して前進すること だと言うのです。――手紙にはそう説明があった。社会人王者に勝つと目標を掲げてきた ものの、戦略もプランもまとまらず、実力差から考えて大敗するのではないかという不安 に苛まれている時に、初めて二つの格言が迫ってきた。そして、亡くなってなおコーチを こうして励ましてくれるのかと思って言葉もなかった。我々は支えられている、と胸が熱 くなった。
 年末の練習に、杉本先生が開業医でありながら連日顔を見せてくれていた。徳永さんの 死と無縁ではなかっただろう。先生の提案で今年からワクチン注射を11月に全員が受け、 例年と比べて風邪(インフルエンザ)で練習を休むものがほとんど出なかった。そのこと も今年の重要な成功の一つだった。手紙の話をすると、「徳さんは、今分からなくてもいつ か分かることがある、とよく言っていた」としみじみと話していた。それを聞いて、まさ か、とは思いつつ、ひょっとしてこういう状況が来ることまで予測して送ってくれたので はないか、とギョッとした。選手たちにも二つの格言を伝えたくて、練習後のハドルで話 し始めが、想いがこみ上げてきて言葉にならなくなってしまった。

 




 ライスボウルは、ファイターズに関わるすべての人の力を結集した、本当の「総力戦」 だった。勝利が決まり、3階のスポッター席からエレベーターで降り、薄暗く狭い通路か らフィールドに出ようとした。その瞬間、ライトの逆光の中に杉本先生が現れ、顔をくし ゃくしゃにして手をいっぱいに広げた。抑えていた感情が、堰を切った。

<おわり>


 

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