石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」

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石井晃さんへの感謝の辞

投稿日時:2026/02/25(水) 10:51

 コラム「スタンドから」を長きにわたりご愛読いただいた皆様、誠にありがとうございました。コラム終了からだいぶ時間が経ってしまいましたが、当コラムの執筆をお願いした私(ディレクター・小野宏)から本欄で石井晃さんへ御礼を述べさせていただきたます。

 まず、改めて石井さんの略歴をご紹介します。
 1944年、有馬郡道場村(現神戸市)生まれ、美嚢郡吉川町(現三木市)で育つ。関西学院大学文学部を1968年に卒業した後、信濃毎日新聞社を経て、朝日新聞社で主に社会部の記者として活躍し、記者として最高位である編集委員・論説委員を歴任されました。60歳での退職後は和歌山県田辺市の「紀伊民報」で編集局長を2023年まで務められました。
 石井さんは学生時代から大のファイターズファンであり、卒業後もファイターズを応援し続けてくれていました。朝日新聞社の後輩である私は1993年に母校職員となってファイターズのコーチとなり、石井さんに1999年からスポーツ選抜入試の小論文試験の指導をお願いしました。以後、27年に渡って毎年かなりの回数の対面での直接指導を担っていただきました(コロナ以降は、対面は中止となった)。石井さんは関西学院大学で文章表現の科目を非常勤講師として担当していました。受講した学生による授業評価で毎年ほぼ全員が満足度で最高点5点をつける超人気科目でした。そんな石井さんの小論文指導を多くの選手たちが受け、スポーツ選抜入試に合格するだけでなく、文章作成・表現力を短期間に高め、在学期間だけでなくその後の人生の礎となる力を養ってもらいました。
 そして、2002年から2005年まで4年間甲子園ボウルに出場できず、私はチームを変える何かを模索する中で、当時朝日新聞の公式サイトasahi.comでスポーツコラムを書いていた石井さんにファイターズのコラムの執筆をお願いしました。そして2006年からファイターズのホームページで『スタンドから』が始まりました。シーズン中は毎週、石井さんの知の蓄積と記者として人としての経験を凝縮したコラムを掲載いただきました。紀伊民報で編集局を陣頭指揮しながらです。私が言うのもなんですが、その筆力は尋常ではありません。
 コラムは部員たちを褒め、励まし、時として叱咤し、その成長を見守り続けてきました。それだけでなく、ファイターズの活動やあり方を広く伝え続け、OBOG、父母、ファンの人たちが読み続けてくれました。チームが目指すべきもの、選手が取り組むべき姿勢などファイターズの価値観・モラルを広く関係者の中で共有する役割をコラムが見えない形で担っていたと今になって思います。また、コラムから多くの人たちが勇気をもらったり、救われたりしてきた人も少なくないのではないでしょうか。まさに私自身がその一人です。
 石井さんはコラムを書くだけでなく、頻繁に練習を見学され、選手たちを直接励まし、冬の合宿では和歌山の最上級のミカンを差し入れていただきました。
 1999年から2025年に至るまでの27年間、甲子園ボウル出場18回、学生日本一14回、ライスボウル優勝1回。この輝かしいファイターズの戦績は、石井さんのチームへの貢献の証でもあります。ファイターズへの無償の愛に我々は支えられてきました。
 石井さんは年齢による心身の衰えを理由に、コラムの連載および小論文指導について2025年度での引退を申し出られました。
 チームとして石井さんのこれまでのご尽力に深い感謝を表すべく、1月25日のアメリカンフットボール部納会において感謝の意を伝え、ファイターズ仕様のヘルメットを贈呈しました(写真)。4月中旬にはお世話になったファイターズ卒業生たちが集まって「感謝の会」を開くことが決まっています。とても賑やかな会になるでしょう。
 石井さんに改めて深い感謝の意を表し、御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
 そしてコラムを読んでいただいてきた皆様にも深く感謝申し上げます。

ファイターズ・ディレクター
小野 宏

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(14)悔しい結末

投稿日時:2025/12/16(火) 12:05

 今季から学生アメリカンフットボールの頂点を競う甲子園ボウルの仕組みが変更になり、初めて関西リーグのチーム同士がトップの座を競うことになった。関西リーグを勝ち抜いた関西学院大学ファイターズと、リーグ戦では敗れたが、関東地区の代表校などを破って復活した立命館大学パンサーズ。互いにライバルとして戦ってきた両チームが今季を締めくくる晴れ舞台に上ったのだ。
 天気は晴れ。しかし、甲子園球場につきものの浜風が強い。この浜風が勝敗のカギを握っているのでは、と余計な心配をしながら一塁側アルプス席最上段の席に着く。席の隣はファイターズが公式試合のたびに設営している放送席。チームの小野宏ディレクターたちが観客のみなさんに向けて、プレーの解説などをされる「ミニラジオ放送局」である。
 午後1時40分、試合開始。ハーフライン付近から攻撃を始めた立命がQBキープ、WRへのミドルパスなどで陣地を進め、あっという間にゴール前15ヤード。そこからパスを決めてTD。あれよあれよという間に7ー0。
 これで勢い付いた相手は、続くファイターズの攻撃を余裕で食い止め、自陣16ヤードから2度目の攻撃シリーズ。ここでもランとパス、それにQBのキープと目先を変えながら陣地を進め、最後はQBが左サイドを駆け上がってTD。キックも決めて14ー0。
 この勢いに飲まれたのか、ファイターズの攻撃は進まない。あっという間にパントに追いやられる。けれども、ここでファイターズ守備陣が踏ん張る。4プレーで攻撃権を取り戻し、攻撃陣に反撃を託す。
 しかし、次の攻撃シリーズも4プレーで終わり、またも相手の攻撃。それを守備陣が完封し、再び攻撃権はファイターズに。今度は、自陣34ヤードからという場所からの攻撃とあって、QBが星野兄に代わり、WR五十嵐に20ヤードのパスを投じて陣地を進め、最後はRB井上が1ヤードをダイブしてTD。K大西のキックも決まって14ー7と追い上げる。
 けれども、相手は勢いに乗っている。QBのランで陣地を進め、長いパスを通してTD。あっという間に21ー7と引き離す。
 しかし、再び登場したQB星野弟がWR小段へのパスで陣地を進め、自身のキープ、RB永井のランなどで相手陣奥深くに攻め込み、残る2ヤードを自身のランでTDに結びつけた。大西のキックも決まって21ー14。立ち上がりに2本のTDを決められ、苦しい戦いとなったが、何とか追い上げ、勝敗の行方を後半に持ち込んだ。
 だが、この日の相手は一味違う。第3Qに入っても攻撃の勢いは衰えず、QBのランでTD。28ー14とリードを広げる。 
 この加点が効いたのか、ファイターズの攻撃陣には焦りのような雰囲気が生まれ、思い通りに攻撃が進まない。逆に相手守備陣にはゆとりが生まれ、それがファイターズの攻撃を止めるのに役立っていることがスタンドからでも見えてくる。
 守備が安定すると、攻撃陣にもゆとりが生まれる。第4Qにもフィールドゴールとタッチダウンで10点を加え、最終のスコアは38ー14。ファイターズにとっては悔しさの募る結末となった。
 外野から応援しているだけの私にとっても悔しい結末だが、それを悔やんでも仕方がない。今季限りでこのコラムを書くことを辞退させていただき、来年からは別の形でチームを応援させていただこうと考えている。長年のご愛読、本当にありがとうございました。心から感謝しています。
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